2014/10/10

ガイドライン (War Manual) 改定とドイツ連邦軍用犬

連邦軍域外派兵
深夜TVドキュメンタリーを見ていたら,その内容はドイツ連邦軍の長期に渡ったアフガン派遣についてだった。趣旨はドイツ連邦議会における連邦陸軍の NATO 域外派兵に関する意思決定経緯だが,その意思決定プロセスも興味深かったけれども,映像中のアフガン兵舎における軍用犬が気になった。連邦軍兵士の 1/4 は PTSD の症状を訴えるそうだ。軍用犬は帰国できたのだろうか。第一次世界大戦では膨大な数の犬馬が本国に帰還する事はなかった。

アフガンの連邦軍兵舎は,バンカーの配置組み上げにしても,いかにもドイツ的に整然としていた。その中をまさに Watch Dog として犬が兵士とともにいたのだろう。普通,犬は飼い主の脇もしくは後をフォロアとしてしつけられるが,その犬はハンドラの前を歩いていた。それが自分の仕事だからだろう。警戒か爆発物探知か。若い頃,ドイツを旅して驚いたのは路面電車内の犬達だった。犬は通常の乗客と同じように当たり前の風情で乗車していた。さすがに座席には座っていなかったが。周囲の客も何も犬に注意を払わない。それと,園児とか小学校低学年の子供達が大人に席を譲る事だった。当時の日本国内の地下鉄では子供達が座席を占拠して後ろ向きに座り,大人に迷惑をかけても大目にみていたから実に不思議な光景だった。幕末明治期に来日した西欧人が日本を子供の天国と呼んだ意味も納得した次第だ。

検索したら,アフガンから帰国できなかった兵士とその犬もいた。今日の毎日を読むと,世界平和貢献のグレーゾーンとして米軍の後方支援が極東に限らず,中東も含めた全世界に広げると政府は決めたようだ。意外にも陸自は軍用犬を保有していない。前回のイラク派兵のように英豪軍の護衛なしで,中東で活動するなら当然,陸自にも軍用犬が必要になるだろう。日本の大名は軍事演習の一環および示威として,鷹狩りをしたけど,西欧のように鹿狩りのような狩猟はしなかったので犬は余り必要とされなかったのだろう。軍用犬のいない陸自は江戸期のように平和の証でもあるのかもしれない。空港では外国からの食物検疫として検疫検知犬が働いている。来訪者に威圧を与えないように小型犬を採用しているそうだ。ドイツ連邦軍のサイトにはアフガンで戦死した兵士とその犬の写真が掲載されている。日本がドイツのようなスタンスを採り,海外に鎮圧のための戦闘部隊を派兵するのか,それともオーストリアのような立場を採るのか,国会で大いに議論してみてはどうだろうか。

給水部隊と野戦病院
陸自がイラクに派遣され,諸外国の軍隊から最も高い評価を得た装備は浄水装置だった。また,ハイチでの地震でも陸自の野戦病院設備が評価され,日本駐在武官の防衛省詣でが相次いだと言う。今,エボラ出血熱が蔓延している地域の衛生状態,特に清浄な水の確保が課題だろうと思う。病院は大量の水を消費するから,なお更だ。単に米軍の兵站だけでなく,保健衛生の面において日本が貢献できる場合が大いにあるのではなかろうか。日本では,もう忘れ去られているが,旧軍の 731 部隊の史実がある。また,オウム信者が生物化学テロを行った日本は稀有な国でもある。

