本土防空を諦めた日本空軍
米海兵新鋭戦闘機 F-35B が 2017 年1月に配備されるらしい。「実際に配備されればアメリカ本土以外では初めてとなります」とあるから,米海兵は極東重視なのだろう。米海兵地上軍がグアムと豪州ダーウィンに撤退するから整合性はないようにみえるが,F-35 は高価な兵器だけれども,地上軍維持よりは費用対効果がいいとの判断だろう。
これに類する事が太平洋戦争でも起きた。ドイツが降伏すると,欧州の第8航空軍は B-17 から B-29 に機種変換をして沖縄に配備する予定であった。海軍の戦闘機は B-17 に対しても手を焼いていたから,不思議な感じがする。「陸軍は開戦後すぐに B-17のD型とE型を捕獲しており,十分な対抗策を考えうる可能性もあった」とある。本土防空の主務は陸軍が担当していた。
1942 年の初めに海軍は B-17 対策を立ち上げ,零戦の 20mm 機銃では性能不足とされ 30mm 機銃の開発を始めた。陸軍は同年12月末に B-17 対策委員会を設置した。 20mm 機銃の開発に立ち遅れたが,海軍の機銃を採用する機運は全くなかった。1944 年3月になって国産 20mm 機銃を装備し始めた。1943 年4月に陸軍は B-29 対策委員会を設置した。
高高度性能と重武装を備えた陸軍計画機は
キ83 1942 年5月開発着手
キ87 1943 年11月設計着手
キ102甲 1943 年8月開発着手
があった。実戦配備にこぎつけたのはキ102甲の15機だけだった。日本機の高高度性能不足にエンジンとりわけ排気過給機があげられるが,2000 HP 級のエンジン本体がプアだったのが原因だろう。P-51 の英国マーリンエンジンは機械式過給機+ハイオクだった。ドイツは低オクタンを直噴で補った。高高度を飛行するには高アスペクト比が有利なのは自明だけど,ドイツの Ta152 以外の日本機アスペクト比はどうだったのだろう。5式戦が最もアスペクト比が大きいが,武装が貧弱だ。
対 B-29 用に間に合わせるとしたら,20mm 機銃4門の高アスペクト比翼,1500 HPのエンジンあたりが妥当なところか。4式戦と紫電改では武装はそこそこでも対 B-29 用の高空高速性能がなかった。空襲警報は出せても,迎撃しても間に合わず無駄なので投弾フリーになった。関門海峡の機雷敷設も阻止できなかった。1944 年7月の B-29の 171 ソーティに対して撃墜数 1.75% が最良で 1945 年7月の 6464ソーティには対して撃墜数ゼロであった。
しかしながら日本各地の航空機工場を破壊したのは B-29 ではなく米艦載機だった。100 機以上の編隊で襲われると,日本の飛行隊単位6機ではどうしようもなかった。そもそも民間飛行機工場を守る発想もなかったかもしれない。海軍も 1945 年7月14日の青函連絡船壊滅にも船舶に避難警報を出していないようだ。三沢からは定時哨戒が出ていても機動部隊の触接に失敗したのだろうか。九州ではレーダ機載の水上機が夜間哨戒で機動部隊を察知しているのにこれも不思議だ。青函連絡船壊滅は北海道産の石炭と食糧途絶を意味した。当時の機関車はSL,省電は石炭火力だから貯炭が尽きれば輸送がストップする。
中小都市を焼き払っていた夜間の焼夷弾空襲の目的がよくわからない。復讐のためか。米陸軍航空隊の戦死者は,
US combat deaths in War against Japan
Army ground forces 40,382
Army Air Force 14,607
Navy 31,485
Marines 19,733
Total Asia/Pacific 106,207
だった。合衆国民はキルレイショ(交換比)を重要視する。無駄死にを許さない。一人の息子の戦死が敵国の多くの死になればいいと思う。パールハーバの損害が2個の原爆と等価と考える合衆国民が普通だ。だから,オバマが広島で演説した際,安倍はなぜパールハーバで演説しないのだという論拠になる。偏狭なピューリタン精神の一面ではある。B-29 が一機撃墜すると,11名が戦死する恐れがある。念には念を入れ夜間空襲をしたのか。戦争が終わって,夜の照明と寝間着に着替えて寝られる夜がうれしかったという市民の意見があるから,心理作戦だったのか。日本陸海軍の航空搭乗員,空中勤務者の戦死率は極端に高かった。ガダルカナル撤退の頃には,母艦機搭乗員がほぼいなくなった。飛行機の生産と異なり,搭乗員の養成に長い期間と経費を要する。雷撃機と艦爆は魚雷と砲弾の延長だった。弾道核兵器は特にコストパフォーマンスが極端にいいので大国は手放そうとはしない。
