2016/01/23

躓く幼少のイエスと現代日本社会

You Raise Me Up と称される歌がある。子供の頃,大抵は父親に肩車をしてもらった記憶があるだろう。幼児にとり父はパワーそのものだ。悪い事をすると,暗い家畜小屋に閉じ込めるのも父だった。世界を見渡すと,母性原理の土俗信仰が多数を占めるが,世界を支配しているのは儒教も含め,父性原理ばかりだ。この歌を聞いて,You が母親もしくは アマテラス とかの女神を連想するのは少ないのではなかろうか。落ち込んだとき,何とよびかけるか。My God,My Father あたりか。My Mother と呼びかけるのは極小だと思う。この曲は賛美歌でもないが,何がしかの宗教性を感じる。救済思想と戒律のない宗教は宗教ではないとされる。日本の宗教は戒律がないから宗教ではないし,儒教に救済はないからこれも宗教に当てはまらない。

そのせいか太平洋戦争中,自艦が沈み海に放り出された日本海軍の若い水兵は,どうも最後に天皇陛下万歳と言わずに,母親を呼んで沈んでいったらしい。戦記を読むと,救命胴衣を身につけず海面を漂わされている。海防艦とか駆逐艦の方が未熟な水兵だと助かる可能性は高かったかもしれない。両者の艦長の階級は大尉と中佐だ。このクラスの艦長は部下の生命に気を使っている。日本の組織が強みを発揮するのは中隊規模(150-200 程度)とされる。リーダが部下の顔を覚えられる数が上限のようだ。大艦の大佐になると省部と軍令部の勤務が主で,海上勤務は少ない。そして,軍令部がミッドウェーとガダルカナルでの艦長の兵卒より早い退艦を問題視してその後,艦長の早期退艦を禁じたから,武蔵,信濃とか大和をみても沈むとわかっても,部下が退艦準備を始めても,なかなか総員退艦命令 Abandon Ship を出さないせいか戦死者が多い。戦艦の戦闘時の乗員は 3000 名を超えた。英戦艦のドキュメンタリフィルムをみたら,救命ボートが艦体にぶら下げてあって乗員の人命救助に注意が払われていて感心した。英海軍は伝統的に水兵への懲罰は小学校教育同様,体罰はごく普通だった。海水に浸したマニラロープを使用する。学校の先生は鞭を使っていた。近代以降も英国では水兵と子供のしつけは家畜並だった。日本海軍は私的制裁はあるは,士官は下士官の水兵に対する横暴を座視していた。助かるためには要領のいい下士官に従わざるを得なかった酷い組織だった。単独で入水するのはあり得ない。海自は陸自にはないイジメによる自殺者が出るから戦前海軍の遺風が残っているのだろう。日本の輸送船はよく沈められたから,船体に浮きとか木材を吊り下げていた。多分,民間の徴用だから可能だったと思う。こんな非常事態に日本の神はあてにならないだろう。やはり,男神と信頼し得る指導者ではなかろうか。海自は総員退艦の傾斜角度を定めているのだろうか。日本の原発もどのような事態になったら運転員が退避するのか,再稼動しているけどよく見えない。海軍の総員退艦同様,適当なのだろう。私もいくつかの組織に身をおいてきたが,後よろしくといって,退社する上司ほど大組織出身だった。不思議とそういうタイプほど,ゴマすりが上手で社内遊泳に長けていた。