中世領主
蛇足ながら,ドイツ連邦軍のアイコンはルフトバッフェ(ドイツ空軍)と昔のプロシア陸軍とほぼ同じだ。ナチスの国章は廃止したけど,ドイツ騎士団に由来する伝統的な紋章(クレスト)は変わらないのか。ソ連が崩壊すると,赤軍の赤旗はロシア帝国の双頭の鷲に回帰した。原潜にその紋章がマーキングされていていて驚いたのを思い出す。双頭の鷲はいわずと知れたローマ帝国の紋章だ。ロシア人は東ローマ帝国の末裔後継者と自任にしている。NATO に対抗するためなのか西欧とは違い,ロシアが本家本元なのだという強烈な自意識がある。例外者意識でもあるだろうけどね。ドイツのサッカー誌がミランの本田特集のデザインに旭日旗を使用した。一部の韓国民が反発したそうだ。西欧と日本の戦争においてだけ,紋章を掲げて戦った史実がある。その名残がサッカー(諸都市)の旗,国旗,貴族の紋章になって伝わっている。イタリアの祭りに繰り出されるデザインに優れた旗は元来,戦旗(スタンダード)だった。日本の家紋も意匠に優れているのは,旗差物として敵味方と競って掲げていたからだ。朝鮮は中国化が徹底して,日本のように武士が発生せず,武官が戦闘に従事した。武器も日本のように自弁ではなく,官給品だった。だから,日本の甲冑とか刀のような美意識も持ちようがない。中世において,ユーラシア大陸の両端で騎士と武士が台頭して文化を生み出したのは,背景が全く異なるのに不思議だ。朝鮮王朝が西欧列強と戦ったときに掲げた武官の旗は,漢字が書いてある実に貧そうな物だった。日本だと戦旗に文字を書くのは,モットーを書いた「風林火山」とか「厭離穢土」を別にして,紋章がない一揆ぐらいだろうか。ちなみに,この朝鮮軍旗は,合衆国海兵に奪われた。日本では戦旗を奪われるのは武家として,耐え難い恥辱だった。だから,乃木が最期までこれに拘っていた。太平洋戦争のガダルカナルにおいて,一木支隊が壊滅したとき連隊旗を奉焼したとされる。合衆国の南北戦争において,旗手にまつわるエピソードは多い。米大学のフットボールとかスポーツのペナントも戦旗由来だ。あの形になったのは乗馬移動が多いからだろうか。そういえば,ドラクロワの自由の女神もフランス国旗を掲げていたな。女神の脇ではシルクハットをかぶった市民が銃を持っている。実にわかりやすい市民革命の絵だ。それまでは軍事は貴族の独占だったから。革命以前はブルボン朝の紋章は百合だった。

私が高校に入学した頃は,戦前のバンカラの風が残っていて,新入生全員が応援団の洗礼を強制的に受けさせられた。当時の応援団は竹刀,団旗(校旗)と旧制中学の応援歌が必須だった。夏は下駄で通学するのが認められていた。そんな高校は市内ではただ一校だけだった。そんな風なのに,戦後,男女共学になっての女子の制服が実に洗練されていたのは不思議だった。あの当時のダサい女子セーラ服を思えば,市内の女子高より近在の女子にも好感があったのかもしれない。女子にもオッスと掛け声をかけさせ歌を強制したのは何故なのか。実に勇壮な歌だった。他方,戦後の校歌の方は全く記憶がない。欧州リーグのサッカーの試合をTVでみると,ヘエーと思わせる旗が振られている。現代にもなっても,中世の意匠が活きている。そんな軍事文化的背景のない韓国には,わからない感覚なのかもしれない。

西欧の王家博物館に行くと,日本の甲冑と日本刀が飾られている。朝鮮中国の武具をほとんど見かけない。合衆国のメトロポリタン美術館は世界最大の日本刀コレクタでもある。ドイツ連邦軍の軍旗をみると軍事も中世からの伝統文化なのだとわかる。毎日新聞がノーベル賞受賞国のランキング表にカラーで国旗を印刷している。当然,韓国も中国国旗は出てこないな。