1945 年5月,陸軍は B-29 邀撃に使えそうな3式戦と5式戦を88機しか防空に割り当てていなかった。6月の稼働機が8月にになると,一桁増えている。水増ししたのだろう。合衆国のヒアリングだと九州陸軍機の稼働率は 20% だったそうだ。防空戦闘が成り立たないから,米軍の本土揚陸の際の一撃講和に賭けたのだろう。しかしその主敵,米陸軍航空隊要員のピークは 1944 年3月末だった。海外に赴任している航空兵のピークは 1945 年4月末だった。1943 年末に26千機あった練習機が翌年末には17千機に減っている。対枢軸航空戦を 1943 年に見切ったといえる。日本帝国の戦死者の過半数は終戦前の半年の間だったのと好対照だ。靖国に祭られている英霊は無駄死の人柱なのだろう。
陸軍は特攻機 1000 機を用意していた。その搭乗要員は 1925 名である。稼働率が20%でしかも125の飛行場に分散していた。朝鮮の飛行部隊には一人当たり 2.9 人の整備補給要員がいたけれど,内地は 2.4 人と少なかった。本土決戦と叫びながら,朝鮮台湾満州シナからの地上要員を引き抜く事ができなかった。最大の錯誤は最良の整備要員をレイテ決戦と称して比島に送り込み,メカニックをすり潰した事だろうか。軍事教練に慣れ親しんでいても,身近に機械がない日本だと航空士官がお役所的になっても仕方がないか。一方,九州揚陸戦邀撃に使える海軍戦闘機は雷電172,紫電376(恐らく紫電改を含む)だった。稼働率 50% とすると,250 機である。ただし,搭乗員はへっぽこだ。F6F F4U 相手に空戦に持ち込めるかどうかはなはだ疑問だ。鹿屋を米陸軍航空隊が使用するようになると,P-47 が加わる。沖縄航空戦はそれなりに航空戦を継続できたけれど,西日本航空戦は 125 の飛行場があっても,バトルオブブリテンのようにはいかないのではなかろうか。米軍は揚陸地点から 600 - 700km の飛行場の無力化を予定していた。日本の対空レーダは陸海軍別で,しかも最後まで高度が分からなかった。兵器の共通化,陸海空軍の統合が図られたとしても勝ち目はない。しかし無駄死は減ったはずだ。日本の邀撃がなくなると,B-29 は空襲予告のビラを散布し始めた。なんと県知事(内務官僚)は防空法をたてに市民の避難禁止命令を出したそうだ。原発災害の際にも,自宅待機と称して現代でも起こり得るだろう。
特攻もそうだが,なぜ無慈悲な意思決定がなされるのか。皇帝に殉ずる道徳規範を生み出したのは中国の朱子学だが,その対象は臣民ではなく臣だけである。中曽根康弘も靖国参拝のおり「臣」と記載した。戦前の日本は臣民思想を徹底した。天皇と臣だけに限定してもらうわけにはいかないのだろうか。結局のところ,リーダをどう選抜し国をどうするかだろうか。日本国という場合,国々という意識は国民に皆無だろう。合衆国は文字通り United States,英国は United Kingdom,ドイツロシアは連邦 Federation を名乗っている。
しかし,象徴が意志をもって民に意見を表明していいものだろうか。何らかの神性を帯びているのなら,沈黙すべきではなかろうか。天皇は世襲宗教の教祖と同じになりそうだ。英国王は英国教会の首長だ。しかし,国王はあくまでもヒトであり神ではない。神と God の隔たりがとてつもなく大きいのだろう。エリザベス女王の食事の様子がサイトにアップされている。
Darren McGrady, a former royal chef, has offered a rare glimpse into the normal diet of the Queen when she is not banqueting.
