2017/10/20

歴史認識と日本経済崩壊 メノナイトの中国製トラクタ組立

映画 Matrix で主人公に「これは終りの始まり」と告げるシーンがあった。TVドラマロストにはタイトル自体にそれがあった。西欧啓典の民の独特の時間感覚というか,中東の辺境にあった弱小カナンの人々が創生した神話がやがてローマ帝国まで呑み込み,現代の合衆国に至った。換言すれば歴史認識である。終りとは終末思想である。終わりがあるなら,預言というアイデアも生まれる。一方,転生を信ずるインド思想にあって,仏教は「生」を苦とまでとらえるようになった。中国日本の末法思想とは著しく異なる。バビロン帰還後のユダヤ人は異民族(ギリシャ人)支配による迫害苦境のなかで,メシア(救世主)を期待するようになる。私のような異教徒の現代日本人が読むと,荒唐無稽なお話にしか読めないが,イエス期,古代中世では現実味があった。それだからこそ,異端派を生み,十字軍の熱狂となった。新約に黙示録がある。アンチキリストが預言されている。当時のローマ皇帝,宗教改革の頃には教皇がアンチキリストに擬せられた。
ある共同体が、歴史と悪の問題をどのように捉えているか。 このことは、その共同体の時間のとらえ方の中に、すなわち、時間の流れを終わりあるもの と考えるか どうか、 ということの中にさえ、現れている。それゆえ、時間をどうとらえるかは、ある意味で、その共同体が 自らをどうとらえているか、 ということに他ならない
ブッシュジュニアは北朝鮮とイランを悪の枢軸と呼んだ。トランプ大統領の国連での演説は実に激烈であった。それだけ国内に矛盾を抱えているのだろう。安倍首相の国難解散も似たようなものだと思う。指導者が扇情的フレーズを繰り出すのは異様な事態だ。しかし,株価は上がる一方だ。

古代イスラエルは利子を禁止していなかったが,古代キリスト教は何故か禁じた。古代教父達がユダヤ教と差別化するためだったのではと思う。古代ローマも滅び,バチカンは俗世の要望と封建化した教会が金利を肯定した。その理論的背景がトマスのスコラ学であった。経済を発見したのはアリストテレスであった。スコラ学は古代キリスト教をアリストテレス哲学の上に神学を教学に再編した。映画「バラの名前」にはイエスは財布を持っていたかという神学論争が描かれていた。

教皇領は喪失したけどバチカンをみると,とてつもない富の集積である。ルネサンス期ミケランジェロが設計した。カソリックは信徒に7つの大罪を戒めた。修道院も清貧を旨としていたが,堕落退廃そして新修道活動の勃興の繰り返しであった。イエスのラクダが針の穴を通るより難しい徴税人だったが,修道士が教会を巡回し,寄進する貨幣の出す音が神を喜ばすとの説教までなった。これは古代犠牲獣を焼く際の煙をヤーウェがかぐわしいと褒めた暗喩である。宗教改革は富の集積を是認し,信徒に婚姻を重要視させ禁欲的生活を求めるものだった。神聖ローマ帝国(スペインハプスブルグ)から独立したフランドルは新教徒とマラノ(スペインユダヤ教徒)のアジールとなり,人口が急増して大国入りした。アングロサクソンはさらに北米に進出し,フランス,スペイン勢力を排除した後,本国から独立するに至った。合衆国の誕生である。ペリーが日本に来航した頃,合衆国の人口は日本より少なかったが,太平洋戦争時には国民総生産は日本の16倍に達した。移民の増加と国土の広大さだけでは,この違いの説明はつかないだろう。明治以降の日本の労働生産性はそれほどでもなかったのではないか。

江戸時代から日本の識字率は高かった。識字率の低い清朝は世界の富の半分を集積していたから,富と識字率および宗教は関係がないだろう。しかし,20世紀になると日本をはじめ東アジアは大きく,合衆国に立ち遅れてしまう。司馬遼太郎の描く「坂の上の雲」に出てくる人物は軍人とか役人である。軍人と政治家は最も創造性の要しない職業である。日露戦争後,日米の国力差は開く一方であった。20世紀の代表的合衆国の人物にライト兄弟をあげたい。インテリでもなければ,一介の職人であった彼らが有人飛行を目指したのだ。動機は事業化で会社を設立している。彼らの精神の淵源を辿っていくと,イタリアルネサンス期のミケランジェロになる。ライト兄弟とミケランジェロの手は,がっしりとしていてハンマとタガネを使いこなしていただろうと思う。

