2017/04/03

武田薬品 R&D 合理化と農学部

以前タケダのチューリッヒ移転について述べたけど,研究員を 1/3 に削減するとの DOL 記事が掲載された。創薬研究開発はすそ野の広い学際的知識が問われる分野だ。薬学,医学,蛋白化学,生物学(遺伝子学,発生学等),分析化学とかまだ他にもある。
変革の目玉である湘南研究所の研究員約1000人の処遇はまだ詳細不明だが、異動、転籍、退職などで約3分の1に減らす見通しだと関係者の間でささやかれている。
 武田は今月14日、産業革新機構などと共同出資する新会社も発表。かつて強みだった糖尿病などの研究開発品目を導出し、研究者約30人が転籍する。外国人が幹部の多数を占める武田だからこその大胆な変革ではあるが、人員に手を付ける変革はそうやすくはない。

合衆国に NIH という連邦政府所管の研究機関がある。ここには,世界中から研究員がやってきてグラントを得て最先端の研究をする。異能異才が問われる。シリコンバレーのIT分野と似た側面がある。創薬研究は多額の資金と期間を要し,リスクがとても大きい。従って,大手は合併を繰り返した。武田の研究員は恵まれた条件にあったけど,どうも世界(西欧)標準に達しなかったようだ。

農学軽視の日本
日本人が中韓台に追いつかれる心配のない分野の仕事が,またひとつなくなった。バイオ生命科学研究が今後,期待されるとして文科省はやたらとのこの種の学部学科専攻を認可したけど,ロースクール(法科大学院)以上に失敗だったかもしれない。

法学は別に長い歴史がなくても研究できる。後発国は判例が少ないだけである。現代医学は意外と農学と接点がある。IPS 細砲は幹細砲なので元は,家畜の人工授精研究である。生物分子化学の始原は農芸化学と言っていいだろう。日本で農学を志すと,意外と志望大学がないとわかる。東京の有名私学には全くない分野である。調べてはいないけど,合衆国の州立大学に農学部がないところはないのではないと思う。

生命科学を大きく発展させるには,畜産農業のスキルとか考え方が根っことして必要なのだろうと思う。巨大生命科学の知識をベースに現代の創薬研究が成り立つ。農業とか畜産が振るわない国での生命科学研究は表面的には西欧諸国と同じにみえても,根幹がないと,異能異才を受容する研究は育たないようが気がする。武田でもダメか。武田がダメではなくて,日本の文化歴史が西欧的創薬に向いていないのだろう。大隅先生は東大で干されてノーベル生理医学賞だ。まともな農学部が北大東大くらいしかない日本の大学制度がおかしかったのだろう。

参考
2017/04/02

伊勢神宮遷宮とモアイ像

太極殿と伊勢神宮の違い
文明を省みると,絶頂期に歴史に残る建築物を建設した途端,崩壊へと転がり落ち込むパターンが多い。イースター島のモアイ,クレタ島の迷宮,アテネのパルテノン神殿,ブルボン王朝のベルサイユ宮殿,カンボジアのアンコールワット,清朝の造園。多分,人々の間に繁栄しながらも衰退への予兆不安が建設へ向かわせるのだろうと思う。

伊勢神宮は20年毎に宮を再生する。国民の過半は無神論者である現代イスラエルは2千年前に喪失したエルサレム神殿を再興しない。ユダヤ厳格主義者も神殿建設を求めず,廃墟となった嘆きの壁が聖地になっている。日本人の心性は現代ユダヤ人よりは太平洋の孤島イースータの住民に近いだろうか。個人の宗教道徳より,集合意識だろう。やまとことばのマツリだろうか。

太極殿は律令体制のシンボルのようなものであり荒廃はすぐ始まったが,伊勢神宮の遷宮は営々と続き,今日に至る。政治的なものは一過性だが,宗教的シンボルには永続性があるようだ。

荘園の発達と摂関政治が当たり前になり,とうの昔に焼失した平安京の太極殿は再建されなかった。天皇は有力貴族の邸宅に住まい,宮殿は統治とは無縁の存在になった。中国からの使節を迎える必要性もなくなったせいもあるか。摂関家も荘園が衰退していくと没落し,上皇が院を名乗り坊居住まいとなった。院政期,上皇は治天の君と尊称されたが古代の軍事動員で発布された官符は無力なものになり果てていた。

高利貸しの淵源
お伊勢さんに参拝はするものの,伊勢信仰について,余りにも無知だった。喜捨,寄付,寄進。面白いのは神社界からの寄付がやーさんの上納金のように強制的になっている事だ。バチカンのかつての免罪符と似通っている。古代原始キリスト教の福音書にもイエスが貧しい寡婦が寄進する事を称賛している。古墳時代とかだと,建設労働自体が神事でもあったのだろう。それが貢納物さらに金に置換された。戦国大名は必勝祈願する際,神社への寄進は銭であった。日本で貨幣が流通するのは室町期である。

