2017/06/02

太鼓のお囃子と渡来人

水田耕起のシーズンになり,笛のお囃子が聞こえてきた。音階は日本の昔の映画に使われるような伝統的なものだ。だが,太鼓の方は大相撲のような触れ太鼓とは全く,調子が異なる。朝鮮のリズムに近い。日本古来のダンスはすり足だが,朝鮮は跳躍(スキップ)がある。

歴史をふり返れば,大陸が動乱になる度に,どうも日本は渡来人(難民)を受けていれてきたようだ。近江は大和朝廷の時代から,渡来人だらけだったと思えば,当たり前かとも思う。渡来系のお寺も多い。大和朝廷は鉄を入手するため,朝鮮に積極的に軍事介入した。やがて,自国産の鉄で農具が賄えるようになると,半島への関心が薄れた。近くに,非常に古い由緒を誇る神社がある。当然,天皇との関わりが記されている。以前,畿内に居住する日本人の DNA が関東人より大陸の方に近縁関係があると述べた。桓武天皇は渡来系の秦氏が開発した現在の京都に遷都した。太極殿は中国を模し,立式だったから,椅子と机の事務だったのだろうか。太極殿が焼失すると,再建される事もなく,御所は座敷に戻った。朝議も古来の談合方式に戻った。

どこでどう捩れたのか,江戸期の儒者達は日本こそが皇統譜において,中国より「本家本元」だと主張し始めた。「中朝論」というらしい。「中華思想」は日本が担うという壮大なものだ。その行き着いたのが「八紘一宇」だった。

実は,劣者が優者に挑み,価値の転換を図る歴史的事象はいくつもある。近くは近代の市民革命,失敗した共産革命もそうだった。中国におされ気味の日本に,懐かしいレトロな「八紘一宇」が国会で語られるとは面白い。この「八紘一宇」のプロパガンダを担ったのは文科省だった。かつて,倭と呼称され,蛮族扱いだった日本が本朝になるのだ。

誰が何処が正統を主張し,覇権を掌握するか,諸国民に光を差延べられるのはどの帝国か。かつて,ヘーゲルは世界精神と名づけた。エジプトのファラオから始まった世界精神がいろんな民族に転移して,最後はドイツ人に行き着く。EUが統一歴史教科書を策定するとき,ドイツはローマ帝国の崩壊の記述に際して,「蛮族」をゲルマン人に書き換えさせたそうだ。東アジアでは夷狄と呼称された。幕末の狂躁状態は攘夷の妄想に取り付かれたからだった。

本朝=大日本帝国というアクロバットを編み出した日本は恐る恐る帝国間競争に足を踏み入れていった。大恐慌期に石原というエキセントリックな陸軍軍人が現れて,あっというまに満州が日本の権益圏になったかに見えた。大英帝国は日本に宥和的だったが,異を唱えたのが合衆国だった。南米に関してはモンロー主義を主張しながら,中国に対して門戸開放を唱えるご都合主義だった。

対支戦争を推進した武藤が,最強の資本主義国家との対米戦という段階になって避戦を模索し始めると,軍務局長から左遷された。

父からアメリカとの戦いは物量で負けたと聞かされてきた。それでは,何故,アジアの諸国家は日本が唱えた「八紘一宇」になびかず,合衆国に賛同したのだろうか。資本(ドル)の優位,技術力等いろいろあるだろうが,合衆国は盟主の地位を求めたりはせず,通商航海の自由とか憲章(契約)が中心だった。日本はドルには及ばないが,邦貨円があった。合衆国と大きく異なるのは「自由」との精神と「契約」の概念だった。どちらも支えていたのは原理というか「言葉」による普遍化であった。言葉による説得力は大きい。米英が対戦中に発した「宣言」をみればわかる。日本は今次大戦で,世界史的「宣言」を残せなかった。プロパガンダといえばそれまでだが,聖書を読めば経典の民の争いは神々の教宣活動につきる。

