笠に笠を被せる愚
どうもワイヤレス温度の気温が,まだ日光直射の影響を受けているようだ。実際の作物は日差しを浴び,太陽の輻射熱も含めた体感温度なのだろうけど,世の中に通用している気温は日陰(百葉箱内)の気温だ。
輻射熱の影響を避けてセンサに植木鉢を逆さまにして被せているが,上部には本来の排水用の穴が多数,明いている。その穴を塞いだらどうなるのか,ダンボールに植木鉢を鉛筆でかたどり,ハサミでカットして,千枚通しで吊るすひも穴を明けた。実際に,吊るしてみると,違和感がある。



穴の明いた笠に笠を被せるようなものだ。野球帽でも側面はメッシュでも頂部は被いがある。頭頂部を明けた帽子を被るのはゴルフとテニスくらいのサンバイザだろうか。昔のローラボーとかシャラポアのサンバイザ姿が実にさまになっていた。身分制があった江戸期の服装は士農工商で大きく違った。笠も身分により異なった。市民革命の起きたフランスでも帽子は身分の象徴だった。革命軍でも前代の習慣が引き継がれた。合衆国軍の兵卒の礼装帽が士官スタイルになるのはつい最近の事だった。
日本の警察が強制捜査のため,捜査員が建物に立ち入る際,私服姿の捜査員は戦前海軍の戦闘帽のような帽子を被っている。歴史の古い何とか製作所とかの作業帽もこのスタイルだ。日本人の体格からすると,洋式制帽はナチスのように似合わないのであろう。日本を占領した指揮官マッカーサは自分が勝手に誂えたフィリッピン元帥帽を被っていて,米軍兵の嘲笑の対象になっていた。太平洋戦争が終わったミズーリ艦上調印式の写真をみると,実に興味深い。連合軍側は平服制帽,日本軍側は略装ではないものの,帽子は略帽だ。米側は太平洋戦争において米海軍が主導権を行使していたが,政治となると話は別だ。政治的に占領軍の最高指揮権は米陸軍が握った。ハルゼー提督は略帽で式典に参加している。
米海軍は相模湾に大艦隊を集結させ,調印は横須賀の潮止めライン上だった。江戸期,幕府の許可なく潮止めを越えて,江戸湾に入る事は許されていなかった。ぺりー提督はそれを熟知して,侵入し水深測量と空砲を放った。衰えたとは言え,幕閣は米艦隊の武威を理解できた。家康の時代,先鋒をつとめた井伊家の彦根藩は浦賀有事に際し,3千人を動員したとされる。公称戦闘員は600とか800とされているが,お上へのウソの報告だろう。多くは関東でリクルートした日雇い後方支援要員だったのだろうと思う。近江農民が徴用された記録を目にした事がない。
一方,当時の朝鮮王朝官僚は列強の武威を理解できなかった。その差が近代化に遅れをとる事になった。西欧トルコ以外の近代化はどこも軍からはじまったから,どこの後進国も軍関係者がその国のリーダになった。武士が起こした明治の軍隊は昭和の頃には朝鮮風武官に変貌していた。米戦史番組が述べるように日本軍は官僚が指揮していた。平成の自衛隊も官僚が指揮する。硬直化した戦争計画は戦前より酷いかもしれない。全く朝鮮化してしまった日本の軍隊は有事の韓国軍同様米軍将官に指揮してもらうのが賢明だろう。
帽子と神輿は軽い方が良いといったのは自民党の実力者金丸だった。その政治手法を継承したのが小沢一郎だ。官僚とかテクノクラートが政治の実権を掌握している国々は結構,多い。朝鮮,中国,ロシア,フランスそして日本だ。日本もフランスも中央集権だけれども,フランスには古代ローマ以来の法の精神と大統領選挙がある。日本は内閣総理大臣が合憲違憲を判断する独裁だ。戦前よりも復古の明治国家と同じになった。憲法判断は内閣でも議会でもない。最高裁がするのが民主義の常道だけど,今は大正デモクラシーよりも後退した感がある。戦前との違いは自衛隊が米軍に従属して戦前の陸海軍のように暴走しない事だろう。とは言え,戦前のように急進的な軍官僚が昇進するようになれば,国家を引っ掻き回すようになるのはあり得る。
戦前,日本陸軍が目指したのは対米戦ではなく,国家の総動員体制だった。戦争が目的ではなく国家統制が主目的だった。現首相の今のコメントとさして違わないのに驚かされる。政治の意思決定は戦前と同じだ。大きく異なるのは外交関係だ。戦前の対米強硬路線から対米協調に変っただけだ。戦前も,ワシントン軍縮体制下では英米協調路線だったから,今の協調関係も急変するかもしれない。
戦前の失敗は中国に深入りした事だった。日中間の権益争いの発端は朝鮮だった。自動車産業界が北朝鮮の労働力を欲しても,朝鮮有事にも関わらないのがいいだろう。古代,日本は朝鮮が混乱すると難民を受け入れてきた。近江は朝鮮系の神社寺がやたら多い。地の祭り囃子もリズミカルな朝鮮風だ。満州事変後,満州に移民した多くは日本人ではなく中国人と朝鮮人だった。米国務長官は鋭くその点を指摘したが,日本は聞く耳を持たなかった。
