自転車ペダル交換とアサガオの巻方向
結論 アサヒサイクルのペダル購入は,ベアリング調整用に専用工具がないと交換メリットが薄れる。
家人のママチャリのパンク修理するために自転車屋に持ち込んだら,880 円だった。1週間も経たないうちに今度は前輪がパンクし,タイヤとチューブの交換 3500 円になった。自転車を漕ぐのが重くなったというので,ゴリゴリ回るペダルの交換を思い立った。隣町の DIY までいってペダルを購入した。確か700円台だった。片方だけの販売ではなくペアだった。新品を手で回してみると,ゴリゴリでがっかり。ペダルを外す,前日に注油して油を浸透させ翌日,レンチを足でキックしなければ緩まない程の締結力だった。新旧ともに同じブランド品だが,ネジ首の長さが違い,新しい方は大型モンキーレンチが掛からない。新品は 150mm レンチで締めた。

キャップを取り外すと,ベアリング締結ナットが内輪を押し付けている。ラジアル荷重のベアリングでは,禁則の設計になっている。専用工具がないと分解ができないので,断定はできないが。シャフトに付着しているのは土粒だ。アサガオの苗を購入した買い物袋に入れたせいだ。

分解を思い立ったのは,中学生の頃,自転車ブームで分解した経験と技術家庭科で自転車の構造を学んだ記憶があったからだ。チェーンドライブ,クランク機構といい手動機構の基本が自転車にある。足踏みは機械発祥の原初だ。ポンプが普及する前の滋賀県では,水田に足踏みの水車で水揚げしていた。同じ頃,オランダでは風力の水揚げポンプが稼動していた。
オランダ農法といい,日欧では やはり道具農具に対する心の持ちようが違うのかもしれない。日本は江戸期,馬耕から人力にかわった。ペストで人口が急減した西欧では農業革命が起きたように,人口が自然減少する日本は徹底した省力化が必要だろう。しかし,趨勢は外国人労働力の受け入れにあるようだ。だが,合衆国では黒人奴隷のプランテーションはなくなり,ヒスパニック系労働力による大規模農園くらいしかない。主流は家族経営の独立自営農民だ。市民権のないヒスパニック系労働者(不法移民)の扱いが政治問題化している。歴史は繰り返す。やがて,大論争になるだろう。
フィリッピンのような大地主(日本の戦前の不在地主)か西欧(オランダ)のような家族経営のような形態になるのか,日本はどちらになるのだろうか。日本の農業が派遣労働(外国人研修生)が主体になるようだと,イノベーションが起きず,江戸期のように停滞するだろう。その可能性が高いなと思う。中国は人民公社が崩壊したけど,官僚が農民を統治する仕組みは漢の時代から変わらない。ただ,共産中国の国家による人口制限政策は有史以来の事だ。左翼思想に染まっていたソ連中国礼賛の高校の社会科教師は一言も これについて触れなかった。当時の都道府県の日教組は左巻きだった。教師出身が国家の指導者になると,ろくな事がない。ソ連(スターリンは神学生),中国(毛沢東は文字通り学校の先生だった),メルケル土井たか子(大学の先生)などなど。どちらかというと,旧東側に教職出身の指導者が見受けられる。政治に「頭」から入るタイプだ。日本の極端な場合が,戦後の新左翼と戦前の極右。幕末の吉田松陰も その類だ。水戸の尊王攘夷は極端な精神主義(怨恨)から,その崩壊過程は戦後の新左翼と同じ内部抗争だった。
最近,発展途上国が何故,近代化が進まないのか。中進国の罠,そして日本の停滞とかを考えると,農業にいきついた。どの国もその国民性の土台は農民だ。その国の農民レベル以上はできないのだ。日本の戦前の軍隊は小作農民の倅から成り立っていた。合衆国陸軍は独立自営農民の末裔を徴募せざるを得なかった。日本の軍隊は臨機応変が苦手だった。ソ連の軍隊のような杓子定規を徹底する事も適わず,日本はヘボな戦いをしてしまった。ジューコフ元帥いわく,日本の下士官は優秀だが,指揮官は愚鈍だそうだ。大きい組織ほど,その弊害が現れる。多分,日本型組織だと,国家およびグローバル企業は多分,劣後になるのは避けられないだろう。ソニーは こてこてのボトムアップ日本企業らしい。はたして公用語を英語に替えて,どこまでグローバル化できるか。日露戦争後,ノモンハン事変の頃には日本陸軍の高級指揮官は劣化していた。というか,日本型組織の宿命みたいなものだろう。
今,アサガオを栽培しているけど,つるの巻き方向は左巻きとなっている。でも物理工学系だと,右ネジだな。自転車の左側のペダルは左ネジだから,世の中,定義が異なり間違えてしまう事もある。