滋賀県に日吉大社がある。日吉信仰と京の土倉(金貸し)が関連があるのは知っていたが,詳細は知らなかった。日本最古の高利貸しは出挙と称され,朝廷が始めた。やがて,荘園の成立ともに山門の権威を背景として,日吉神社の神人は延暦寺の庇護を受けて,貢納の取り立てさらには貸付となったようだ。

応仁の乱の頃 1448 年 (文安5年)に斯波氏被官織田内者が日吉神人を殺害する事件が起きている。織田氏はこの頃から,天台宗山門の比叡山に連なる日吉神人層と対立していたようだ。日吉神社は関東にもあり,延暦寺の荘園が関東にも広がっていたのだろうか。貨幣が急激に関東に広まっていたのか。太田道灌が江戸を開いた際,日吉神社を転地勧進したせいか,家康は山王権現を保護した。

千葉に日吉神社が多いのは何故か。現代でも,北関東の宗派トップは天台真言系と知り千年前の山門の影響があるのかと驚かされる。宗教革命とかイスラム革命のない日本では宗教の永続性が長いのだろう。普段意識する事のない宗教だけれども,不意にその姿を現す。

言うまでもなく,お伊勢さんは皇室の氏神である。荘園制が崩壊して,貢が得られなくなり,禁中が荒廃しても,営々と伊勢神宮の遷宮が続けられてきた。太平洋の孤島のイースター島のモアイ像建設と環境変化がかなり調べられている。住民は文字を持たないので,年紀のようなものは一切ない。共同体意識を高め維持するために建設を続行したとも思えるが,建設事業を止めたくても止めらない何かが働いていた。政治と祭祀は切り離さるのが近代とされる。

日本の公共事業ではそうもいかないのであろう。そのルーツが伊勢遷宮だろうか。国人の連合体の棟梁だった甲斐武田氏は巨大な城郭を造らなかったとあるが,実態は造れなかったのだろう。家臣をサラリーマンのように扱えた戦国大名が壮大な城郭を建設した。伊勢神宮の遷宮経費は浄財と全国の神社に負担金が課せられる。神殿とか教会を維持するにはやむを得ない仕組みだろう。オリンピックの祭典も似たようなところがある。聖火とはなんと異教的か。古刹の秘儀は深夜に執り行われる。

古代ギリシャの悲劇も夜に演ぜられた。私の住んでいる地域では小さな社でも能楽堂が併設されている。おそらく中世の頃,夜に舞踏が奉納されたのであろう。モアイのイースター島,イングランドのストーンヘンジも夜に祭儀を執り行ったのかもしれない。ニーチェは夜に演ぜられるギリシャ悲劇に込められた人々のカタルシスを人間の弱さとみなし,ペシミズムを名付けた。近隣の演ぜられなくなった能楽堂とお伊勢さんの遷宮をみると集団の不思議さを感じる。伊勢参詣が流行り出すのは江戸期だ。古代の天皇が夢中になったのが熊野参詣だ。十字軍も過熱した巡礼といえなくもない。

小さな社で執り行われたいた浄化儀式が,民族国家単位で行われるようになる。新約によれば,イエスは神の家を汚すなと怒りを露にしている。年に一度の大祭,過ぎ越しの祭りの事である。エルサレム神殿の前では,銭により奉納する犠牲獣と交換できた。旧来のユダヤ祭儀に異議を唱え,祖法に戻れと説教した。それから,1500 年後,免罪符の販売をめぐり貧しいドイツで宗教改革運動が起きた。

銭による償い,厄除けの問題は西欧世界では大きな論争となり,ロシア共産運動にもその影響がある。前漢代に貨幣経済になっていた中国では,清朝末期に銭と贖いのキリスト教にヒントと得た太平天国の内乱が起きた。室町期に貨幣経済となった日本では,戦国武将が盛んに神社に銭による寄進を行っている。高利貸しとしての日吉神社の神人のイメージがいまひとつ,つかめない。西欧で集金した神父のような聖職者ではないようだ。

神社のお札ビジネスが伊勢神宮の遷宮費を賄う浄財とはしらなかった。
Ise.jpg 
今,首相夫人の寄付を巡り話題となっている。いつの世でも,権力者の母とか妻が改宗のさきがけになる事が多い。中国の歴史観で編纂された日本書紀の天皇は男系による万世一系とされるが,古代の中国歴史書ではヒミコは女性である。伊勢信仰の祭神のアマテラスは女神だろう。古代アテナイのパルテノン神殿に巨大なアテナ女神像が奉納されていたとされる。どうも我々が思い描く鉄兜を被ったアテナ像とは違うようだ。この写真をみると,「黒いアテナ」もあながち,ウソではないと感ぜられる。歴史とか現在進行中の事象でもつい,西欧のフィルターを通してみてしまう。古代ガリラヤ出身のイエスは現代エジプト人のような丸顔であった筈だ。

どだいアマテラスに像を思い描くこと自体が不自然なのだろう。あるのは形代だけである。貨幣のない時代から行われていた伊勢神宮の遷宮はいつから,銭の浄財がないと不可能になったのか。森友の 100 万円寄付騒動を思いながら,銭とマツリ事の奥深さを感じいる次第だ。

