2015/08/30

モミの木と鹿児島侵攻計画

これからは,原発周辺にモミを植林した方がよさそうだ。バイオマーカになる。緑化にもなるし,一石二鳥かな。そういえば,今年の京都大文字の送り火の薪はどうなったのだろう。東北産は止めたのか。京都は送り火の炭化した灰を観光土産に売っていたので,売れ行きを懸念して問題になった。風評被害の先取りを京都市が介入した。この種の商売はボンさんのテリトリで他から参入は不可能な領域だ。ボンさんと京都市役所が一体になっていると実感させられた一件であった。

モミは常緑樹でクリスマスツリーの材料になる。蛮族の習俗がキリスト教に潜り込んだ。西欧の修道院,イタリア貴族の別荘によく見られる樹木だ。石造りの建築と三角形の樹影が調和して実に美しい。樹高が高く,トリミングはしていないのだろうと思う。日本庭園だと高さを制限してしまう。
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民主党政権が 3.11 の際,直ぐにでも避難から戻れるような事を菅首相が発言していた。彼は物理学専攻で核物理の知識があっても,あえてそのような発言をした。常識的に考えたら,どうみても一世代は無理だろう。チェルノブイリとかビキニ環礁の事実を知っていながらの確信犯だったのか。多分,目の前の責任逃れに躍起だったのだろう。民を煽るだけで,民を信頼していなかった政治家が指導者になってしまった。改めてフクシマ危機を思い起こす。国家危機とは不思議なもので,少し様相を変えて再来する。次回の原発事故原因は津波ではないだろう。繰り返し起こる危機は西欧だと,疫病と戦争だった。中国は洪水,飢饉が続くと反乱が起きた。

市内のある化学工場では側溝に魚を飼っている。廃水処理は適切に行っていますとのPRだろうと思う。鹿児島県知事が高校女子に三角関数より花の名前を教えろと言ったらしい。取りあえず,花よりは放射能も含めた毒物とか伝染病とか保健衛生の身近な知識だろう。放射能が原発から漏れたら,空気水が汚染されるとか命を守る教育が先決だろう。鹿児島県民の選んだ知事だから他県には関係がないけど,おかしな知事だ。鹿児島県民は原発の避難計画について不安にならないのだろうか。余計なおせっかいか。

太平洋戦争末期,米軍の鹿児島侵攻計画だと「川内」までだった。それ以外は舟艇機動と九州北部の海岸は魚雷艇の蹂躙にまかせるつもりだったのだろう。東は瀬戸内海まで魚雷艇が侵入したのではなかろうか。日本の特攻艇は27ノット。合衆国の魚雷艇は45ノットだった。合衆国は海洋国家だなとつくづく思う。軍事オンチが知事になるのはいつ頃だろうか。明治初期の知藩事は元藩主が任命され,軍事の素養があったのだが。薩摩藩は薩英戦争で目が覚めたのに,やはり藩と領民の関係と県と県民の関係は双対なのだろうか。

こんな逸話もある。鹿児島県民は本土決戦に合わせて,防御施設に建設に動員された。最も難儀だったのは道路建設だった。道路が貧弱で北九州から増援部隊を機動できないと分かった。さらに,参謀本部から補給はない,自活して戦うようにとの命令が来た。そんなときに,米兵捕虜解剖実験が九大教授が主体となって企画された。日本の第16方面軍は9個師団,米軍は13個師団を考えていた。補給はないの意味はニューギニアとか比島のように自活して戦えの意味だ。住民を動員して大拡張したばかりの鹿屋海軍航空基地も放棄して,小倉に撤収する事になり,鹿屋で沖縄航空戦を指揮していた第5航空艦隊の宇垣提督は撤退する際,地元首長から嫌味を言われた。多分,そのとき基地破壊の指示をしたからだろう。既に,陸軍中央は首都防衛のための機動も不可能の結論に達していた。浦和の36軍が相模にも千葉にも移動できないのだ。機動道路の整備が命令されたのは終戦の年の5月29日だった。陸軍は道路建設がヘタレだった。古代ローマ軍にも到底,及ばなかった。一方,工兵が道路建設する機会の少なかった米陸軍は関東において,その真価を発揮する予定だった。多摩川の渡河に何ら懸念を感じている様子はなかった。ラインエルベに比べれば River ではないからどうもないわけだ。日本軍はベトナム軍のように大軍を内陸に吸引して,ゲリラ戦を挑むという発想は全くなかった。一応,米軍は江戸川と荒川を挟む古河周辺で日本陸軍との決戦を予定していた。東京はレニングラードのように包囲するだけの欧州では普通の飢餓を待つ作戦だった。進撃予定コースをみると,港と飛行場の確保に重点がおかれている。その頃,大本営は,サイパン陥落後,かつての南朝のように松本移転を早々と決定していた。軍道鉄道建設の前に,とりあえず施設を建設するという発想は,古代ユダヤ族の考えと同じで面白い。エジプトから進軍するローマ軍を隘路で挟撃,平野部では都市のネットワークで防御するという,欧州では普通の作戦はなかった。神頼みだった。ヤーウェの神はアッシリア,バビロン,ペルシャの時と同様,応える事はなかった。

