M4戦車エンジンと太平洋戦争
GMは第二次世界大戦時,数多くの軍用機を生産した。YouTube を見ていたら,GM のPRがあって,2500 機を 1944 年に生産したといっている。また General Sherman Tank といっている。日米の島嶼戦でもおなじみの M4 戦車だ。子供の頃は火炎放射器でよく覚えていたし,なんといってもタミヤの M4 戦車の印象が強かった。GMはM4のエンジンを生産していたそうだ。5万輌も生産したせいか,エンジンの供給が追いつかず,エンジンだけで数種類のバージョンがある。燃料補給の関係でディーゼルエンジン版は太平洋に回されたようだ。当時の日本の戦車は全てに劣後であったが,トランスミッションは酷かったらしい。上手く変速機を噛み合わせないと,あっという間に歯車の歯が坊主になったそうだ。気になり,M4のトランスミッションは信頼性が高く英兵にも好評だったようだ。何の事はない。当時,まともな戦車のトランスミッションを生産できたのはどうも合衆国だけのようだ。設計は戦車工廠だろうか。戦後,ながらく日本の歯切り盤は米独製のマーグとグリーソンの独壇場だった。
高馬力になればなるほど,トランスミッションの難易度は上がる。韓国の新型戦車は 1500 馬力パワーパックの国産化を目指したが,100 輌に関しては元のドイツ製になるそうだ。何か,日本のかつての「誉」エンジンの逸話を思い出す。韓国の場合,開発に失敗しても代替機はあるから支障はないが,太平洋戦争時,日本が目指した 2000 馬力エンジンは代替機がなく,日米航空戦に間に合わなかった。「誉」の設計は1940年,P&W の Double Wasp は 1937 年に既に回っていた。実質のスタートは日本が4年遅れていた。物まね技術の悲しさか,日本のエンジン技術が合衆国に先行する事はなかった。だが,自動車のエンジンに関しては,ホンダがカリフォルニアの環境規制をクリアしたし,変速機では世界の自動車メーカに供給するようになった。設計,歯車製造および冶金が世界のトップになったのだろう。
戦後まもなく,進駐軍のジープが市役所の階段を登ったと父が話してくれた。当時,日本車が段差を登るとは信じられなかったのであろう。ジープが4輪駆動の変速機を装備していたから出来たのであろう。戦前,GMが何故ディーゼルエンジンに関心があって,開発していたのかわからない。先のGMのPRフィルムには航空機が展示されていたが,液冷エンジン機だった。グラマン系列の海軍機ではなく自社子会社であるノースアメリカンの P-51 を展示したのだろうか。
毎日新聞のコラムに昭和天皇実記に関して,長谷川清提督の軍需産業に対する監察に言及していた。海軍大将を将軍と呼称していて違和感を覚えた。将軍の英語は General であり,提督は Admiral である。論説委員でも,海軍に関して疎いとわかる。周囲を海に囲まれた日本なのに不思議だ。頭の中では日本は貿易立国と理解しながら,船による交易とかは意識に上らないのだろう。太平洋戦争は海主陸従の戦いであったけれども,日本人は陸主海従の感覚で戦ってしまった。東條はサイパン島の濃密火力網により,米軍を海に追い落とせると考えていたが,その火力はたった3日間で潰えた。日本人は余りにも米石油自動車産業と米海軍に無知過ぎた。中国大陸にばかり関心が強すぎた。もう一度,太平洋について考えてみようではないか。あと20年も経てば,中国も高齢化社会で経済成長も止まる。中国投資の回収は戦前,同様できないだろうと思う。
参考
M4A3 Medium Tank, "General Sherman", Part 1
高馬力になればなるほど,トランスミッションの難易度は上がる。韓国の新型戦車は 1500 馬力パワーパックの国産化を目指したが,100 輌に関しては元のドイツ製になるそうだ。何か,日本のかつての「誉」エンジンの逸話を思い出す。韓国の場合,開発に失敗しても代替機はあるから支障はないが,太平洋戦争時,日本が目指した 2000 馬力エンジンは代替機がなく,日米航空戦に間に合わなかった。「誉」の設計は1940年,P&W の Double Wasp は 1937 年に既に回っていた。実質のスタートは日本が4年遅れていた。物まね技術の悲しさか,日本のエンジン技術が合衆国に先行する事はなかった。だが,自動車のエンジンに関しては,ホンダがカリフォルニアの環境規制をクリアしたし,変速機では世界の自動車メーカに供給するようになった。設計,歯車製造および冶金が世界のトップになったのだろう。
戦後まもなく,進駐軍のジープが市役所の階段を登ったと父が話してくれた。当時,日本車が段差を登るとは信じられなかったのであろう。ジープが4輪駆動の変速機を装備していたから出来たのであろう。戦前,GMが何故ディーゼルエンジンに関心があって,開発していたのかわからない。先のGMのPRフィルムには航空機が展示されていたが,液冷エンジン機だった。グラマン系列の海軍機ではなく自社子会社であるノースアメリカンの P-51 を展示したのだろうか。
毎日新聞のコラムに昭和天皇実記に関して,長谷川清提督の軍需産業に対する監察に言及していた。海軍大将を将軍と呼称していて違和感を覚えた。将軍の英語は General であり,提督は Admiral である。論説委員でも,海軍に関して疎いとわかる。周囲を海に囲まれた日本なのに不思議だ。頭の中では日本は貿易立国と理解しながら,船による交易とかは意識に上らないのだろう。太平洋戦争は海主陸従の戦いであったけれども,日本人は陸主海従の感覚で戦ってしまった。東條はサイパン島の濃密火力網により,米軍を海に追い落とせると考えていたが,その火力はたった3日間で潰えた。日本人は余りにも米石油自動車産業と米海軍に無知過ぎた。中国大陸にばかり関心が強すぎた。もう一度,太平洋について考えてみようではないか。あと20年も経てば,中国も高齢化社会で経済成長も止まる。中国投資の回収は戦前,同様できないだろうと思う。
参考
M4A3 Medium Tank, "General Sherman", Part 1
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