日本の農業と自衛隊の実態をみると,西欧とはかなり異なる。陸自は摸擬銃を使用して訓練する。戦前の旧制中高生の軍事教練を思い起こさせる。武士が竹刀で教練を始めたのは平和な江戸期からだった。国会の議論と自衛隊の実技は どこか似通っている。多分,現実と理想の接続がうまくいかない。西欧のまがいものの政治制度に接木した現代の政治制度(天皇官僚制)も200年近くになろうとしている。明治憲法とか平和憲法の胡散臭さは庶民が一番わかっているのでは。
目が覚めるのは,見下していた中韓に日本があらゆる面で凌駕されてからだろうか。意外とその日は近い。一人当たりの GDP だと韓国が じき日本を追い越す。韓国の現代農業は今では,日本より進んでいるのが実態だろう。どこで,その差が生じたのか。極論すれば,太平洋戦争の負け戦は日米農民気質に辿れるとしたら,日本現代農業の遅れが液晶メモリの敗北の遠因なのかもしれない。韓国は自意識過剰気味の官僚制国家だ。シャープに在籍していた知人いわく,サムソンは優遇処置を受け,税金を払っていないそうだ。この言い訳は,かつての米国半導体産業と同じだ。そのサムソンも やがて中国企業に敗れるだろう。ソ連をみたら,わかるように官僚制国家のキャッチアップは速いけど,衰退も急激だ。日本はその過渡期にあるのだろう。
日本は中韓両国のように官僚制国家を維持するのか,それとも西欧民主義に近づくのか。現状を見る限り,前者だな。キャッチアプしようにもお手本がない。中韓と競争しようとしたら,円安にして より多く働かねばならない。現政府の政策は先進国との競争ではなく中韓との競争に重点をおいているようにみえる。貧しくなる方向だ。これは戦前の中国との争いと似通っている。今も日本は官僚国家なので,発想の転換ができないのだろうか。中韓と争う愚はどうかしている。合衆国が東アジアから収奪する仕組みを構築したように,日本は他国相手に到底できないのだろう。としたら,参考にすべきはオーストリアかスイスの政策か。
私が乗っていた自転車のペダルのキャップは袋ナットだったから,中学生でも簡単に分解できたのではなかろうか。昔の自転車の方がメンテナンスが簡単だった事になる。今の自転車は果たして改良なのか,確かに使い捨ての象徴だな。陸自普通科(歩兵)は摸擬銃を分解して,清掃注油しているのか。こっけいというより,国民にとり悲劇だな。国家特別公務員の公務だから当然か。
参考
代表的な修理の参考工賃価格表です
ペダルメンテナンス / ペダルの清掃・グリスアップ
家人のママチャリのパンク修理するために自転車屋に持ち込んだら,880 円だった。1週間も経たないうちに今度は前輪がパンクし,タイヤとチューブの交換 3500 円になった。自転車を漕ぐのが重くなったというので,ゴリゴリ回るペダルの交換を思い立った。隣町の DIY までいってペダルを購入した。確か700円台だった。片方だけの販売ではなくペアだった。新品を手で回してみると,ゴリゴリでがっかり。ペダルを外す,前日に注油して油を浸透させ翌日,レンチを足でキックしなければ緩まない程の締結力だった。新旧ともに同じブランド品だが,ネジ首の長さが違い,新しい方は大型モンキーレンチが掛からない。新品は 150mm レンチで締めた。

キャップを取り外すと,ベアリング締結ナットが内輪を押し付けている。ラジアル荷重のベアリングでは,禁則の設計になっている。専用工具がないと分解ができないので,断定はできないが。シャフトに付着しているのは土粒だ。アサガオの苗を購入した買い物袋に入れたせいだ。

分解を思い立ったのは,中学生の頃,自転車ブームで分解した経験と技術家庭科で自転車の構造を学んだ記憶があったからだ。チェーンドライブ,クランク機構といい手動機構の基本が自転車にある。足踏みは機械発祥の原初だ。ポンプが普及する前の滋賀県では,水田に足踏みの水車で水揚げしていた。同じ頃,オランダでは風力の水揚げポンプが稼動していた。
オランダ農法といい,日欧では やはり道具農具に対する心の持ちようが違うのかもしれない。日本は江戸期,馬耕から人力にかわった。ペストで人口が急減した西欧では農業革命が起きたように,人口が自然減少する日本は徹底した省力化が必要だろう。しかし,趨勢は外国人労働力の受け入れにあるようだ。だが,合衆国では黒人奴隷のプランテーションはなくなり,ヒスパニック系労働力による大規模農園くらいしかない。主流は家族経営の独立自営農民だ。市民権のないヒスパニック系労働者(不法移民)の扱いが政治問題化している。歴史は繰り返す。やがて,大論争になるだろう。
