民族大移動と諜報活動
池上彰が中東地域からのイスラム系難民を「民族大移動」と,捉えているようだ。確かに,単身での移動ではなく妻と子を伴っているけれど,古代の蛮族の移動とは余りにも異なる点を見逃している。
1.古代の移動は家産(道具,家畜)を保有していたし,武装もしていた
2.リーダに率いられていた。というか,衆議決議して移動した
ギボンのローマ帝国衰亡史によれば,ローマ軍団がブリタニアを去った40年は平和裏に推移したが,最初はヘンギストなる指導者に率いられた3隻が請われて移住し,次は17隻,そして40隻のゲルマン人(アングル,サクス,ユート族)がやってきた。次々に大陸から移住し,しまいにはブリタニア人を西部に追いやり7王国を建設した。軍神オーディンを奉ずる共和政体とされる。さらに時代を経ると,これら部族はキリスト教化されて,古代ローマ時代に教化されたブリタニア人が押し込められたウェールズは土俗キリスト教に変容していた。日本も記紀によれば,天孫系は大陸由来の出雲と飛鳥の部族だろう。日本の場合は鉄器を用いたケルト系のブリトン人と違い,大陸から鉄器養蚕まで持ち込んだから,新大陸の先住部族対移民ほどの違いはないにしても文明は隔絶していたに違いない。大陸の前漢は朝鮮に楽浪郡を設置していたが,それ以降中国が朝鮮を直接支配する事はない。おそらく北方西方の遊牧民対策に追われたのであろう。日本の飛鳥政権も九州南部関東(不破の関以東の現中部日本)よりも朝鮮に関心を示した。
上記の様な移動を Invasion 侵略という。古代蛮族の奴隷は少なく,部族内の成人男子は族長の兵士(被雇用)ではなく戦士(自由)だった。やはり現代の移動は民族大移動というよりは難民とか流民の移動だろう。治安を担保するのが警察とか軍だが,シリアイラクでは機能しなかった。ISは中国の僻地西安に共産主義を標榜する武装政権ができたのと大した違いはない。
中東は治安が保たれた都市を出ると,盗賊が出没する時代がいまだに続いている。ベドウィンとかクルドは国境に関係なく移動している。中東が平和だったのは帝国が支配していた時だけだ。直近だとオスマン帝国だ。大抵の帝国は治安がよく,抑圧された難民が殺到する。かつてのオーストリア帝国は多数のユダヤ教徒が流入した。そしてオスマン帝国との防波堤ともなった。しかし西方ではプロテスタント諸国と血みどろの戦いを続けた。
オスマン帝国は簒奪したビザンチン帝国内のキリスト教徒から利発な男子を徴発し,精強な騎士に育成した。銃騎兵の発祥はおそらくオスマン帝国だろう。海外から戦士を徴募するISの国家運営スタイルはオスマン朝と本質では同じだろう。ISが世襲になるほど存続するかどうか。単なる山賊にとどまる可能性も高い。一般に軍指導者に限らず組織が世襲化すると弱体化する。太平洋戦争時の日本陸軍の高級将官も将官の息子が目立つ。テロに特化すれば,アサシンの語源ともなった狂信的教団になる。私が若い頃,西欧日本にはびこった極左暴力と似通った一面がある。疎外されていると思い込み,その感情がルサンチマンに転化する。豊かな文明国に発生する一種の文明病だ。日本の極左がお手本にした北朝鮮,PLO,キューバらは全て,日本よりはるかに貧しく,思想の自由は皆無の国々だった。ISも同様だろう。なぜ,このような事が起きるのか。文明病としかいいようがないか。
日本列島では,西欧のような暴力による大量殺戮はどうも余りなかったようだ。華南から先行して渡来した稲作民との深刻な争いがどうして起きなかったのか。稲作文化は麦作より平和的で麦圏文化に支配されるという。中国とインドの場合がそうだ。メコン米作流域の覇権争いもある。日本は戦乱の時代があったとはいえ,領主権の争いに終始して農民が大量虐殺される事がなかった。そんな日本の中央政府が大陸に軍事介入した時期は3回しかない。おそらく稲は収率が多く民を扶養できたせいと大陸の中国が強大過ぎたからだ。国民が好む信長すら貨幣を中国に依存していた。ただ,日本の武士は中国や朝鮮の兵士と異なり武器を愛好し,島津義久とか名だたる侍大将は銃の名手として誇りをもっていた。イングランド王がトーナメント(騎槍試合)に熱中したのと同じ。西欧の領主も日本の領主も封土の維持獲得が最大関心事だった。