Michelangelo's Pieta 1500
Wright brothers Power Flight 1903

中国の改革開放による発展を日本は模倣とみなすように,明治の日本は現代中国と同様だったのだ。台湾の一人当たり GDP が日本を追い越した。漢族は本来,商取引にたけた民族であった。商いが争いの原因になるとして儒家が排斥しただけであった。交易にリスクはつきものである。個人の商取引リスクを宗族が担保した。その取引を管理したのが官僚であった。鉄と塩を専売して税収を確保,異民族との交易は管理貿易だった。日本も中国を踏襲した。交易は富を集中し,文明を持続させる。

個人の創意工夫の総和がイノベーションへと,飛躍する可能性が出てくる。合衆国は極度の格差社会だが,日本のような階層社会ではない。日本は帰属組織による階層がある。

パナとか富士通のリストラが陰惨を極めていた頃,リストラ先に隔離部屋があつらえてあった。日本陸軍のインパール戦でも反省部屋があったとは驚きだ。西欧では異端者を改宗させるために,隔離独房に押し込めた。洋の東西を問わず,精神的に追い込み人格を崩壊させる手法にさして違いはないようだ。沖縄航空戦の陸軍基地知覧には振武寮があって特攻隊員は隔離再教育が行われた。玉砕を免れて捕虜になると,日本兵は簡単に転向した。集団同調が規範であった。

キリスト教を受容した欧州は人口が減少し,人口が増えだすのはローマ帝国滅亡後の AD 600 である。日本は 2008 年に人口がピークに達し,2030 年に 1200 万人減少する。日本を含め高度先進諸国は高齢化が著しい。なかでも日本の若者率は他国に比べ異常に低くなる。同調協調を重んじる我が国ではイノベーションは期待薄だ。一頃,一人当たり GDP が合衆国を凌駕した時期は単に若者が多かったのが幸いしたようだ。
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日本の経済成長率推移は合衆国と比較すると無残なのは致し方ないにしても,ドイツと比較してもマイナス時(経済減速)の振れ幅が大きく国家経済運営に疑問を抱かざるを得ない。日本のジニ係数が他の先進諸国と比べると高いのは日本は正規/非正規雇用とか階層化社会のせいだろう。しかし,日本のジニ係数が合衆国とほぼ同等とはショックである。日本の平等社会は幻想だったのだ。ジニ係数は貧困度を表す指標である。

現代資本主義の会社経営者には倫理が必要との岩井先生の指摘に,幕末の山田方谷を思い出した。当時の幕藩体制は地方分権というよりは連邦制に近かった。行政改革に成功した藩もあった。そのなかに幕末に老中を務め,維新に抵抗して蝦夷で再起を期した備中松山藩主板倉勝静がいた。その家宰が山田方谷である。現代の知事は選挙で選ばれ,改革をしようと思えば出来ない事もないが,東京と大阪は望薄である。幕末雄藩での改革は命がけであった。家老奉行が切腹暗殺はざらであった。かつての日本の高度成長は若者の割合が他の先進諸国に比べ極端に多かったせいなのか。
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古代ギリシャではアテナイとスパルタが争いその後テーベ,やがてマケドニアが覇権を握った。その間,ギリシャ諸都市は急激に衰退し人口が減少した。古代ローマは上手に衰退していった。イタリアだとベネチアは長く栄え,フィレンツェは短かった。作家の塩野はリストラの違いと書いているが,民主貴族制と独裁貴族制の違いもある。古代ギリシャのポリスの人口は例外にしても,欧州諸都市の人口は日本の大都市に比べ,はるかに少ないのに存在感があるのは何故だろう。その極端なのはスイスのカントン(州)だろうか。グローバルイノベータランキング会社数だと日本は断トツ1位である。日本の農業同様,過度に適応化したため精緻化とひきかえに効率が犠牲になったのだろうか。日本の大企業が西欧と比較して遜色がないとすれば,やはり中小零細企業の低労働生産性が足かせになっているのかな。日本の構造改革が足踏み状態なのは,西欧近代化以前のルネサンスと宗教改革の有無が影響しているのかもしれない。これはロシアの近代化にもあてはまるかもしれない。