輻射熱の影響を避けてセンサに植木鉢を逆さまにして被せているが,上部には本来の排水用の穴が多数,明いている。その穴を塞いだらどうなるのか,ダンボールに植木鉢を鉛筆でかたどり,ハサミでカットして,千枚通しで吊るすひも穴を明けた。実際に,吊るしてみると,違和感がある。



穴の明いた笠に笠を被せるようなものだ。野球帽でも側面はメッシュでも頂部は被いがある。頭頂部を明けた帽子を被るのはゴルフとテニスくらいのサンバイザだろうか。昔のローラボーとかシャラポアのサンバイザ姿が実にさまになっていた。身分制があった江戸期の服装は士農工商で大きく違った。笠も身分により異なった。市民革命の起きたフランスでも帽子は身分の象徴だった。革命軍でも前代の習慣が引き継がれた。合衆国軍の兵卒の礼装帽が士官スタイルになるのはつい最近の事だった。
日本の警察が強制捜査のため,捜査員が建物に立ち入る際,私服姿の捜査員は戦前海軍の戦闘帽のような帽子を被っている。歴史の古い何とか製作所とかの作業帽もこのスタイルだ。日本人の体格からすると,洋式制帽はナチスのように似合わないのであろう。日本を占領した指揮官マッカーサは自分が勝手に誂えたフィリッピン元帥帽を被っていて,米軍兵の嘲笑の対象になっていた。太平洋戦争が終わったミズーリ艦上調印式の写真をみると,実に興味深い。連合軍側は平服制帽,日本軍側は略装ではないものの,帽子は略帽だ。米側は太平洋戦争において米海軍が主導権を行使していたが,政治となると話は別だ。政治的に占領軍の最高指揮権は米陸軍が握った。ハルゼー提督は略帽で式典に参加している。
米海軍は相模湾に大艦隊を集結させ,調印は横須賀の潮止めライン上だった。江戸期,幕府の許可なく潮止めを越えて,江戸湾に入る事は許されていなかった。ぺりー提督はそれを熟知して,侵入し水深測量と空砲を放った。衰えたとは言え,幕閣は米艦隊の武威を理解できた。家康の時代,先鋒をつとめた井伊家の彦根藩は浦賀有事に際し,3千人を動員したとされる。公称戦闘員は600とか800とされているが,お上へのウソの報告だろう。多くは関東でリクルートした日雇い後方支援要員だったのだろうと思う。近江農民が徴用された記録を目にした事がない。
一方,当時の朝鮮王朝官僚は列強の武威を理解できなかった。その差が近代化に遅れをとる事になった。西欧トルコ以外の近代化はどこも軍からはじまったから,どこの後進国も軍関係者がその国のリーダになった。武士が起こした明治の軍隊は昭和の頃には朝鮮風武官に変貌していた。米戦史番組が述べるように日本軍は官僚が指揮していた。平成の自衛隊も官僚が指揮する。硬直化した戦争計画は戦前より酷いかもしれない。全く朝鮮化してしまった日本の軍隊は有事の韓国軍同様米軍将官に指揮してもらうのが賢明だろう。
帽子と神輿は軽い方が良いといったのは自民党の実力者金丸だった。その政治手法を継承したのが小沢一郎だ。官僚とかテクノクラートが政治の実権を掌握している国々は結構,多い。朝鮮,中国,ロシア,フランスそして日本だ。日本もフランスも中央集権だけれども,フランスには古代ローマ以来の法の精神と大統領選挙がある。日本は内閣総理大臣が合憲違憲を判断する独裁だ。戦前よりも復古の明治国家と同じになった。憲法判断は内閣でも議会でもない。最高裁がするのが民主義の常道だけど,今は大正デモクラシーよりも後退した感がある。戦前との違いは自衛隊が米軍に従属して戦前の陸海軍のように暴走しない事だろう。とは言え,戦前のように急進的な軍官僚が昇進するようになれば,国家を引っ掻き回すようになるのはあり得る。
戦前,日本陸軍が目指したのは対米戦ではなく,国家の総動員体制だった。戦争が目的ではなく国家統制が主目的だった。現首相の今のコメントとさして違わないのに驚かされる。政治の意思決定は戦前と同じだ。大きく異なるのは外交関係だ。戦前の対米強硬路線から対米協調に変っただけだ。戦前も,ワシントン軍縮体制下では英米協調路線だったから,今の協調関係も急変するかもしれない。
戦前の失敗は中国に深入りした事だった。日中間の権益争いの発端は朝鮮だった。自動車産業界が北朝鮮の労働力を欲しても,朝鮮有事にも関わらないのがいいだろう。古代,日本は朝鮮が混乱すると難民を受け入れてきた。近江は朝鮮系の神社寺がやたら多い。地の祭り囃子もリズミカルな朝鮮風だ。満州事変後,満州に移民した多くは日本人ではなく中国人と朝鮮人だった。米国務長官は鋭くその点を指摘したが,日本は聞く耳を持たなかった。
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