人々は不安を鎮めるために建設する。それが,弥生の環濠集落,原発の防潮堤,新国立競技場,万里の長城,パレスチナの壁,メキシコ国境のフェンスとなる。オランダ人,ユダヤ人およびイングランド人が入植した頃のニューヨークの地図と江戸を比較すると面白い。どちらも何を恐れ,何を重要視したか,その違いは今につながっている。少し前に,TVドラマのロストがはやった。邪悪な Something が侵入しないように以前の居住者がフェンスを設置していた。伊勢神宮の神域にフェンスは存在しない。社に垣がある程度である。古代エルサレム神殿の至聖所も狭い。しかし,どちらも高位の神官以外の立ち入りが禁じられている。

アマテラスは女神であったが,どういうわけか,江戸期の儒学者が日本が儒教の本家という説を打ち出した。その拠り所が日本書紀の皇統一系だった。仏教に帰依していた上皇朝廷から天皇を切り離し現人神として尊崇し始めた。国粋運動の始まりだ。

江戸期には,非常事態対応の征夷大将軍が統治していたけれども,国軍はなかった。清朝がイテキのイングランドに破れるという想定外のアヘン戦争に,日本国家の確立にせまられた。正確には国民の誕生が必要になった。文部省は教育勅語を発布しながら,修身の教科書には合衆国初代大統領のワシントンが選ばれていた。それが,日露戦争後,日米双方が仮想敵国とみなし,排日移民法が日本人の自尊心を痛く傷つけた結果,あっというまに鬼畜米のスローガンに早変わりした。この頃のキーワードは国体と皇国である。明治の頃は帝国(立憲君主制)と名乗っていたのが,皇国(神政一致)に変わった。

100 万円の首相夫人の寄付先がアナクロの幼稚園だった。戦前も今も世情に疎い教育者には,ついていけない信条をもつ熱心なヒトが結構いる。私が子供の頃は,マルキストが多かった。今は時代がかわって,天皇尊崇が増えているのだろう。今でも体育の授業は戦前のやり方を踏襲しているから,教育勅語的なものの導入に教育委員会は大して違和感はないだろう。戦前は,上意下達,親米から反米への転回は一瞬の出来事であった。現代の新国体明徴運動は反中親米である限り,合衆国政府は異議をさしはさまないだろう。

万機公論はどこへ消えた?
しかし,国会での統帥権干犯問題から満州事変まで,たった1年であった。イースータ島には建設途中のモアイが多く放置されている。計画的に建設を止めたのではなく,何らかの事情により全て廃棄したのだ。現代日本に 3.11 ではそれに近い事が起きた。ドイツの電力会社のように原発を止められて,政府を訴える国内の電力事業者は一社もなかった。

よぼよぼの天皇が譲位するのにも国会が何故か,全会一致を目指そうとする。異論百論噴出で議論するのは良い事とはみなさない空気がある。どんな社会でもタブーがある。合衆国だとレイシストとみなされたら,社会的に終わりである。日本だと菊問題(天皇)がそうだ。アナクロ幼稚園が脚光を浴びるのは一君万民を掲げる教育勅語を奉っているからだ。そのうち行政の力で尊王の学校をつぶすのはけしからんという空気がでてくるだろう。悪いのは官僚政治家だ。。。

参考
2017/03/31

税は納めるのか支払うのか

年度末は納税申告の季節だ。


ローマ人への手紙 13.7 に「税を納め」とあるが,英語だと pay taxes だし,貢 は revenue で原意がかけ離れている。

 Give to everyone what you owe them: If you owe taxes, pay taxes; if revenue, then revenue; if respect, then respect; if honor, then honor.

respect が恐れにもなっている。新約を和訳した聖職者は権威主義者だったのかな。日本語の聖書を読んで違和感があるようなところを英訳にあたると,誤訳に近いあるいは意図的にそうしたのかもしれないと思うところに出くわす。今時,貢といったら,愛人に貢ぐだろう。納めるも「授業料」とか「棺」に対して言う。

官は給付を納めるとは言わず,支払うか支出するかだろう。政治家への歳費は支出のような気がする。結局,最も上位なのは官とりわけ国税庁なのか。聖書だと徴税人は賤職扱いに近いけど,泣く子と地頭には勝てないとも言われてきた。日本の警察官がサラ金の返済に強盗とか窃盗をはたらいたりするのも,貸す側が上位という意識があるからだろう。

ロシアは 1998 年に破綻して,デフォルト債務不履行を宣言した。日本が日露戦争の戦債(外債)を償還し終えたのは第二次世界大戦後である。東電は何年かけて債務を解消するのだろうか。廃炉は少なくとも30年,恐らく50年必要だから,弁済するのは70年くらいか。破綻処理した方が良かったのではないかと思う。

東芝債務超過状態である。東電の次期会長が日立出身だそうだ。日本郵船の会長に元三菱重工の会長がなるようなものか。東電と東芝の関係が希薄になって日立主導になっていくのも仕方がないか。