フィリッピンのような大地主(日本の戦前の不在地主)か西欧(オランダ)のような家族経営のような形態になるのか,日本はどちらになるのだろうか。日本の農業が派遣労働(外国人研修生)が主体になるようだと,イノベーションが起きず,江戸期のように停滞するだろう。その可能性が高いなと思う。中国は人民公社が崩壊したけど,官僚が農民を統治する仕組みは漢の時代から変わらない。ただ,共産中国の国家による人口制限政策は有史以来の事だ。左翼思想に染まっていたソ連中国礼賛の高校の社会科教師は一言も これについて触れなかった。当時の都道府県の日教組は左巻きだった。教師出身が国家の指導者になると,ろくな事がない。ソ連(スターリンは神学生),中国(毛沢東は文字通り学校の先生だった),メルケル土井たか子(大学の先生)などなど。どちらかというと,旧東側に教職出身の指導者が見受けられる。政治に「頭」から入るタイプだ。日本の極端な場合が,戦後の新左翼と戦前の極右。幕末の吉田松陰も その類だ。水戸の尊王攘夷は極端な精神主義(怨恨)から,その崩壊過程は戦後の新左翼と同じ内部抗争だった。
最近,発展途上国が何故,近代化が進まないのか。中進国の罠,そして日本の停滞とかを考えると,農業にいきついた。どの国もその国民性の土台は農民だ。その国の農民レベル以上はできないのだ。日本の戦前の軍隊は小作農民の倅から成り立っていた。合衆国陸軍は独立自営農民の末裔を徴募せざるを得なかった。日本の軍隊は臨機応変が苦手だった。ソ連の軍隊のような杓子定規を徹底する事も適わず,日本はヘボな戦いをしてしまった。ジューコフ元帥いわく,日本の下士官は優秀だが,指揮官は愚鈍だそうだ。大きい組織ほど,その弊害が現れる。多分,日本型組織だと,国家およびグローバル企業は多分,劣後になるのは避けられないだろう。ソニーは こてこてのボトムアップ日本企業らしい。はたして公用語を英語に替えて,どこまでグローバル化できるか。日露戦争後,ノモンハン事変の頃には日本陸軍の高級指揮官は劣化していた。というか,日本型組織の宿命みたいなものだろう。
今,アサガオを栽培しているけど,つるの巻き方向は左巻きとなっている。でも物理工学系だと,右ネジだな。自転車の左側のペダルは左ネジだから,世の中,定義が異なり間違えてしまう事もある。
日本の農業と自衛隊の実態をみると,西欧とはかなり異なる。陸自は摸擬銃を使用して訓練する。戦前の旧制中高生の軍事教練を思い起こさせる。武士が竹刀で教練を始めたのは平和な江戸期からだった。国会の議論と自衛隊の実技は どこか似通っている。多分,現実と理想の接続がうまくいかない。西欧のまがいものの政治制度に接木した現代の政治制度(天皇官僚制)も200年近くになろうとしている。明治憲法とか平和憲法の胡散臭さは庶民が一番わかっているのでは。
目が覚めるのは,見下していた中韓に日本があらゆる面で凌駕されてからだろうか。意外とその日は近い。一人当たりの GDP だと韓国が じき日本を追い越す。韓国の現代農業は今では,日本より進んでいるのが実態だろう。どこで,その差が生じたのか。極論すれば,太平洋戦争の負け戦は日米農民気質に辿れるとしたら,日本現代農業の遅れが液晶メモリの敗北の遠因なのかもしれない。韓国は自意識過剰気味の官僚制国家だ。シャープに在籍していた知人いわく,サムソンは優遇処置を受け,税金を払っていないそうだ。この言い訳は,かつての米国半導体産業と同じだ。そのサムソンも やがて中国企業に敗れるだろう。ソ連をみたら,わかるように官僚制国家のキャッチアップは速いけど,衰退も急激だ。日本はその過渡期にあるのだろう。
日本は中韓両国のように官僚制国家を維持するのか,それとも西欧民主義に近づくのか。現状を見る限り,前者だな。キャッチアプしようにもお手本がない。中韓と競争しようとしたら,円安にして より多く働かねばならない。現政府の政策は先進国との競争ではなく中韓との競争に重点をおいているようにみえる。貧しくなる方向だ。これは戦前の中国との争いと似通っている。今も日本は官僚国家なので,発想の転換ができないのだろうか。中韓と争う愚はどうかしている。合衆国が東アジアから収奪する仕組みを構築したように,日本は他国相手に到底できないのだろう。としたら,参考にすべきはオーストリアかスイスの政策か。
私が乗っていた自転車のペダルのキャップは袋ナットだったから,中学生でも簡単に分解できたのではなかろうか。昔の自転車の方がメンテナンスが簡単だった事になる。今の自転車は果たして改良なのか,確かに使い捨ての象徴だな。陸自普通科(歩兵)は摸擬銃を分解して,清掃注油しているのか。こっけいというより,国民にとり悲劇だな。国家特別公務員の公務だから当然か。
参考
代表的な修理の参考工賃価格表です
ペダルメンテナンス / ペダルの清掃・グリスアップ
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