2014/07/11

現場は疲れている

毎日新聞の経済観測に「失敗はくり返す?」の記事が掲載された。メディアが賞賛する現場主義の否定である。公立学校の校長は何時出勤し,何時に退校するか。いろんなところでいろんな上司に仕えたが,アメリカの研究スタイルを標榜した研究所が一番酷かった。研究部長は「後,よろしく」と言いながら,退出するのが口癖だった。研究員より遅く出社し,早く退社していた。国税局の査察も部下に押し付けたような典型的,ダラ幹だった。遊泳に長けていたせいか,社のトップの信任が厚かったようだが,専務の査察を受けるようになり,社長の代替わり後に,本社に戻った。

ベネッセの不祥事をみると,データベースシステムの不備ではないようだ。組織の問題のようだ。顧客のデータは本社が一括管理するというのは日本の会社の場合,殆ど建前だ。システム管理は役員が本社から出向する子会社がするのが普通だろう。問題は本社から請け負った日常の業務をさらに,外注する事だ。昨日も,カード会社からと名乗る保険の案内電話があった。電話を掛けて来たのに名前も名乗らず,どこの所属ですか。○○の人かとシツコク尋ねたら違うと言う。
恐らく,名簿が流出しているのだろう。新聞をみたら,過去の個人情報漏れの事件リストが載っていて,そのカード会社の親会社は二度も不祥事を起こしていた。ベネッセのような戦後,成長した企業でもなく,古い財閥系の会社であった。古い会社ほど,業務委託が常態化しているのではと思う。アメリカのIT革命は企業の管理部門の合理化のために導入されたのに,日本では外部委託という奇妙な現象を生んでいる。節税対策もあるのかもしれない。

狙われたベネッセの顧客情報はジャストシステムが買い取った。買うのは違法ではないようだ。ネットで堂々と名簿が販売されているらしい。ジャストシステムの親会社は今ではキーエンスになり,キーエンスは代理店を介さない直販で急成長したFA関連会社だ。顧客情報の重要性はどれだけ価値があるのかキーエンスは熟知している。名簿購入が違法でなければ,1件15円は安いと思っているのかもしれない。喉から手が出るほど欲しかっただろう。

自社の顧客情報を狙われると考えなかったベネッセの経営者は,患者のカルテ管理を人材派遣会社のアルバイトに委託した病院長のような物だろう。患者のカルテは法律により粗末に扱えないが,教育産業,金融などのサービス産業に規制はない。システム管理を自社で開発し,管理している上場企業がどれだけあるか。銀行,証券は 100% 丸投げだ。電力ガスもそれに近い。自社でシステムを構築しているのは新日本製鉄とか,個人取引がないような会社ばかりだ。つい最近の航空会社も不祥事を起こして,自社開発ではないようだ。今のJRは知らないけど,旧国鉄の MARS は国鉄主導で開発された。今では MARS は技術遺産になっている。日本陸軍中佐が米軍の暗号解読に,IBM の統計機の使用を思いついたが,当時この機械を保有しているのは鉄道省と第一生命だけであった。陸軍の沽券にかかわるのか,縄張り意識なのか鉄道省保有の装置を使用せず,第一生命から借用した。米海軍の暗号解読センタのひとつがハワイにあった。HYPO と呼ばれ,ドック近くのレンガ建物だったそうだ。米海軍は IBM 統計機を何台も並べ,日本海軍の暗号解読の手がかり発見に注力していた。重要語,キーワードの探索を統計確率手法を用いて,力ずくでやってのけた。その統計機を操作したのが海軍軍楽隊員だった。その頃,トラック島在泊の旗艦後部甲板では参謀達が軍楽隊演奏付のディナーを食べていた。

暗号解読は現場の頑張りではどうにもならない。ベネッセの不祥事もなにか日本海軍とつながるような気がする。慢心といえば,それまでだが,ベネッセの経営者は競争相手がどんな対抗策をとるのか常識と想像心が欠落していたのであろう。ありとあらゆるところにこの類の管理者が存在しているような気がする。中国との情報戦は到底無理か。それにしてもベネッセは宝の山を保有しているのだと分かった。子供は年間 100 万人程度,生まれる。親は子供の生年月日をむやみにネット上で入力すべきでないという事だ。30年以上も前に,友人が福武書店について教えてくれたのを思い出す。彼は当時としてはめずらしい,起業指向だった。