原理原則(プリンシプル)のないご都合主義が合衆国の原理主義に負けたのはある意味,当然かもしれない。自由の対極にある特攻精神が自由の精神に負けたと認めたくない修正主義者が増えてきた。幾多の民族が覇を唱え,栄えたが教典をもたない民族は後世に大した影響を残していない。古代オリエントの部族間の神々の争いから神との契約という奇妙なアイデアが部族間の信頼関係に影響を及ぼし,現在の経典に至っている。いろんなテーゼの淵源を辿れば,宗教に至るとは日本人の感覚からすればまことに不思議だ。日本人は証文にほとんど価値を認めない。実際,神道には祝詞はあても教典がない。これは中国人にもあてはまり,宗教心が薄いから法の精神もない。戦前の中国人は,日本政府が天皇を中心とする「八紘一宇」を主張したとき,何を思ったであろうか。

戦前日本の失敗が満州に帰着するのは明らかだろう。満州侵攻は関東軍の暴走だけで果たして,可能なのだったのだろうか。既に対シナ観は大隈重信内閣時の二十一か条要求に後の紛争の芽が蒔かれている。昨今の報道をみていると,中国がまだ劣っていて,日本が進んでいる類の説明を聞くと,悲しくなる。合衆国は中国を WTO に招き入れて以来,両国はパートナの関係になった。

いざとなったら,中国はいつでも尖閣で日本に発砲させる事態に持ち込むのが可能な状態になっている。中国は豊かになる前に老いるのは人口統計から確かだ。日本の中国に対する優越意識はなんとかならないのか。

日本人は,古来優者(為政者)に従順に従ってきた。もう一度,中国と争って負けないと中国に従う気は起きないのかもしれない。日本と中国が争ったら,合衆国は日本を積極的に援助しないだろう。中国に呑み込まれるかどうかは,その国民がどれだけ自由の精神を獲得しているかだろう。日本人より台湾人の方が自由の価値を認めているのは何とも不思議だが,自由より不自由の方が居心地がいいのは,恐らく江戸期の封建体制まで遡るだろう。

自由を担保するのは議会制しかない。鶏の卵のような話になってしまうが,明治初期に,日本中が熱くなった自由民権運動があった。その担い手は豪農および不平士族だった。

地の神社のお囃子太鼓が朝鮮系なのは近江の以外にどこがあるのだろうか。朝廷の歴史書には本土から避難した百済王子が近江に入植したとある。先住土着の弥生人もいた筈だから,両者はどのような関係になったのだろうか。渡来人は朝鮮由来の多くの神社を残し,今だに琵琶湖岸沿いの道路は朝鮮街道と呼称する。寺社と囃子太鼓くらいしかその遺風はない。どのくらい帰化人が渡来したのか諸説あるようだ。言葉は母から子供へ伝わる。近江の朝鮮コミュニティがそのアイデンティティを喪失したのはいつの頃か。

流浪の民となったユダヤ族はヘブライ語は亡失したけど,アイデンティティを保持した。欧州に渡ったムスリムもそうなるのだろうか。中国人は世界中のどこへ移住しても,そのコミュニティは中国語を保持するそうだ。ニューヨークの中国人街だと,故郷から呼び寄せたお婆さんの日常生活に何の不自由もないそうだ。今や,イタリアブランドの靴はイタリア在住の中国人ファミリが製造する。これまで日本は はきだめのように大陸からやってきた渡来人がやってきた。日本の稲作普及と中国の動乱は無関係ではないだろう。

日本韓国中国は超高齢化社会を迎える。ドイツのように,30年後を考えると朝鮮有事は大量の難民を獲得できるチャンスなのかもしれない。まあ,同様の事はロシア中国韓国も企んでいるには違いないが。合衆国が移民枠を削減し始めたので他の外国が恩恵を受けられそうだが,日本は蚊帳の外だな。

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