先の曲に映画 Passion の動画を付けたビデオクリップがある。昔,家人がビデオを借りてきてくれてこの映画ビデオをみた。幼いヨシュアが躓き転ぶと,母マリアが抱き上げるシーンがこのクリップに入っている。こんなエピソードは新約に記述がないが,聖書にあった「躓く」とはこれなのかと,そのとき感激させられた。女の涙ほど美しいものはない。原始キリスト教はローマに広まっていた異教を取り込み,西方のカトリックは大きく変貌した。カトリック教会へ行くと,なんでこんな惨めな死に至った磔刑のイエスを拝むのか理解に苦しむ。カトリックは聖母マリア崇拝を打ち出し,イタリアスペインなどはイエスを崇拝しているのかマリアを崇拝しているのかわからなくなる。さらに教会固有の聖人もある。キリスト教はこうでもしない限り,原始キリスト教に勝てなかったのだろうと思う。カトリック信仰にはかけがえのないピエタがある。他方,ユダヤ教もイスラム教も女性の地位は著しく低い。創世記にあるようにイブはアダムの付属物だった。厳格なユダヤ教徒の律法はエルサレム市内を走るバスでは女は男の前の座席に座ってはならないとする。しかし,イスラエル国民の多数派は東欧ロシア系出身の無宗教ユダヤ人だからこそ,女性のメイアが首相になった。

Passion のイエスは高身長のイケメンだ。雑誌 Nature を読んでた頃,イエスがエジプト人らしい顔つきだったとする記事を読んだ事があった。非西欧人からみれば,イエスは中東の出自なのだから当たり前だと思うが,エホバの証人のイエス像はどうみてもコーカソイド系だ。Passion のイエスは鼻緒のついたサンダルを履いている。聖書に再三,履物の塵を払いなさいとあるから興味深い。ギリシャローマ兵士のサンダルには鼻緒がない。日本陸軍は師団長でも地下足袋で行軍したし,私の父のような水兵はズック靴だった。当時の米陸海軍は皮ブーツだった。今では男の兵士は世界中,ISであろうと人民解放軍ですらブーツになってしまった。イスラエルは女性も含め国民皆兵だ。ネット検索したら,イスラエル女性兵士用サンダルは鼻緒のない西欧タイプだ。私は夏の間,車の運転とかも家人が買ってくれたのもこのタイプだ。子供の頃は鼻緒のついた下駄をはいたけど,今では鼻緒がない方がいいかなと思うようになった。戦前の朝鮮人は日本人の下駄を嫌ったそうだ。中国の映画では,日本人スパイかどうか見分けるのに鼻緒の影響がある足指の隙間をみるのが定番だ。イラクに現存するグノーシスを信仰する洗礼では鼻緒付きサンダルを履いている。イエスとエッセネ派との類似はよく引き合いに出される。エッセネ派は不浄を嫌い,白い衣服をまとい沐浴をよくした。古代のバプテスマはこんな感じだったのだろう。神道のミソギは世界的に見て,別に特別でもなくごく普通にみられる祭儀だとわかる。

しかし,イラク市民は西欧式サンダルだ。ムスリムが多数の国で個人崇拝となる像を立てるのは無理があった。古代イスラエルのギリシャ化したヘロデ王はエルサレム神殿にローマ風の神像を幾つも立てて,伝統的ユダヤ人の反感を買った。原理原則が変わらない限り,歴史は繰り返される。イエスはエルサレム神殿の前で怒りを爆発させたが,実際の人物像は丸顔セム系であるこの両者の方がPassion のイエスより実際のイエスに近いだろうと思う。
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以下のイラク市民犠牲者の履物をみれば,西欧式が普通だと確認できる。
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グノーシスは新プラトン主義を知ったときに,知った。今は,西欧では欠かせない正統と異端思想のなかにある。物事は対立とか裏を見るとか相反する見方をしないとわからない。異端を知ってこそ正統思想がわかる。エッセネ派的なバプテスマ信仰がイラクチグリス河畔に残っていたとは驚きだ。古代ユダヤ教にしろ,エジプトの一神教,バビロニアの神々さらにはペルシャのゾロアスタ教の影響もある。ユダヤ部族はカナンに侵攻した際,征服先の雷雨神を乗っ取ったらしい。それがヤーウェだ。その途中で火山の火の神も付け加えられた。だから,海よりも山がキーワードになる。部族レベルの社会構造は洋の東西を問わない。というか原始社会に何がしかの普遍性があるのだろう。