西欧は全欧安保会議で領土の固定化が定められた筈だが,ソ連崩壊に引き続きユーゴ紛争,ウクライナ紛争が起きた。新生ロシア連邦もチェチェンとか民族紛争が続いている。中国のバブル崩壊にともない資源価格が暴落しロシア中東産油国経済に大きな影響を及ぼすだろう。確かにシリアイラク難民は西欧の大きな問題だが,EEC の時代からすでに西欧大都市の簡易宿泊所はイスラム系若者で溢れていた。彼らが礼拝しているのを見た事がないし,服装も西欧人と一緒だった。そんな彼らの息子とか孫がジハードとは全く理解しがたい。太平洋戦争中,皇国兵士の多くは農民の倅だった。数世代前は共通語も通じない軍隊だった。それが特攻玉砕を当然とする兵士に変った。おそらく国粋教育のせいだろう。
おとなりの中韓の反日教育は徹底している。中東の反西欧の比ではないだろう。世界不況が深化していき行き場のない中韓の若者のルサンチマンの対象が為政者ではなく,日本そのものになる可能性がある。反日教育は韓国朝鮮の方が圧倒的に長く建国以来だ。統一朝鮮は日本にとり悪夢そのものだ。かつてオーストリア帝国はユダヤ人のみならずスラブ族も包含していた。第一次世界大戦はセルビアでオーストリア皇太子がテロに倒れ,始まった。
日本の場合,テロ対策はイスラム系ではなく,朝鮮が主たる対象だろう。朝鮮が統一しないような布石を日本政府はしているのだろうか。公には内政干渉はできないので,諜報機関が必要だろう。安倍首相の祖父は戦犯容疑で逮捕されるような開戦時の商工省大臣だったけれども,合衆国の反共政策により CIA の援助もあり首相になれた。手っ取り早いのはやはり買収だろう。大して役に立たない軍備を整備する前に隣国への諜報活動が先だろう。
かつてのオーストリア帝国の版図だったチェコ,ハンガリーとかの反オーストリア運動とか聞いた事がない。反オーストリア教育もないのだろうか。つまるところ,合衆国は上手く立ち回り,ソ連はへたくそだっただけの事か。日本が対外的に率先して旗を振り回す事もなかろう。反日を反米とか反露に転化できる方策はないものだろうか。
とりあえず,中韓とお付き合い(交流)を減らすしかないのかもしれない。西欧の難民とテロから連想した。殉教はイスラムの専売ではなく,キリスト教徒も殉教した。韓国は儒教的キリスト教国だ。儒教の一派である朱子学は究極の忠義として皇帝への殉死を説いた。韓国の科学技術は底が浅く,数年で中国にキャチアップされるらしい。経済成長が止まると,反日が武力行使になるかもしれない。もうその頃には,重しの在韓米軍はいないだろう。
参考
21世紀の民族大移動が始まった
朴政権ショック 米軍精鋭部隊が撤退 反日強める韓国への警告
1.古代の移動は家産(道具,家畜)を保有していたし,武装もしていた
2.リーダに率いられていた。というか,衆議決議して移動した
ギボンのローマ帝国衰亡史によれば,ローマ軍団がブリタニアを去った40年は平和裏に推移したが,最初はヘンギストなる指導者に率いられた3隻が請われて移住し,次は17隻,そして40隻のゲルマン人(アングル,サクス,ユート族)がやってきた。次々に大陸から移住し,しまいにはブリタニア人を西部に追いやり7王国を建設した。軍神オーディンを奉ずる共和政体とされる。さらに時代を経ると,これら部族はキリスト教化されて,古代ローマ時代に教化されたブリタニア人が押し込められたウェールズは土俗キリスト教に変容していた。日本も記紀によれば,天孫系は大陸由来の出雲と飛鳥の部族だろう。日本の場合は鉄器を用いたケルト系のブリトン人と違い,大陸から鉄器養蚕まで持ち込んだから,新大陸の先住部族対移民ほどの違いはないにしても文明は隔絶していたに違いない。大陸の前漢は朝鮮に楽浪郡を設置していたが,それ以降中国が朝鮮を直接支配する事はない。おそらく北方西方の遊牧民対策に追われたのであろう。日本の飛鳥政権も九州南部関東(不破の関以東の現中部日本)よりも朝鮮に関心を示した。
上記の様な移動を Invasion 侵略という。古代蛮族の奴隷は少なく,部族内の成人男子は族長の兵士(被雇用)ではなく戦士(自由)だった。やはり現代の移動は民族大移動というよりは難民とか流民の移動だろう。治安を担保するのが警察とか軍だが,シリアイラクでは機能しなかった。ISは中国の僻地西安に共産主義を標榜する武装政権ができたのと大した違いはない。
中東は治安が保たれた都市を出ると,盗賊が出没する時代がいまだに続いている。ベドウィンとかクルドは国境に関係なく移動している。中東が平和だったのは帝国が支配していた時だけだ。直近だとオスマン帝国だ。大抵の帝国は治安がよく,抑圧された難民が殺到する。かつてのオーストリア帝国は多数のユダヤ教徒が流入した。そしてオスマン帝国との防波堤ともなった。しかし西方ではプロテスタント諸国と血みどろの戦いを続けた。