2017/03/26

マイケルムーア演説とコミュニケーション教育

塚本幼稚園
なにかと話題になる日本会議精神に基づく塚本幼稚園を経営する大阪の森本学園。この幼稚園をお行儀がいいと激賞したのが,現首相夫人,稲田防衛相だ。真偽のほどは確かではないが,在籍した園児の親が大阪府に虐待を訴えている。大阪府は維新が実権をにぎっているせいか,役人は調査をためらったのだろうか。確かにしつけと虐待体罰のさかいは判然としない。
 退園をした今でも、Dさんはお子さんのおかしな様子に気づくことがあるという。「先日、子どもがもどしてしまったんですけど、もどしながら『ごめんなさい…ごめんなさい…』って言うんです。たぶんそういうの、怒られてたんやろうなあって」お母さんは、あくまで推測をするしかない。なぜなら、幼稚園は普段から、授業参観のときなど以外は保護者を園内に入れさせないため、保護者は園内で何が行われているのか、知るすべがないからだ。

戦前の公立学校教育
明治の学校教育は帝国軍兵士になるための教育であった。その精神は教育勅語に集約されている。徴兵で国民が入営すると,私的制裁を受ける。今風にいうとイジメだ。徴兵検査では手を床について牛馬のような四つん這いになって,座椅子の軍医から肛門と性器の性病検査を受ける。今でも自衛隊の身体検査は似たようなものだろうか。陸士海兵でも私的制裁が横行していた。何故このような事をするのか。盲目的に服従させるためである。ハラスメントを苦にして海自隊員が自殺する。

閉鎖環境のなかに置かれた人間に上下関係を持ち込むと,スタンフォード監獄実験のような状況に自然となる。性善説は無理がある。宗教とか道徳が人間の攻撃性を抑圧して,暴力を回避していると考えた方が自然だ。そら恐ろしいのは,こんな教育精神が横行した基になった教育勅語を称賛する大臣が防衛のトップにある事だ。

大阪維新と画一教条主義スパルタ教育
森本学園は私立なので画一教条主義スパルタ式は別に構わない。少年期に粗暴だったトランプ大統領は親にミリタリスクールに入学させられた。森本学園は○○記念軍学校でも目指せばいいのだ。体罰に肯定的だった前橋下府知事らの大阪維新の会の子弟とか権威主義の両親が入学させればいいだろう。所詮,森本問題は裕福な階層の子弟が入学する私立学校の許認可問題だ。私立学校の教育方針は自由でいい。

19世紀米英の公立小学校でも鞭による体罰は当たり前だった。今では厳格なキリスト教系とミリタリスクールくらいだけだろうか。維新とか自民の知事が統治する県では公立学校に教育勅語を持ち込んでもいい。数十年経つと,カトリシズム教育に沿った国が繁栄しなくなったように淘汰されていくだけだろう。

貧しい青年将校
昭和維新を目指した近衛兵所属の青年将校が決起し 陸軍教育総監を惨殺した。2.26 事件だ。スパルタ教育を施しても,絶対服従の将校にはならなかった。それはなぜか。兵舎に居住する兵士に自由時間はほとんどなかったが,将校は官舎とか下宿であったので自由があり考える時間があった。難関の陸士試験を通って,大尉になって結婚しても薄暗い官舎に住まい,乳飲み子を抱える妻は内職しているような状態だった。近衛兵とか親衛隊の反乱はどこの国でも待遇の不満が多い。三島とか後の世間が考える 2.26 はそんな生活の義憤を見過ごしていると思う。

在日米軍司令官への指揮権委譲は不可能か?
下士に盲従を強いる自衛隊が日本国に何をもたらすか。先の大戦で学んだはずなのだが。稲田朋美氏の演説を聴くと,カリスマ性が全く感じられない。自衛隊員は彼女をどう思っているのだろうか。合衆国にマイケルムーアという映画監督がいる。彼のスピーチを聴くと,稲田氏より一介の映画監督の方が感銘を受ける。ヒラリーでもそうだから,性別は関係がないだろう。言語とか精神の違いだろう。稲田大臣の代わりに韓国方式をまねて,非常事態には在日米軍司令官に指揮させたらどうだろうか。

3.11 の際は菅元首相の危機対応がお粗末だった。当時の駐日大使の進言に耳を傾けてくれていたらと思う。安倍首相は駐日米大使の進言を聴く耳があるだろうか。しかし,余裕のなくなった合衆国は,大英帝国がシンガポール,インドから撤退していったようにシナ海の覇権に関心を持たなくなるだろう。それが TPP を調印しても批准しない意味だ。国力が倍の中国に軍事的に対立するのは危険だろう。

合衆国が分断し,経済的苦境にある中間層が息子を東シナ海の孤島のために送り込むと信じる方がおかしいだろう。大統領に強大な権限があるにしても,国民の支持がなければ尖閣紛争に介入参戦はあり得ない。あえて介入してもらうには英国がイラクでやったように謀略を使わなければならないが,今の日本が昭和の陸軍を真似てもう一度できるのか。