日本政府は本土決戦と言いながら,内務省と陸軍は地方(陸軍では民間を指す蔑称)の動員使役を巡り縄張り争いをしていた。エルサレムは神殿貴族が牛耳り,民から推戴された反乱指導者はラビからメシアと認定されても,エルサレムの最高法院は認めず,挙国一致の対ローマ戦争ができなかった。別に,日本人はユダヤのような律法を信じているわけでもないのに,軍と民のありように類似性がある。ともに軍事オンチ,対外情勢に疎い,単一民族を標榜し,異民族との混交を嫌う。ちなみに現代イスラエルも,律法をよりどころにはしているが,古代のイスラエルの民と殆どつながりがない。実際,神殿を再建する気は毛頭もない。旧約の記述は紀元135 年で終わる。ユダヤのコミュニティはキリスト教と併行して欧州に広がり,イスパニア,シチリアではユダヤ文化が栄えた。ドイツの宗教改革に危機を覚えたイエズス会は異端審問を始め,ユダヤ排斥が強化された。ユダヤを追放したスペインは衰え,マラノを受け入れたオランダは栄えた。ドイツでも排斥されたアシュケナジムはポーランドとオーストリアに逃れ,ともに繁栄した。これが,ユダヤ人は富のあるところに移動するという話になった。上海租界にもコミュニティが出来た。日本の日露戦争時の戦債をさばいてくれたのは,ニューヨーク,ロンドンのユダヤ資本家だった。かれらは日本の絹に返済価値を認めていた。売るものがなければ,貧しかったドイツスイスのように傭兵を提供しなければならなかったかもしれない。今,思えば日露戦争は勝ちすぎだった。ノモンハン事変の総括が酷かった。このときから,作戦の失敗は現場がとる事になった。陸軍の暴走は満州事変からかもしれないが,責任転嫁はノモンハンからだった。

8/29 の毎日にあった高村薫の「自分の足で立つほかない」を読み,3.11 の無責任の記述から思い至った。フクシマの大地は放射能に汚染されたけれども,被爆死は多くない。大量に被曝したのは,バルブ操作端を手動操作せざるを得なかった作業員と汚染瓦礫を処理したハザマ組の下請け作業員だ。東電所員は旧海軍士官のように実作業を一切しない。電源ケーブルの接続もできないのかと,呆れた記憶がある。東電は装置を運営するだけに,日本陸軍より海軍の体質に近い。指示命令する者ばかりの組織は危機に弱い。下請け作業員の帰宅を足止めした第二原発と第一で命運が分かれた。炉内温度が上昇し続けるなか,原子力委員長は炉の図面を探していた。帰宅しての入浴と慢性病を患っていたのか薬の服用が気になっていたとインタビューに答えている。委員長はまったくのおかざりだったのだろう。実際は委員会の事務方の誰かが差配していたのだろう。東電の幹部が告発されたけど,実際に現場に指示していたのは,別人だろう。事態情勢が急変すると,日本型組織は弱い。それはユダヤ社会にもあてはまった。ゲットーから解放されたオーストリア帝国のユダヤ人は帝国臣民として,1次大戦に志願し戦死率はドイツ人よりも高かったのに,報われる事はなかった。ホロコーストを招いた結果,2千年ぶりに政治軍事指導者を推戴し,建国するに至った。