He reveals that Her Majesty eats four modest meals a day, hates potatoes, loves jam pennies, and rounds off the day with a gin and Dubonnet.
For breakfast she likes Cornflakes or Special K, with a spoonful or two of apricots, prunes or some macadamia nuts from a Tupperware box, or, when at Balmoral, woodland strawberries.
Sometimes she will have a boiled egg, or just toast and marmalade, with Darjeeling tea.
The Queen usually eats breakfast alone at 9am because the Duke of Edinburgh prefers to eat a little earlier at 8.30am
ジャガイモがお嫌いだそうだ。コーンフレーク,タッパウェアに入っているナッツ,ママレードトーストを食される。朝食にコーヒを飲しないのは英国だからか。
米陸軍航空隊は爆撃機の銃手 Gunner に発光信号のコードまで習得させていて,俳優のクラークゲーブルは覚えるのが苦手だったそうだ。ハリウッドの俳優が危険な第8航空軍のミッションに従事する合衆国民性を我が国の軍事指導者はアメリカ人は惰弱となんで決めつけたのだろうか。B-17 の胴体側面の銃座は効果がなく B-29 では廃止されている。
P-47 が配備された沖縄の伊江島から鹿屋まで 700km 未満である。沖縄レイテ揚陸のような護衛空母の長期間支援は必要なかっただろう。九州四国の飛行場破壊任務は護衛空母搭載の F4F 500kg と TBM 1t が担ったのかもしれない。日本は太平洋を障壁に出来ず,米海軍の潜水艦と護衛空母に破れたみたいなものだ。
伊江島の P-47 は対馬海峡まで飛来していた。朝鮮と本州九州との連絡を絶とうとの意図か。内地の米消費の 20% を朝鮮台湾に依存していたから,飢餓作戦の延長として理に適っていた。日本を徹底的に研究していた合衆国が太平洋戦争の戦後処理に失敗して中共が建国された。
リオ五輪のゲームをみていたら,やたら双頭の鷲を国旗に含む国が多い。この淵源はローマ帝国である。英国がEUからの離脱を決めた。家人が日本の国際連盟脱退と重ねて島国だなと言った。日本人の好きな国連は United Nations。Union は Empire とは異なるけど,彼らは暗黙にローマ法とキリスト教は当然と思っている。EUを脱退する英国にしても,ローマ法とキリスト教は当たり前というか,意識していないだろう。日本にはなじみのない概念だ。自由,所有(財産権)そしてキリスト教精神(隣人愛)のどれもが日本になかったものだ。人類が国を形成するのは農業を習得してからだ。ローマ法には土地所有と契約に関わる事柄が多い。日本は東アジア圏に属していたので均田制を取り入れた。西欧には長い長い中世封建制があったけど,日本には封建制はなかったとする史学者もいる。西欧の農奴は領主に貢納したけれど,保護も受けられた。領主の城壁内に農奴も避難した。日本は武士の世になると,郎党は団結したけれども隷属民を保護する事はなかった。戦乱になると,農民は山野に避難したのだ。
教育勅語は帝国憲法より上位概念だとするサイトをみてなるほどと思った。中国や日本の東アジアでは所詮,憲法は紙切れなのだろう。財産の保証(財産権)がないような国を相手に,どう友誼を通じたらいいのだろうか。合衆国は中国の門戸開放を求めて,日本と争った。中共が成立して,中ソを封じ込めようとして朝鮮ベトナムに介入したら,歓迎されなかった。東アジアの紛争に合衆国は介入する事はないだろう。国際法は元をたどれば,ローマ法だ。中国共産党の指導者が国際海洋法は紙くずと発言した。かつて日本は国際法規に基づいて日清日露戦争をしかけた。大東亜戦争開戦の詔には国際法規の言葉が失せていた。日本は国際ルールに逸脱していると自覚していた。