マイケルムーアのオハイオ州スピーチ
参考末尾のスピーチは,「糞オバマケア」とか,さらに働いても働いても苦境に落ち込むオハイオのまっとうな白人を前に何故トランプが大統領選に勝つだろうかと述べている。オハイオ州ウィルミントン 2016-10-21 での素晴らしいスピーチだ。両陣営の選挙資金はトランプが圧倒的に不利だった。

トランプ  1億6300万ドル
クリントン 4億4900万ドル

マイケルムーアは,「彼は,傷ついた人々に語りかけていたからだった」と語る。

アベノミクスは非正規雇用労働者に何をもたらした? 小泉内閣の雇用規制緩和は何をもたらした? 文科省官僚の早慶への天下りも東京の私学だからどうでもいいけど,労働規制緩和の旗振りの竹中平蔵元大臣は今では派遣大手パソナの会長じゃないか。昔の早慶の先生は政府に媚びる事もなかったけど,慶応の先生だった竹中平蔵あたりからおかしくなったのかな。まあ,色のつかない補助金なんてあり得ないか。

日本は首相を衆院で選ぶから,トランプのような指導者は絶対あり得ない。身近な知事,市長選抜から始めよう。森本学園の許認可をめぐる問題でも役人は上しか向いていない。指導者が人々の「痛み」をどれだけ共感できるか。画一教条主義が組織に蔓延るのは何故だろう。維新にはガッカリさせられたけど,カジノ構想と大阪万博をぶち上げる大阪維新にはお似合いかもしれない。指導者が劣化する一方だ。森本学園,大阪カジノ構想そして大阪万博と北海道の夕張のようにならなければいいが。おもらしのウンチを持ち帰りさせる少し風変わりな幼稚園が大阪にあってもいいけど,大阪経済が崩壊するの隣接県として困る。糸物が没落した後の大阪経済は落ち込む産業ばかりだ。関西が復権するにはパイがないにしても,コアな地場産業が芽になりそうな気がする。大阪カジノが起爆剤にはなり得ないのではないか。滋賀の公営ギャンブルの閑古鳥状態をみるとそんな感じだ。人口が減る状況での箱物事業は最悪の選択ではないか。

民主主義の基本は他人の話意見を聴くことから始まる。合衆国の幼児初等教育に Show and Tell がある。子供たち一人ひとりが一つのテーマに関して,スピーチをする。他の子供はその話を聞くだけの授業である。その両極にあるのが塚本幼稚園だろう。現代戦だと,Squad という小単位の兵士が自立的行動しないと兵士たり得ない。お行儀よく整列して教育勅語を唱和する子供たちが長じて,考えて行動できる,あるいは他者とコミュニケーションをうまく取り合えるかどうか。

日本の画一教条主義教育はいつまで続くのだろうか。この状況はもうじき,明治 150 年になる。他者を自分に置き換えて物事を考える。そして変える勇気を持つ。西欧との差は広がる一方か。

2017/03/18

プラウと原発事故

プラウと海民
創世記 45:6 に「この二年の間,国中にききんがあったが,なお5年の間は耕すことも刈り入れることもできないでしょう」とある。耕すとは鍬とのことかと思いきや,英語だと "For two years now there has been famine in the land, and for the next five years there will be no plowing and reaping." だ。プラウを人力で曳くのは極めてまれであろう。

旧約聖書は紀元前6世紀頃,バビロン捕囚を回顧して編纂されたらしいから,少なくとも日本を除いて耕起は畜力なのは当たり前だった。中国の中原は春秋戦国期に畜耕に変わっている。後漢代の朝鮮におかれた楽浪郡とか帯方郡でも同様に畜耕ではなかろうか。もちろん水田を意味しない畑である。しかし春秋戦国期のリンシに居住していた民,江南沿岸,朝鮮半島西岸九州に至る東シナ海の水稲海民は畜耕ではなかったのではないか。倭とは半農半漁の海民を指したのだろう。李朝末期の貧しい農民の服装写真をみると日本同様,草鞋履きである。西日本が犂耕に移行し出すのは平安期である。統一新羅が畜耕だったかどうかは知らない。

養老令に幾内での犂耕の記述がある。犂耕は平安期の朝廷官田,豪族層の一部にとどまっていたようだ。古代の「かたあらし」と称される耕作は休耕の繰り返しであったそうだ。中世になって,休耕しない耕作になったようだ。馬の飼養に適した関東に犂耕が普及するのは遅く鎌倉期である。意外にも信州は明治になって馬耕が普及した。

中国江南沿岸では海民が農耕から切り離されて畜耕が大勢を占めるようになったのであろう。明代,倭寇が利しないよう江南の沿岸から農民を立ち退きさせた。まるでベトナム戦争時の合衆国がやった戦略村だ。切り離された海民は水上生活者となったのかもしれない。父は水兵に徴兵されシンガポールでジャンクを見ている。

