2017/04/02

伊勢神宮遷宮とモアイ像

太極殿と伊勢神宮の違い
文明を省みると,絶頂期に歴史に残る建築物を建設した途端,崩壊へと転がり落ち込むパターンが多い。イースター島のモアイ,クレタ島の迷宮,アテネのパルテノン神殿,ブルボン王朝のベルサイユ宮殿,カンボジアのアンコールワット,清朝の造園。多分,人々の間に繁栄しながらも衰退への予兆不安が建設へ向かわせるのだろうと思う。

伊勢神宮は20年毎に宮を再生する。国民の過半は無神論者である現代イスラエルは2千年前に喪失したエルサレム神殿を再興しない。ユダヤ厳格主義者も神殿建設を求めず,廃墟となった嘆きの壁が聖地になっている。日本人の心性は現代ユダヤ人よりは太平洋の孤島イースータの住民に近いだろうか。個人の宗教道徳より,集合意識だろう。やまとことばのマツリだろうか。

太極殿は律令体制のシンボルのようなものであり荒廃はすぐ始まったが,伊勢神宮の遷宮は営々と続き,今日に至る。政治的なものは一過性だが,宗教的シンボルには永続性があるようだ。

荘園の発達と摂関政治が当たり前になり,とうの昔に焼失した平安京の太極殿は再建されなかった。天皇は有力貴族の邸宅に住まい,宮殿は統治とは無縁の存在になった。中国からの使節を迎える必要性もなくなったせいもあるか。摂関家も荘園が衰退していくと没落し,上皇が院を名乗り坊居住まいとなった。院政期,上皇は治天の君と尊称されたが古代の軍事動員で発布された官符は無力なものになり果てていた。

高利貸しの淵源
お伊勢さんに参拝はするものの,伊勢信仰について,余りにも無知だった。喜捨,寄付,寄進。面白いのは神社界からの寄付がやーさんの上納金のように強制的になっている事だ。バチカンのかつての免罪符と似通っている。古代原始キリスト教の福音書にもイエスが貧しい寡婦が寄進する事を称賛している。古墳時代とかだと,建設労働自体が神事でもあったのだろう。それが貢納物さらに金に置換された。戦国大名は必勝祈願する際,神社への寄進は銭であった。日本で貨幣が流通するのは室町期である。

滋賀県に日吉大社がある。日吉信仰と京の土倉(金貸し)が関連があるのは知っていたが,詳細は知らなかった。日本最古の高利貸しは出挙と称され,朝廷が始めた。やがて,荘園の成立ともに山門の権威を背景として,日吉神社の神人は延暦寺の庇護を受けて,貢納の取り立てさらには貸付となったようだ。

応仁の乱の頃 1448 年 (文安5年)に斯波氏被官織田内者が日吉神人を殺害する事件が起きている。織田氏はこの頃から,天台宗山門の比叡山に連なる日吉神人層と対立していたようだ。日吉神社は関東にもあり,延暦寺の荘園が関東にも広がっていたのだろうか。貨幣が急激に関東に広まっていたのか。太田道灌が江戸を開いた際,日吉神社を転地勧進したせいか,家康は山王権現を保護した。

千葉に日吉神社が多いのは何故か。現代でも,北関東の宗派トップは天台真言系と知り千年前の山門の影響があるのかと驚かされる。宗教革命とかイスラム革命のない日本では宗教の永続性が長いのだろう。普段意識する事のない宗教だけれども,不意にその姿を現す。

言うまでもなく,お伊勢さんは皇室の氏神である。荘園制が崩壊して,貢が得られなくなり,禁中が荒廃しても,営々と伊勢神宮の遷宮が続けられてきた。太平洋の孤島のイースター島のモアイ像建設と環境変化がかなり調べられている。住民は文字を持たないので,年紀のようなものは一切ない。共同体意識を高め維持するために建設を続行したとも思えるが,建設事業を止めたくても止めらない何かが働いていた。政治と祭祀は切り離さるのが近代とされる。

日本の公共事業ではそうもいかないのであろう。そのルーツが伊勢遷宮だろうか。国人の連合体の棟梁だった甲斐武田氏は巨大な城郭を造らなかったとあるが,実態は造れなかったのだろう。家臣をサラリーマンのように扱えた戦国大名が壮大な城郭を建設した。伊勢神宮の遷宮経費は浄財と全国の神社に負担金が課せられる。神殿とか教会を維持するにはやむを得ない仕組みだろう。オリンピックの祭典も似たようなところがある。聖火とはなんと異教的か。古刹の秘儀は深夜に執り行われる。

古代ギリシャの悲劇も夜に演ぜられた。私の住んでいる地域では小さな社でも能楽堂が併設されている。おそらく中世の頃,夜に舞踏が奉納されたのであろう。モアイのイースター島,イングランドのストーンヘンジも夜に祭儀を執り行ったのかもしれない。ニーチェは夜に演ぜられるギリシャ悲劇に込められた人々のカタルシスを人間の弱さとみなし,ペシミズムを名付けた。近隣の演ぜられなくなった能楽堂とお伊勢さんの遷宮をみると集団の不思議さを感じる。伊勢参詣が流行り出すのは江戸期だ。古代の天皇が夢中になったのが熊野参詣だ。十字軍も過熱した巡礼といえなくもない。