日本の最高祭司はいうまでもなく天皇だ。日本人なら当たり前の国籍条項も,現代イスラエルは民族浄化に悩まされているようだ。ロシア系を増やしたくないようだ。3千年前のサマリアは異民族との混交が進んだ。オリエントに進出したギリシャ人とも混交し,イエス時代は聖書をギリシャ語で読んでいた。イエス自身の話語はアラム語だった。千差万別のユダヤ人と画一日本人の対比は興味深い。合衆国の日系人はアイデンティを失い,同化しつつあるのに,ユダヤ人は米国籍であってもアイデンティを保持している。イエスの埋葬の記述を読めばわかるように,葬儀にアイデンティが現れる。どうも在米日系人は仏教教会といって,仏教とキリスト教の混交様式らしい。いかにも日本的だが,古代イスラエルではフェニキアのバール信仰も盛んで,神殿にいろんな異教の像が安置されていたらしい。ギリシャ化した時代では,どうも神殿内にゼウス像もあったらしい。祖法に戻れと説教したイエスだが,イエスの磔刑像がキリスト教会に掲げられるようになったのは皮肉だ。日本の特攻兵が散華すると,九州の航空基地内では牛乳瓶に花が一輪添えられるだけだったとある。戦死者が祀られる靖国神社は神式なので,仏式の供養台を設置するわけにはいかなかったのであろうか。特攻を推進した大西提督によれば,活きているうちに神なのだから,死んでも葬儀は不要との考えも成り立つ。

軍中央は本土決戦を糾合していながら,防衛計画は杜撰,現地の参謀は右往左往して陣地設営が二転三転して定まらない。その原因は参謀に指示しない方面軍司令官にある。陸軍の教育もおかしかった。歩兵重視で工兵がなおざりだった。米陸軍士官学校の最優秀は工兵に配属される。古代ローマ兵は歩兵と工兵が未分化で,ローマ軍の強さの秘密は築城だった。平時は道路建設とか水道建設に従事していた。古代エルサレムが堅固な城壁を築いても,ローマ軍は道路を建設しながら,進軍して来る。そして城壁の高さまで遠大なスロープを建設して市内に侵入した。

イラクに派兵された自衛隊長が豪英軍が攻撃されたら,救援に行く覚悟でしたと言ってのけた。歩兵戦闘訓練も満足にしていない,重火器もないのにどうやって支援したのだろう。覚悟とはバンザイチャージだったのだろうか。彼は国会議員に当選した。私は彼に国民の間に人気の高かった辻正信の臭いを感じる。彼なら平気で無謀な動員計画を立てるだろう。こんな自衛隊と国民だから,米軍指揮官の方が被害が少ないと思う。そてともかの指揮官はドンキホーテのように従卒を伴い,二人だけで突撃するつもりだったのだろうか。それならわかる。隊を全滅させたガダルカナルの一木支隊長も髭をはやしていたなと思い出す。

ハリケーンカトリーナに襲われ水没したニューオリンズの排水は陸軍工兵の仕事だった。ロシア陸軍は燃料パイプラインを敷設しながら,進軍してくる。米軍もドイツ侵攻の際,プルートと呼称された燃料パイプラインを敷設した。陣地構築とか軍道建設を軽視するようになる契機はノモンハンだった。ガダルカナルとインパールの悲劇は東條らの作戦思想にあった。その東條をピックアップしたのは,木戸らの宮廷グループだった。軍事に明るい元勲がいない時代になると,適切な陸軍大臣参謀総長を任命できなくなっていた。東條の対米戦に否定的だった軍官僚を中央に復帰させたのは後任の梅津だった。平時なら中将止まりで予備役と思われた東條が対米戦を指導した。彼の英断は合衆国の警告により,中国戦線での毒ガス兵器の使用を止めさせた事だろうか。

中華帝国の侵攻がたった一回の日本と周辺の帝国に翻弄された古代イスラエルとでは比較にならないとは思うものの,イスラエルの滅亡に考えさせられる。両者に共通しているのは国際情勢にうとく,均衡外交に失敗している事だ。当たり前な集団的自衛権が問題になるような国家なら,せめて通商関税同盟の TPP くらいは認めたらどうだろうか。米軍に出て行ってくれと,言えば喜んで撤退するだろう。明治期に横浜に駐留していた英仏軍は,日本陸軍が整備されると速やかに撤退していった。駐屯はカネくいだ。イギリスのインド帝国のように防衛はインド兵にでもしない限り,元はとれない。かつての朝鮮満州経費の円価持ち出しを考えれば,分かる事だ。

