2016/06/01

ネット張りとポット移動

20年以上,屋外に曝したまま使われていない洗濯ロープをゴーヤのネット展張に使用した。その写真を示す。右端上方にロープの端を固定するためアングルをネジ止めしている。左方は軒下の樋受けを利用している。どうもゴーヤはぶどう棚のように棚状に展開するのが正規栽培のようだ。実際,アサガオの「手」のように簡単につるが巻き付かず不器用な植物だ。あるサイトでは角度は70°以下とある。
GoyaNet.jpg 

上面はできるだけ大きい直角三角形にしたかったが,Daiso の 1.8x1.8 では無理だ。これだと地面から 1.2m のスキマができた。地面に設置されたゴーヤは実際にはどんな直射日光を浴びているのか,ローアングルから西日を撮影してみた。
GoyaGyakko.jpg 

立ち木が遮蔽物になるのがわかる。明治維新により,幕府が倒れると中仙道の街道筋に整備された街道樹が伐採されたのも頷ける。農民は日陰を嫌うのであろうか。この界隈は幕府の天領で街道樹の伐採はご法度だった。しかし関東の府中街道,日光街道は立派な並木が残った。関西人のルーツが朝鮮中国の大陸系渡来民の末裔で,関東は縄文人の末裔の違いからくるのかもしれないと妄想する。

朝鮮大陸の倭人だった古代の天皇が近代の天皇になると,植樹祭を大々的に執り行うのも不思議だ。天皇公家が森林の涵養に関心があったとは思えない。明治政府が江戸幕府の遺政を継いだのだろうか。大阪市民は街路樹の落ち葉が嫌だと言って伐採した。私の住んでいる市でも川端に立派な大樹があっても伐採して,背の低い手間のかかる樹木に替える。出入りの造園業者へのはからいもあるのだろうか。彦根には立派な大樹がある閑静な住宅街がある。昔の武家屋敷の名残だそうだ。彦根藩士は元来,東海の地侍(国人)だった。藩主は井伊家だ。九州,関東東北には立派な街路樹が多い。やはり,畿内に街路樹が少ないのは大陸ルーツのせいではなかろうか。畿内に定着した渡来系がなぜ,日本を統一できたのか。恐らく大陸風の集団戦闘に習熟していたのであろう。大伴とか物部は軍事に秀でていたが,後に没落する。いつの頃か,天皇を簒奪しようとする豪族もなくなった。不思議な歴史である。

家人からポットの位置にクレームがあったので,0.9m 移動した。ポットならでは簡単さだ。この窓の大きさなら3株ほど必要だと,出入りの業者が説明したそうだ。それとゴーヤ栽培失敗のリスクも考え,アサガオのプランタも併置するつもりだ。予備のネットを買ってアサガオは東向きで前述のスキマ 1.2m ほど育成してから西向きに移動しようと思う。
PotMove.jpg 

北向きの半日陰ベランダでゴーヤを栽培しているサイトがある。ハンギングプランタだから,時間は短くとも日光が直射するけど,私の場合は西向きでも積雪が溶けない場所だ。南中高度が高い6月と7月でどうなるか。


Daiso に行ったら,深さ 25cm のポットが 200円であった。
PotDaiso.jpg 

Daiso は売り切りなので来夏はあるかどうかわからない。買うべきか。やはり,今夏の栽培結果をみてからの方がよさそうだ。

彦根藩は譜代筆頭大名ながら幕末に,最初に倒幕に加勢した将軍家の逆臣だ。近江は京に近く情勢に明るかった。幕末,膳所彦根藩兵はほとんど戦闘していない。困った幕府は桑名会津藩兵に頼る事になった。ペリー来航の浦賀危機の際の動員も彦根藩は幕府に虚偽の数を申告していると思われる。というのは後方支援に徴発(軍役)される近江農民の一次記録をみかけない。馬は大量の飼い葉を必要とする。軍馬を大量徴用した形跡もない。全て金子で関東で徴発したのだろうか。関東の諸家が傍観していたのだろうか。史書にあるから真実とは限らない。少数の薩長兵で京都(朝廷)を影響下におけたのも意外だ。幕末の彦根藩は倒幕に加担して趨勢に乗っかった。そしてあっというまに官僚による中央集権国家が出現した

ちなみに政治家の細野,評論家の田原は近江出身だ。変わり身が早い。細野は策におぼれて小沢のようになるのかそれとも。。。幕末の井伊家と彦根藩の意思決定プロセスは実に興味深い。尾張とも密約とか結んでいたのだろうか。確か,倒幕に挙兵した長州の武装勢力はたった 300 だった。カストロがキューバ革命でハバナに進軍した際,30名にも満たなかった。李朝朝鮮は 200 に満たない日本兵が王宮に進軍すると崩壊した。王宮には俸給と武器を支給されていた武官がいたのにいつのまにか失せた。日本も似たような事が起きた。陸軍参謀本部の参謀が書いた本によれば,終戦2週間前くらいから陸軍省衛門の憲兵の姿が失せたそうだ。東アジアの官兵はそんな程度だろう。現代版官兵(特別公務員)衛隊はどうなのであろうか。進駐軍に抵抗しなかった旧軍警察を省みれば,幕府軍みたいなものか。薩長に抵抗したのは会津桑名長岡とかごく少数の藩だけだった。東電の原発は天皇の逆賊となった地に建設されている。

参考
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