日本は3カ国と国境紛争を抱えている。この3カ国が同盟関係にならないよう分断しなければならないのだが,日本人にその自覚がないようにみえる。その3カ国が加盟しない TPP は有力なツールに成り得たかもしれないが,盟主の合衆国が関心を失い霧散した。
やはり,日本は太平洋国家ではなく東アジア圏の国として生きていくしか方策はないのだろうか。しかし,東シナ海は狭いな。日本の後期遣唐使は竜骨(キール)のない平底船で東シナ海を渡った。九州沖縄はある意味,地理的に中国に近すぎか。佐世保を出撃した空母加賀は翌日,上海を空爆した。
巡航ミサイルのある現代では,東シナ海は第二次世界大戦の英仏海峡より狭い感覚だろうか。中国との武力紛争は日本側のお手上げだ。高度 30m で飛行する巡航ミサイルの捕捉は空自の装備では全く不可能だ。合衆国は国境紛争に介入しないと再三,言明している。尖閣の事だ。では沖縄はどうか。海兵の沖縄撤退の意味は沖縄にも軍事介入しないとの意だろう。沖縄尖閣には合衆国の権益となるような利権がないからだろう。日本は南西諸島内に防御線を築かねばならないが,そんな機運が全くない。
合衆国は朝鮮とベトナムに介入したのは両国を南北に分割したものの,持ち出しの方が大きかっただろうと思う。ローマ帝国のブリタニア支配,漢帝国の朝鮮支配をみてもペイしない。駐留経費は高くつく。大英帝国のインドのように防衛費をインドに負担させられれば話は別だが。日本も合衆国の指揮権を認めて,兵力を拠出するインド方式になるのだろう。日本の無慈悲な軍事官僚よりは合衆国の指揮官の方がましな感じがする。
さて米陸軍航空隊は 1943 年に人員増強を止めたけど,米海軍航空隊はどうだろうか。確かに正規空母の増産は早々と止めたが,最後まで護衛空母の建造を続けていた。用途は対日戦向けとしてしか考えられないが,その運用は沖縄戦における宮古制圧と同じような済州島とか九州西部の無力化だろうか。九州揚陸Xディーは1945年 10ないし11月とされていたから,朝鮮の日本軍はソ連軍により無力化されていただろう。日本軍は建設機械もないので釜山の防御線を構築する時間的余裕もなかっただろう。
終戦時,中国に日本は100万人の兵力を配置していた。米軍を迎え撃つため本土の決号作戦のために根こそぎ動員した。招集された新兵は満足な給養が与えられず,農作物の窃盗が宮崎部長から報告されている。東条英機は開戦前の日米交渉で中国撤兵問題は心臓だと発言した。九州に米軍が上陸する状況になっても,陛下に国民は敢闘精神が欠けていると重臣となった東條は奉答した。中国の100万人が本土決戦に無力とみなさないのが,いかにも東條らしい。最後の陸軍参謀総長だった梅津は陛下に中国満州の状況を視察し,もう戦えないと報告している。彼は東條が左遷した参謀を呼び戻し,無謀な作戦を企画しつづけた服部を中国にとばした。
戦後,蒋介石を支援するために合衆国は師団規模の海兵を山東省に送っている。満州には B-24 が進出した。戦争終結まで建造を続けた護衛空母は東シナ海での作戦を想定していたのであろうか。多分,ソ連参戦後,ソ連地上軍が2週間で朝鮮に殺到するとは思いもしなかったのだろう。そしてウェデマイヤーが指摘するように中国と日本の戦いはまやかしだったのかもしれない。
現代の日中国境紛争を日中戦争の視点から顧みると,日中指導層の思惑に騙されてはいけないのではないか。デフレを解消するには戦争が手っ取り早い。日中友好の頃は,デフレ状態には両国とも程遠かった。
参考
- 関連記事
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- 台湾朝鮮米移入制限と合衆国徴兵制度
- 本土防空を諦めた日本空軍
- 救済思想と牧師の世襲
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