犂耕による生産力向上は皮肉にも日本に戦乱をもたらしたようだ。都の公家に「地下」と蔑称された荘園被官層が自立し,後の武士と混交した。鎌倉期に関東まで普及した畜耕が江戸期になると,人力耕に戻ったのは何故だろう。明治になると藩の統制がなくなり自由化が進んだけれども,大不景気の昭和に 2.26 5.15 事件となって自由競争を否定する思想が昭和日本の軍部に芽生えたのが実に興味深い。決起将校は赤子の擁護者としての天皇を妄想したが,戦後になっても宮様は我々を「民草」と呼称するくらい,京風にいうと「白足袋」の貴族意識のままだった。実際は,応仁の乱の頃には山城国でも荘園制は崩壊して,天皇は葬式代にも事欠くほどであった。皇族の貴族意識は 600 年経っても変わらない。カトリックの枢機卿みたいなものか。

昨今の原発廃止運動も,日本民族の争いを鎮める知恵なのかもしれない。原発再稼働と電力料金自由化したら,PWR 加圧水型原子炉の関電,九電,四電および北電は BWR の東電,中部電,中国電より優位になり,その地域も活性化するかもしれない。しかし,小泉純一郎のように原発がなくなっても楽に生きていけるだろうの思いこみがあるのではないか。このような意識は古代から日本人の深層にあるのだろう。東芝が建設中のジョージア州の原発建設地を Google Map でみたら,写真自体が古い可能性はあるにしても 2019 年に稼働できそうもない状態だ。

畜力運送
西日本では犂耕なのに平安期の関東では人力耕でも生活できたわけだ。古代の納税は物納であった。税以外は地産地消だろう。古代日本は馬の背で税を運送したようだ。

中国とかユーラシアでは運送事情が異なった。アーリア系は牛,モンゴル草原は馬,中央アジア中国はロバだったようだ。今でも中央アジアの農民はロバを広く使役しているようだ。

江戸期,北陸で獲れたサバは鯖街道を背負子により京都に持ち込まれた。江戸市中は人力の大八車だった。人余りのせいか粗食のロバより人件費が安かったのか。何故かロバは日本に普及しなかった。文明開化の明治期,人力車が考えられたのは,駕籠に比べたら省力になり大きな進歩だった。ロンドンでは馬車がタクシーだった時代ではあるが。

明治天皇の江戸入りは伝統的な輿であった。とにかく車夫が多くいたのだから,すくなくとも馬の飼育費より安価だったのだろう。2.26 の不穏な時代では車夫にもなれないほどの不景気であった。秦の始皇帝は既に馬車であった。古代エジプトではローマに征服される前,ギリシャルーツ土着したプトレマイオス朝でもファラオは権威の象徴として人力の輿であった。南米の皇帝達は車をしらないので輿を愛用した。新約によれば,イエスはロバに乗ってエルサレム入りする。これは旧約の故事にならった記述だろうとされる。

日中戦争の写真をみると,日本軍輜重部隊がロバの背に物資を積んで引いている。現地で徴発したのだろう。包囲戦とか追撃戦でいつも殲滅できず主力を取り逃がし,長期戦になった理由がわかったような気がする。おそらく敵は馬挽ロバ挽で逃げたのだ。徒歩で包囲はどうみても無理だろう。。。
鉄路沿いだけしか支配できない。Wikipedia によれば日清戦争の日本軍は背負子と第八車の人力だった。これでよくまあ畜力の清軍に勝てたなと思う。日本人は中国の人海戦術をネタにするけれども,補給は人力ではなくロバであった。朝鮮戦争ではリッジウェイ将軍が中国義勇軍ロバの蹄鉄を手にしている写真がある。当然,米軍はトラックジープである。
Ridgeway.jpg 

日本軍は輜重兵が背負子でコメをガダルカナルの丸山道を運んだ。歩兵砲を分解人力で担いで山道を運んだ。日本軍高級将校は何の疑義も感じなかったようだ。日本人は人力で牛車を曳くだんじり,祇園祭のようにとにかく人力大好きだ。まるでピラミッド建設の古代エジプト人のようだ。一方,古代シュメールでは馬車は権威の象徴だった。ファラオがいなくなると,輿も途絶えた。

古代ローマの戦車による凱旋式典は独裁官,後の皇帝が元老院から与えられた特権であった。征夷大将軍が天皇臨席の場で武威を誇示する軍事パレードに畜力の車が登場する事はなかった。さらに,日露戦争勝利の式典でもパレードがない。日本人は動的なもの嫌い静的式典を好むようだ。明治天皇が馬車で閲兵しただけである。どうも,昭和天皇と違い騎乗が苦手だったようだね。西欧の国王は騎乗で閲兵するのが当たり前だ。騎兵のいない第二次世界大戦後になってもエリザベス女王は馬上だけでなく,単騎しかも口取りもなく騎行閲兵した。馬を乗りこなせなければ貴族ではなかった。一方,日本は戦国期の侍大将に口取りがいた。黒沢監督の「影武者」は妄想だろう。戦国期の日本に騎乗はあっても騎兵はいなかった。家康は輿に乗って関ケ原の野戦に臨んだ。合戦はインカ帝国とかマヤの戦いのようにスローモだったのだろうと思う。騎行があったのは鎌倉期だ。承久の変では鎌倉を進発した幕府軍はあっという間に京都を制圧している。渡河もあるから騎行のおかげだ。元寇は騎馬の機動力があって阻止できたのだ。明治になるまで騎兵隊が存在しなかった日本はそれだけ平和だったのだろう。