海自がヘリ空母に上海空襲に活躍した空母「加賀」を命名したら,新華社が天皇の謝罪要求だ。9月の米中首脳会談で何が話し合われるのだろうか。日本に諜報機関すらないので,探る手立てもない。安保法制整備の前に,諜報組織の立ち上げだろう。まともに機能するのに30年かかる。フランスの分析だと,日本の商社が諜報機関に分類されている。創価学会もテロ監視対象組織の一つだ。滑稽だけれども,世界の見方は日本とは著しく異なるのは頭の隅に入れておいた方がいいだろう。フランスは信教の自由を標榜しているけど,仏教思想の無神論に不気味さを感じているのが本音だと思う。

大戦末期になっても,日本陸海軍は別個に,特攻艇を開発製造していた。震洋とレ艇だ。本土防空も別々だった。資源の取り合いをし,生産効率をいたずらに下げ,防衛戦争はデタラメだった。レーダも別個に開発し,海軍の方が優秀だった防空レーダ情報も陸軍防空司令部に有効に活用される事もなかった。瀬戸際になっても,合議制による意思決定を続けていたからだった。何か,問題が起きたら,「双方誠意をもって協議するという」契約書を私自身,取り交わしてきた。

海軍が陸軍の下位にあって,陸軍が海軍を統御していたら,無謀な太平洋戦争はなかっただろう。本来,軍人は臆病なものだ。負けるとわかっている戦いは避ける。多分,安保法制も 意図的に曖昧な条項が埋め込まれているだろう。問題が起きてから,施行施策で一部のエリート官僚の談合により,政策が決定される。先の大戦のように,国家の命運は関係がない。陸軍省情報部は 1941 年の夏の情勢分析でドイツの対ソ戦の勝利見込みなしの判決をだしていた。では,何故,開戦したか。作戦部作戦課が主導した。対米戦に否定的だった軍務局の局長は中国にとばされた。悩みに悩んでの乾坤の決心ではなかった。新聞に踊らされていた国民も対米戦を望んでいた。

有事は「話し合い」では対応できないのだ。東條は合衆国と話し合い談合で危機を乗り越えようとした凡庸な役人だった。軍事指導者がいない国が,武力紛争に巻き込まれると,現場は大変だ。要綱を読むと,ペラペラだ。話し合いで,紛争に関わるのだろう。中国で,あれほど休戦協定とか,話し合いがうまくいかなかった反省はないようだ。日本人同士のように,話せばわかるは通用しないと学習したのに,もくあみか。中韓とのゴタゴタも処理できないのにと思う。原則がないから物事をつきつめて,考えられないのだろう。

こんな薄ぺらな要綱では,こんな場合はどうするの事案ばかりだろう。派兵して,トラブルが起きたら,現場が責任とらされるのだろうけど,現代で果たして,日本流が通用するかどうかだな。今日の毎日に元首相の苦言とあった。法案通過は既定のようだ。オーバキルとか過失について,意図的に触れていない。官僚はしたたかだ。悪意をもって,自衛のための殺戮も可能な条文だ。日本は人道の罪により極東軍事裁判で裁かれたけど,結局,罪の意識もないので反省もなかったのであろう。

太平洋戦争末期,日本の航空兵は覚せい剤を投与された。北朝鮮は覚せい剤を密輸するくらいだから,兵士に投与しているのは当然とみるべきだろう。朝鮮有事には,対抗して自衛隊も何がしかの薬物を隊員に投与するのだろうと思う。現代戦はマインドコントロールの戦いなのだ。多分,韓国軍は勝てないのだろう。南ベトナム軍は空軍も保有していたのに,あっさり北ベトナム軍に敗れた。在韓在日米軍が極東の安全を担保している。できるだけ朝鮮中国に関わらないようにするのが賢明だろう。フィンランドとかスウェーデンのかつての対ソ外交が参考になるだろう。抗日戦70周年記念に中韓の共同声明が出るのだろうか。歴史認識の声明が出たら日本外交の敗北だな。地道に人道貢献を掲げるしかないだろう。

参考
放射線量が特に高い地域でモミの形態変化を調査
要綱
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