戦死した連邦軍兵士の所持する銃の銃身が極端に短い。多分,銃の威力が小さいから戦闘兵ではないのだろう。護衛用の銃だろうか。戦闘兵でなくとも,アフガンでは戦死するのだ。米軍の後方支援でも戦死の覚悟は必要だろう。今の戦闘兵の携帯する銃身は短いそうだ。話を聞くと,現代陸軍では狙撃兵は一般の歩兵から別れているそうだ。陸自はどうも未分化らしい。ガダルカナル戦で米海兵が日本陸軍の狙撃と判断しその対抗して,組織化された Scout Sniper チームはアフガンでも続いているようだ。まあ,独立戦争において合衆国民兵が英軍指揮官を狙撃したお国柄だから,斥候と狙撃が一体化した分隊は機能し続けるのだろう。日本陸軍は敗戦の年になってようやく,ゲリラ (遊撃)戦の研究を日本アルプスで始めた。自衛隊もゲリラ戦をしないのが基本だ。陸自にはレンジャー部隊は存在しないそうだ。個人でレンジャーの課程を修了して,バラバラに配属されているらしい。アフガンとかシリアの地勢をみると,日本国内のどこで訓練したらいいのか。米軍の後方支援といえども,輸送車列が襲撃されたら適切に防御戦闘しなければならない。急襲されたら迫撃砲とかの反撃は難しいだろう。となれば,サッカーの本田だじゃないけど,個の戦闘能力が問われる。アフガンにおいてドイツ連邦軍の女性輜重兵が機関銃を操作して反撃している。旧日本陸軍の輜重兵は銃を携帯していなかったし,その訓練も受けていなかった。戦国時代の荷駄隊が戦闘能力がなかった事と関係しているのかもしれない。日米の文化の違いと言えばそれまでだが,米軍は陸自の兵站部隊に護衛の戦闘兵を十分に割り当ててくれるのだろうか。合衆国は幌馬車時代の名残と市民武装のテーゼを具現している国家だ。ゲリラ戦では補給部隊を攻撃するのが当たり前だ。

軍情報組織
補給路の偵察と防御を誰がするのか。以前にも書いたが,陸自には旧軍の特務機関に相当する諜報組織がない。つまり,現地のスパイを活用する手立てがない。肝心の敵に関する情報は全て米軍に依存するのだろうか。ドイツ連邦軍には合衆国が一目おく情報機関がある。NATO に加盟していない中立国のスウェーデンおよびスイスの軍事諜報組織の有名さというより冷徹な悪名で知られている。第二次世界大戦中,日本陸軍のスウェーデン駐在武官は米軍の暗号器を入手し,陸軍は米軍の暗号を少しずつ解読し始め,原爆投下の1週間前に,Nuclear の単語解読に成功したが,陸海軍外務の情報組織の齟齬から総合判断が出来なかった。外務省はメキシコ経由でニューメキシコにスパイを送り込み,海軍は日本政府組織の中で,最も原爆可能性を理解していた組織だったのだが。

日本陸軍の対米情報はプアだったけれども,参謀本部情報ソ連班の分析レベルは非常に高かった。奥の院の作戦課がその情報を握りつぶした。全ての軍事情報を米軍に依存して,果たして陸自輜重兵を派兵するのは自衛隊員に対して余りにも冷たくはないか。やはり旧軍と同じで防衛省の奥の院も冷酷なのだろうか。これも変えられない軍事文化かもしれないな。とにかく自前の諜報機関を整備しよう。多分,人的組織能力は兵器と異なり10年では全く物にならない。防衛政策の意思決定順序が変だが,何とも思わない政府上層部をどのように考えたらいいのか。月並みだが,愛がないのだろう。作日,スーパ銭湯に行ったら,Japan Pride の自衛隊募集のポスタが貼られていた。なるほどねと思った次第だ。自衛隊も少しずつ,変わって政府いわく普通の軍隊に近づいているとされるが,旧軍のバカな意思決定プロセスも引き継いだのかもしれない。日本は何故,シビリアンコントロールが下手なのだろうか。その遠因は少なくとも刀狩の時代まで遡りそうだ。Civil は日本では市民と訳され,都市をイメージするが,合衆国の Civil の根底には武装農民があると思って間違いない。今でも州民は離散集合を繰り返し,County の独立創設が続いている。その根っこは連邦州政府に拠らない警察権の行使だ。草の根民主主義のルーツだ。そのコミュニティを支えているのがキリスト教原理主義。その中心は普通のアメリカのおばさん達だ。そんな風土の米軍と自衛隊が連合軍(多国籍軍と今の新聞は異称)を形成するとしたら,明治陸軍以来だ。明治陸軍の指導者は主に武士階級出身だったが,今の防衛省幹部は昭和陸軍同様,お役人だ。また,国策を間違えてもおかしくない。

参考
Ein Hund als „Held des Jahres“
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