オスマン帝国は簒奪したビザンチン帝国内のキリスト教徒から利発な男子を徴発し,精強な騎士に育成した。銃騎兵の発祥はおそらくオスマン帝国だろう。海外から戦士を徴募するISの国家運営スタイルはオスマン朝と本質では同じだろう。ISが世襲になるほど存続するかどうか。単なる山賊にとどまる可能性も高い。一般に軍指導者に限らず組織が世襲化すると弱体化する。太平洋戦争時の日本陸軍の高級将官も将官の息子が目立つ。テロに特化すれば,アサシンの語源ともなった狂信的教団になる。私が若い頃,西欧日本にはびこった極左暴力と似通った一面がある。疎外されていると思い込み,その感情がルサンチマンに転化する。豊かな文明国に発生する一種の文明病だ。日本の極左がお手本にした北朝鮮,PLO,キューバらは全て,日本よりはるかに貧しく,思想の自由は皆無の国々だった。ISも同様だろう。なぜ,このような事が起きるのか。文明病としかいいようがないか。
日本列島では,西欧のような暴力による大量殺戮はどうも余りなかったようだ。華南から先行して渡来した稲作民との深刻な争いがどうして起きなかったのか。稲作文化は麦作より平和的で麦圏文化に支配されるという。中国とインドの場合がそうだ。メコン米作流域の覇権争いもある。日本は戦乱の時代があったとはいえ,領主権の争いに終始して農民が大量虐殺される事がなかった。そんな日本の中央政府が大陸に軍事介入した時期は3回しかない。おそらく稲は収率が多く民を扶養できたせいと大陸の中国が強大過ぎたからだ。国民が好む信長すら貨幣を中国に依存していた。ただ,日本の武士は中国や朝鮮の兵士と異なり武器を愛好し,島津義久とか名だたる侍大将は銃の名手として誇りをもっていた。イングランド王がトーナメント(騎槍試合)に熱中したのと同じ。西欧の領主も日本の領主も封土の維持獲得が最大関心事だった。
西欧は全欧安保会議で領土の固定化が定められた筈だが,ソ連崩壊に引き続きユーゴ紛争,ウクライナ紛争が起きた。新生ロシア連邦もチェチェンとか民族紛争が続いている。中国のバブル崩壊にともない資源価格が暴落しロシア中東産油国経済に大きな影響を及ぼすだろう。確かにシリアイラク難民は西欧の大きな問題だが,EEC の時代からすでに西欧大都市の簡易宿泊所はイスラム系若者で溢れていた。彼らが礼拝しているのを見た事がないし,服装も西欧人と一緒だった。そんな彼らの息子とか孫がジハードとは全く理解しがたい。太平洋戦争中,皇国兵士の多くは農民の倅だった。数世代前は共通語も通じない軍隊だった。それが特攻玉砕を当然とする兵士に変った。おそらく国粋教育のせいだろう。
おとなりの中韓の反日教育は徹底している。中東の反西欧の比ではないだろう。世界不況が深化していき行き場のない中韓の若者のルサンチマンの対象が為政者ではなく,日本そのものになる可能性がある。反日教育は韓国朝鮮の方が圧倒的に長く建国以来だ。統一朝鮮は日本にとり悪夢そのものだ。かつてオーストリア帝国はユダヤ人のみならずスラブ族も包含していた。第一次世界大戦はセルビアでオーストリア皇太子がテロに倒れ,始まった。
日本の場合,テロ対策はイスラム系ではなく,朝鮮が主たる対象だろう。朝鮮が統一しないような布石を日本政府はしているのだろうか。公には内政干渉はできないので,諜報機関が必要だろう。安倍首相の祖父は戦犯容疑で逮捕されるような開戦時の商工省大臣だったけれども,合衆国の反共政策により CIA の援助もあり首相になれた。手っ取り早いのはやはり買収だろう。大して役に立たない軍備を整備する前に隣国への諜報活動が先だろう。
かつてのオーストリア帝国の版図だったチェコ,ハンガリーとかの反オーストリア運動とか聞いた事がない。反オーストリア教育もないのだろうか。つまるところ,合衆国は上手く立ち回り,ソ連はへたくそだっただけの事か。日本が対外的に率先して旗を振り回す事もなかろう。反日を反米とか反露に転化できる方策はないものだろうか。
とりあえず,中韓とお付き合い(交流)を減らすしかないのかもしれない。西欧の難民とテロから連想した。殉教はイスラムの専売ではなく,キリスト教徒も殉教した。韓国は儒教的キリスト教国だ。儒教の一派である朱子学は究極の忠義として皇帝への殉死を説いた。韓国の科学技術は底が浅く,数年で中国にキャチアップされるらしい。経済成長が止まると,反日が武力行使になるかもしれない。もうその頃には,重しの在韓米軍はいないだろう。
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