幕末期,信州甲州で産した絹を開港した横浜まで運ぶ絹の道ができた。馬の背もしくは人力で峠を越えた。東シナ海周辺の海民だった倭は牛馬,ロバを知って幕末になっても背負子とは驚きだ。とにかく労賃が安かったのだろう。ついにクロネコがエコと称して都心でリヤカー人力宅配を始めた。なんとまあ,暑熱地獄の真夏に人間を酷使するのか。社畜とはよくいったものだ。

共産中国は人民の社畜化を諦めて改革開放に転じた。というのは春秋戦国時代からの筋金入りの同族家族至上主義を乗り越えられなかった。どうみても日本の没個性社畜は中国に勝てない気がする。その中国の家族主義も合衆国の個人主義に勝てないかもしれない。半導体ビジネス情報産業をみると,そんな感じだ。社畜状態の日本が米中に勝てる産業とは何だろう。やはり,Star Wars のような帝国軍か。稲田大臣がシスのパワーを得られれば,案外いけるかもしれない。在英中国大使が靖国神社をハリーポッターの分霊箱に例えたのは秀逸だった。特攻だガンバレ日本。少子高齢化の日本にはどう見ても不可能だが。

原罪と東電東芝
とりあえず,原子力規制委員長を解任する。避難道路を建設しながら PWR を再稼働させようではないか。次に子供に禍根を残す日銀総裁を更迭する。しかし,そのための受け皿となる政党がない。危機を回避せず,とにかく耐えるのがいいのか。ガマンもいいけど,ジジババだらけで一体どうするのだ。楽をする手立てを講じなければならない。

日本がなにもなければ破綻するのは 2045 ないし 2050 年頃とされる。その間に中国発の大不況もあるだろう。中国の不況がかつての日本のような韓国に軍事政権樹立をもたらす可能性だってある。石油の自給ができる合衆国が30年後,極東に軍事力を展開しているとは思えない。軍隊の海外展開はとにかく金食い虫だ。利口な大英帝国はインド軍の高級将校,高級官吏以外をインド人に充てた。日本も米国に軍事顧問団を派遣してもらったらどうだろうか。菅元首相がアメリカ大使が進言した米軍を中心とした核危機対応チームの派遣を拒絶したのは何故だろう。

戦後の経済混乱を収拾できなかった大蔵官僚はドッジを招き,外圧として補助金カット,行政整理とかを実施した。菅元首相が独善的にならなければ,別の歯車が回り出したのかもしれない。彼は松岡洋祐のような気質だったのだろうか。そういえば奇兵隊を名乗っていたな。家人いわく,麻生さんだったらもっと酷くなったと言う。それもそうだ。歴史の歯車はきしむ。危機に対処できる指導者をどう選抜するか。年に何兆円,原発(資本)をムダにしているのだろうか。しかも経産省の案だと廃炉補償費として電力料金を上乗せするするそうだ。実質税金になってしまう。安心を得るには負担と思わず喜捨の気持ちになるしかないのだろうか。

ルカによる福音書/ 09章 62節の新共同訳は,イエスのたとえ話に『イエスはその人に、「に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた』となっている。英語だと,
Jesus replied, “No one who puts a hand to the plow and looks back is fit for service in the kingdom of God.”
意図的に誤訳したのだろうか。それとも,英訳が誤訳なのだろうか。スコップで畑を耕した事があるけど,どうみても犂だとそんな余裕はないだろうから,鋤ではないだろう。

旧約物語だとアダムとイブはエデンを追放され,耕し後世に子孫をつないでいく存在になった。原発はそのためのプラウなのだ。再稼働させて廃炉費用を捻出しながら,後世への不良資産を少しでも回収したらどうか。

それとも規制が強化されて,東芝が合衆国に建設中の原発のようにコスト的に見合わなくなったのか。しかし,東芝の国内原発事業は電力会社が発電してもしなくても黒字の優良事業だ。これが今後 30年このまま続く。その原資は我々が払う電力料金に上乗せされている。
東芝は原発を軸とした会社になるしかない。買い手はないが、国内の原子力は収益分野だという。東芝製の原発は国内に21基ある。どれも動いていない。しかし、点検や修理・管理で安定した売り上げと利益を確保している、という。費用は電気代に上乗せされるので、電力会社も原発企業も痛痒は感じない。東芝の原子力事業は2016年上期で3800億円を稼いでいる。ここにはWECの稼ぎも入っている。内訳は公表されないが、国内事業は安定収益という。

東芝の国内原発は全て BWR である。関東東北中部中国県民は北海道関西九州四国のアシをひっぱらないで欲しい。PWR を稼働させてくれれば,稼働の見込みがない BWR を保有する中部電力と中国電力に売電できるだろう。問題は 50Hz の東電と東北電力だ。青函トンネルを使用して泊原発の電力を東北に売電できないのだろうか。東北中部住民は危ない BWR を稼働せずに PWR による安価な電力を買える。商いを自由にするだけで経済効率が上がり,国民全体が楽をできる。なんで我慢して余分に働かなければならない脱原発を目指すのか。