今,北シリアで原始キリスト教を信仰する部族は武力紛争で滅亡に瀕している。生き残るためには棄教して改宗しなければならないだろう。戒律のない日本教を信じている我々には,なぜ信仰に拘るのかわからない。しかし古代ギリシャでは信仰のない者は奴隷であった。奴隷は Human ヒトではないから信仰がなかったそうだ。奴隷社会といっても,日本の場合,奴隷の占める割合は多くとも 10% 程度のようだ。現代日本の過労死問題は個人に信仰がない奴隷状態が何がしかの影響を及ぼしていると考えた方がいい。古代ギリシャの奴隷の割合は異常だった。経典の民は部族社会の段階を過ぎると,神と個人の関係が 1:1 になった。キリスト教会はイエスは全人類の罪を負ったと説教するが,イエス最期の言葉には,こうある。「わが神、わが神、。。。」 素直に読めば,個人の救済を求めているのではないか。 英訳でも “My God, my God, why have you left me?” となっている。これが,どうして Our になるのだろうか。上村静という面白い宗教学者がいる。彼は牧師の家庭に育ったが,両親の説はウソばかりだとユダヤキリスト教学を勉強したらわかったと,笑いながらインタビューに答えていた。マモンについても言及しているらしい。

現代日本では,金の事を心配せずに暮らせるヒトがいるのだろうか。国会はどう税金を集め,どう使うかで絶えず紛糾する。古代イスラエルは貨幣経済だったので,イエスも金に関してかなり言及している。西欧でもピューリタン(ユグノー),フス派,カルバン派いろいろあった。欧州での宗教闘争に負けたピューリタンは北米植民地に逃れた(イミグレ)。そのなかから Time Is Money の拝金主義の権化フランクリンが現れ,現代合衆国資本主義に至る。一方,クエーカとかアーミッシュも合衆国にはいる。どちらもプロテスタントだ。個人,コミュニティ,金および信仰をどう考えるかというか,どう生活するかだ。日本の資本主義は集団主義のせいか資本家がよくみえない。

ここ30年近くの日本経済の停滞(ほぼゼロ成長)は大げさにいえば,社会のあり方とか個人の生き方に起因するように思えてきた。個人が埋没した横並びの社会では,イノベーションは出る釘は打たれるの類で難しい。合衆国のノーベル経済学者が日本のこの点を批判している。明治維新の頃は,現代中国の近代化のように欧米モデルがあった。現首相の唱える明治に復古しても,先行モデルがないのだからダメだろう。現代日本社会の元を辿り,家族構成とか日常生活を考えると江戸期綱吉の時代に遡るのではなかろうか。NHK 大河ドラマをみても人気があるのは戦国期と明治維新だけだ。どちらも個人が闊達としていたハイリスクハイリターンの時代だったとされるが,それは幻想に過ぎない。京の権門は嘆いて下克上と言った。下克上はどうみても,現代日本では無理だ。規制緩和もできない。今のままだと自由競争を否定する過疎対策に巨費を投ずる国家になりそうだ。

これは古代ローマ帝国の崩壊と同じだ。古代ローマは蛮族の侵入で亡びたのではない。帝国の辺境市民に提供するサービスが帝国財政を毀損したからだった説がある。最初は関係がないと思っていたかの学者が指摘する「草の根民主主義」を考えた方がいいかもしれない。

参考
Martin Hurkens - You Raise me Up
You Raise Me Up Passion
Yeshua of Nazareth: What did he look like?
法医学者が”キリストがどんな顔だったか”
IDF ARMY ZAHAL Source Woman soldier Sport Hiking Sandal
Mandaean Sabians gather on the banks of the Tigris River for a ceremony known as the Golden Baptism
ヘブライ語の雑学
マモン
Operations Manual Chapter 31W - War Abandon Ship Bill
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