「プロ集団を支える体制の整備」と元外務官僚が述べているのが興味深い。本来なら,かつての陸海軍参謀本部は戦争に関してプロのなかのプロだった筈で,組織も整備されていたけど,現場への押し付けが起きた。というか現場実務を体験せず,現場を指導した。要するに適材適所ではなかった。平時の年功序列のまま,戦時でも人事異動が行われていた。海軍省軍令部の陸勤務の飛行機乗りでもない大佐が,空母艦長を勤めた。大阪市の校長公募も変な理屈だ。教員経験がないのに校長を勤めさせる。実務もした事がないのに指導監督はしようがないだろうと思うが,世間は違うようだ。市長の発想は,所詮,子供の扱いだから,普通の大人ならできるだろうとの感覚としか思えない。

教育に関しては,もう時間遅れだと思う。人材は輸入に頼るのが良い。楽天とかソニーのような大企業ではその傾向が現れている。役所と教員に優秀な人材が集まらないのは西欧資本主義国では当たり前だ。合衆国の公立小学校の酷さは並大抵ではない。都会に住むまともな家庭の子供は私立学校に通わせるのが当たり前だ。公立学校に予算をつぎ込んでも効果が期待出来ないと思っている。というか,普通の州民は大して,学校教育に期待していない。コミュニケーションと社会の仕組みを学んだ後,各自が実務を働きながら習得する。日本のような実業高校はなく,実業は大学で学ぶ。ただ,体育と実験は充実していおり,シャワー設備のない学校はないし,実験のない理科の授業はない。日本では灘高でも実験はしないそうだ。大学でも実験実習が重視されていると思えない。つまるところ,日本の教育は公務員,新聞記者とか手を働かさない職業に特化しているとも言える。ふと,防衛大学校では何発の実弾射撃訓練をするのかと思う。東條英機は幼年学校出身の陸軍大将ながら自殺の際,拳銃の操作を誤った。多分,拳銃の射撃訓練をしていなかったのではと思う。試し射ちすらしていなかったかもしれない。そんな陸軍軍人が国を指導していた。オバマ大統領は射撃の写真を公開した。実務を教えない公立中学校の教員は一体,何で忙しく疲れているのか。部活がその元凶らしい。しかもブラック企業の構造と同じなのだそうだ。

--- 以下引用 ---
経済協力開発機構(OECD)が、中学教員の勤務や指導環境の国際調査の結果を発表した。日本の中学教員の勤務時間が最長であり、その4分の1が部活動や事務作業などに費やされていたという。またかなり前、NHKのドキュメンタリー番組で日米の有名大学の理科系博士課程の学生の生活を紹介していた。米国の学生が研究一筋の恵まれた環境なのに、日本の学生は、指導教授の雑務の処理に多くの時間を取られていた。

 このようなやり方では効率は下がる。教員は教育に、博士課程の学生は研究に、それぞれ専念できないからだ。これらの人たちをサポートする仕組みが弱いからなのだが、予算がないので現場の努力で結果はしっかり出してくれ、ということらしい。精神主義の強調であり、現場への責任の押しつけである。

 このような状況は日本のあちこちで今でも見かける。そのたびに「我々は、第二次大戦の敗戦の教訓を学んでいないのではないか」という気になる。日本は、圧倒的な数量の人とモノを必要な時と場所に送り届ける米軍の兵站(へいたん)の力に負けたのではなかったのか。この兵站重視に代表される合理的な思考に日本の精神主義は敗れたのだ

 もちろん猫も杓子(しゃくし)も全力投球では、全てが正面作戦になり、戦線は伸び切り、兵站も手薄になる。したがって国家としての「選択と集中」は必要だ。だが高い優先順位を与えた課題に対しては、資金を回し完璧な支援体制をつくるべきだ。そうして社会の抱える課題を一つ一つ着実に解決していく。そうすることで社会に対する国民の信頼も回復する。

 教育が国の重点分野から外れることはあるまい。そうであるなら小学校から博士課程まで、プロ集団を支える体制の整備は、喫緊の課題だ。

参考
日本の教員は多忙で孤独で自信がない
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