50Hz の巨人東電はどうしようもない。東芝の最新事業計画だと,2019 年に国内原子力事業は再稼働対応により 1500 億円から 1900 億円の増収見込みになっている。東電は発電しないのに柏崎に 400 億円増資するわけだ。元凶は東電と東芝か。両者を解体したらどうだ。ついでに電力売買のネックになっている電源周波数を 60Hz に統一する。

ちなみに BWR は放射能に汚染された高温高圧蒸気はタービン建屋まで配管され,巨大な復水器を通り原子炉に戻る。地震の際,放射能漏れの可能性は PWR に比べると桁はずれに高いと素人でもわかる。新潟県の避難計画は順調に進んでいるのだろうか。長大な汚染蒸気配管を考えたら BWR は再稼働させない方がいいのではないか。実際,世界中の原潜と米原子力空母はすべて PWR だ。

日本人には原罪はないが,「業」ならあったと思い出した。啓典の民は原罪意識のない生き物を Inhuman 畜生とみなした。キリスト教原理主義者の多い合衆国民の深層意識に,「啓典の神」を信じない中国人とか日本人に対する蔑視感情がある。トランプ支持の白人は言葉に出さないが,奥底にそんな感情がある。やっかいな同盟国だな。

ロバすら使役しなかった日本人に原発をプラウのように使いこなすのは無理か。ロバを使役してきた中国人ならできるかもしれない。スキル(技術)の問題ではなく使いこなす精神が問われるからだ。アマテラスではどうみても,だめだろう。。。3.11 を追悼して東方の海に向かって拝む姿が印象的だった。いまだにまともな祈念碑施設がない。

仏教の「業」の精神すら日本人はなくなったのか。鹿屋の海軍航空基地には特攻隊員をしのんで祭壇には帽子と牛乳瓶が置かれていた。空の神兵に追悼は不要だったのか。命をないがしろにする靖国精神は日本人の性に合っているのだろう。PKO で戦死したら,供養するのは国立墓地かそれとも靖国神社か。
兵舎の隅でね、死んだやつの帽子を祭壇に飾っていくだけですよ。そいで、花やろういうても、そこらの畑に、土手にあるような花切ってきて、牛乳のビンに挿して、一つか二つ置いてあるだけですわの。たったこれだけか、死んでこれかあ思うようになった。かわいそうに。
朝青龍のような気質のモンゴル人に絹を背負わせて,運ばせるのは不可能だろう。死ぬまで人力耕起だった日本人なら可能か。再稼働しない原発と小泉純一郎が重なる。

いざとなったら成年は徒歩で脱出できるが,子供老人はどうしようもない。空襲で焼け死んだ者達は逃げ遅れた女子供が多かった。柏崎周辺の道路事情だと個人の車での避難は困難だ。他府県に抜けるには連なる山々を越えなければならない。港が使用できるなら,フェリーも有効だろう。自衛艦は 3.11 を参考にすれば間に合わない可能性がある。操艦する乗員の招集に時間がかかるからか。県知事が非常事態宣言をだして,自衛隊をなぜ指揮できないのだろう。古代の国司は地方の兵を動員できたのに,明治維新以降は王政復古しても,県令には軍政の権限は何もなかった。戦争末期の沖縄の惨事が起きる可能性が制度自体に内包している。とりあえず,県当局は自宅待機させ時間かせぎだろう。その間,市民は汚染されていない飲み水をどう確保するか。こどもと老人を抱えた家族はどうするか。徒歩で脱出するには,シリア難民のように歩けない老人を見捨てるしかないのか。幼い子供の被爆は何としてでも避けなければならない。トリアージのような仕組みが必要だろう。

日米 FTA 交渉
2020 年は東京オリンピックと同じくらい,重要な日米安保改定と米大統領選がある。TPP をちゃぶ台返ししたトランプ大統領ならこれから再開される日米通商交渉が不調に終われば,2019 年に安保廃棄を匂わすかもしれない。この時期に東芝の 7000 億円の損切りはマズイかもしれない。合衆国の原発不良資産を全部買い取るくらいの事をしないとダメかもしれない。とりあえず,米国資本のカジノは止むを得ないか。さらなる医薬品の規制開放は避けられないのではなかろうか。トランプは選挙期間中,輸入乗用車に 35% の関税を公約としていた。日本にそれに対抗するだけの米国産輸入品があるのか。兵器,医薬品,小麦とシェールガスに対抗関税を課すくらいか。

農産物の市場開放要求は中国市場の方が大きいし,肉はメキシコ,オーストラリアとも競合するので合衆国の農民にとりさほどのメリットはないだろう。ただ 2020 年の大統領選までに象徴的かつ日本に第三の開国をせまる要求はあるだろう。そんな要求もないようだと,日本市場に全く関心がないとなれば,それはそれで日本は絶望的に成らざるを得ない。

トランプ政権の市場開放要求があるうちはまだ日本に希望はある。

参考