小さな社で執り行われたいた浄化儀式が,民族国家単位で行われるようになる。新約によれば,イエスは神の家を汚すなと怒りを露にしている。年に一度の大祭,過ぎ越しの祭りの事である。エルサレム神殿の前では,銭により奉納する犠牲獣と交換できた。旧来のユダヤ祭儀に異議を唱え,祖法に戻れと説教した。それから,1500 年後,免罪符の販売をめぐり貧しいドイツで宗教改革運動が起きた。

銭による償い,厄除けの問題は西欧世界では大きな論争となり,ロシア共産運動にもその影響がある。前漢代に貨幣経済になっていた中国では,清朝末期に銭と贖いのキリスト教にヒントと得た太平天国の内乱が起きた。室町期に貨幣経済となった日本では,戦国武将が盛んに神社に銭による寄進を行っている。高利貸しとしての日吉神社の神人のイメージがいまひとつ,つかめない。西欧で集金した神父のような聖職者ではないようだ。

神社のお札ビジネスが伊勢神宮の遷宮費を賄う浄財とはしらなかった。
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今,首相夫人の寄付を巡り話題となっている。いつの世でも,権力者の母とか妻が改宗のさきがけになる事が多い。中国の歴史観で編纂された日本書紀の天皇は男系による万世一系とされるが,古代の中国歴史書ではヒミコは女性である。伊勢信仰の祭神のアマテラスは女神だろう。古代アテナイのパルテノン神殿に巨大なアテナ女神像が奉納されていたとされる。どうも我々が思い描く鉄兜を被ったアテナ像とは違うようだ。この写真をみると,「黒いアテナ」もあながち,ウソではないと感ぜられる。歴史とか現在進行中の事象でもつい,西欧のフィルターを通してみてしまう。古代ガリラヤ出身のイエスは現代エジプト人のような丸顔であった筈だ。

どだいアマテラスに像を思い描くこと自体が不自然なのだろう。あるのは形代だけである。貨幣のない時代から行われていた伊勢神宮の遷宮はいつから,銭の浄財がないと不可能になったのか。森友の 100 万円寄付騒動を思いながら,銭とマツリ事の奥深さを感じいる次第だ。

人々は不安を鎮めるために建設する。それが,弥生の環濠集落,原発の防潮堤,新国立競技場,万里の長城,パレスチナの壁,メキシコ国境のフェンスとなる。オランダ人,ユダヤ人およびイングランド人が入植した頃のニューヨークの地図と江戸を比較すると面白い。どちらも何を恐れ,何を重要視したか,その違いは今につながっている。少し前に,TVドラマのロストがはやった。邪悪な Something が侵入しないように以前の居住者がフェンスを設置していた。伊勢神宮の神域にフェンスは存在しない。社に垣がある程度である。古代エルサレム神殿の至聖所も狭い。しかし,どちらも高位の神官以外の立ち入りが禁じられている。

アマテラスは女神であったが,どういうわけか,江戸期の儒学者が日本が儒教の本家という説を打ち出した。その拠り所が日本書紀の皇統一系だった。仏教に帰依していた上皇朝廷から天皇を切り離し現人神として尊崇し始めた。国粋運動の始まりだ。

江戸期には,非常事態対応の征夷大将軍が統治していたけれども,国軍はなかった。清朝がイテキのイングランドに破れるという想定外のアヘン戦争に,日本国家の確立にせまられた。正確には国民の誕生が必要になった。文部省は教育勅語を発布しながら,修身の教科書には合衆国初代大統領のワシントンが選ばれていた。それが,日露戦争後,日米双方が仮想敵国とみなし,排日移民法が日本人の自尊心を痛く傷つけた結果,あっというまに鬼畜米のスローガンに早変わりした。この頃のキーワードは国体と皇国である。明治の頃は帝国(立憲君主制)と名乗っていたのが,皇国(神政一致)に変わった。

100 万円の首相夫人の寄付先がアナクロの幼稚園だった。戦前も今も世情に疎い教育者には,ついていけない信条をもつ熱心なヒトが結構いる。私が子供の頃は,マルキストが多かった。今は時代がかわって,天皇尊崇が増えているのだろう。今でも体育の授業は戦前のやり方を踏襲しているから,教育勅語的なものの導入に教育委員会は大して違和感はないだろう。戦前は,上意下達,親米から反米への転回は一瞬の出来事であった。現代の新国体明徴運動は反中親米である限り,合衆国政府は異議をさしはさまないだろう。

万機公論はどこへ消えた?
しかし,国会での統帥権干犯問題から満州事変まで,たった1年であった。イースータ島には建設途中のモアイが多く放置されている。計画的に建設を止めたのではなく,何らかの事情により全て廃棄したのだ。現代日本に 3.11 ではそれに近い事が起きた。ドイツの電力会社のように原発を止められて,政府を訴える国内の電力事業者は一社もなかった。

よぼよぼの天皇が譲位するのにも国会が何故か,全会一致を目指そうとする。異論百論噴出で議論するのは良い事とはみなさない空気がある。どんな社会でもタブーがある。合衆国だとレイシストとみなされたら,社会的に終わりである。日本だと菊問題(天皇)がそうだ。アナクロ幼稚園が脚光を浴びるのは一君万民を掲げる教育勅語を奉っているからだ。そのうち行政の力で尊王の学校をつぶすのはけしからんという空気がでてくるだろう。悪いのは官僚政治家だ。。。

参考
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