山田方谷は藩札を領民を前に河原で燃やした。そして賭博を禁止した。国会はカジノを解禁し,国債を増発し続けている。それでも,安倍政権の総選挙大勝はほぼ確実だ。会社経営者に倫理が必要なように,国家指導者にも必要のようだ。明治 150 年のつけが,人口減少とともに召致する。財政破綻どころか東京都自体が機能しなくなる。長らく日本人の規範になっていた江戸システムも瓦解するのだろうか。大政奉還は3通の書付から成っていたそうだ。それを老中が40藩程度の代表に示した。その新発田藩版コピーが発見されたそうだ。教科書にあった大政奉還の絵画はウソだった。うるさい薩摩藩とかだけに慶喜ではなく老中が説明補足したらしい。それを起案したのが山田方谷である。江戸幕府の崩壊はあっけなかったけど,江戸システムは今でもつづく。議論のない形式化した会議がそうである。上位下達。前原小池会談による政党間では,宣言書どころか,書付メモすらなかった。小池が拒否したのだろうか。当然,合同綱領も期待できないだろう。党委員会とか評議会組織もでたらめのようだ。党にも代議員制(評議会)が必要なのだ。その当たり前が機能しない。これは民主主義政党とは呼べないだろう。以下に党宣言書を示す。
私たちが希求するものは、 党の利益ではなく、 議員の利益でもなく、 国民のため、つまり国民が納める税の恩恵を全ての国民に届ける仕組みを強化することにある。 国政を透明化し、常に情報を公開し、 国民と共にすすめる政治を実現する。 既得権益、しがらみ、不透明な利権を排除し、 国民ファーストな政治を実現する。 国民ひとりひとりに、日本に、未来に、 希望を生むために。
「改革」を排除する意識が高いようだ。「既得権益」および「不透明な利権」とは具体的に何を示すのだろうか。検索しても出てこない。やはり,歴史的にみても女性指導者に長期ビジョンを期待する方が無理筋か。マリアはイエスの母だけど,民の救済と指導は無理だった。政党指導者なら政敵に戦いを挑むのが当然だろう。彼女に攻撃精神はあるのだろうか,疑念を持たざるを得ない。
振り返れば、小池は、ボスの横でテレビに映るのが実にうまかった。これを男がすれば、鼻持ちならんが、小池はすんなりとしゃなりといつの間にかボスの横につく。はじめは、細川さんで次は二人の一郎さんだ。即ち、小沢一郎さんそして小泉純一郎さん。新進党の海部俊樹さんの横に小池がいた記憶がない。印象の薄い御仁の横には小池はいない。小池の、このボスの横にいるという政治力を見くびってはならない。昔、秀吉の側に、耳糞をとるだけの役目の坊主がいた。この坊主は、居並ぶ群臣の前で秀吉の耳糞をとるとき、唇を動かせて秀吉に何かをひそひそ話をしているような仕草をする。その結果、この坊主宅は各大名からの付け届けであふれたという。政界とは昔も今もこういう人間世界だ。
プロテスタント指導者カルバンは敵対派に対してプロパガンダ(教理綱領)を改変し続けた。ローマ皇帝後に教皇が主催した宗教会議が西欧民主主義の原理なのか。後に3部会となる。スイスに至っては,古代の民会がそのまま近代民主制になっている。岩井先生は合衆国資本主義は連邦議会が資本の走狗になっており,もうどうにもならない段階と言っているが,一部の草の根自治体は民主制が機能しているようだ。Mayor は無給なので,世襲はあり得ないだろう。実際の運営はマネジャーに委任する。うらやましい。。。先生とお巡りさんの雇用方法はどうなっているのだろう。ピューリタンが建国したニューイングランドは他の改革派を排除するようになる。イエスが説いた寛容が不寛容になる。宗派対立は宗教心が篤ければ激化するのだろう。ドイツの迫害を逃れウクライナで,400 年農業に従事したメノナイトの一派は,ロシア革命で追放になった。さらにカナダに逃れ,同化を拒否しメキシコに移住,さらにボリビアにまで移住している。どうも入植がうまくいかず,アーミシュに転向した家族もいるようだ。合衆国民の過半は教会に行かない。

500 年前のドイツ新教徒の子孫がボリビアの農民になり,同じ頃オランダのユダヤ人(マラノ)がブラジルから北米に拡散したのと対照的である。北米ユダヤ人はほとんど農業に従事していない。農業労働者として入植した日系アメリカ人も同様である。合衆国中西部の農民はドイツ北欧からの移民の末裔が多いようだ。アイルランド系,イタリア系および日系が後発組の移民が農地取得に困難があったにしても,アイルランドおよびイタリア系は開拓を忌避したようだ。職業観と自然観に違いがあったようだ。南米でも日系人=農民の図式はくずれており,宗教世界観が何がしかの影響を及ぼしているようだ。アーミッシュとメノナイトが存続している新大陸は不思議な社会である。メキシコ荒地のメノナイトが北米での植民を諦めたのは何故だろう。農地が入手できないからか。ボリビアのメノナイトコロニのレポートを読むと,一人の司教と7人の牧師が治めている。成員は聖書を読まないようだ。読むような成員はコミュニティから分離していく。男に比べ女の労働は休む間がない。統計によると,大家族で核家族には程遠い。農地不足で成人男性が独立できず,犯罪が発生するのかもしれない。イスラムの社会不安原因と同じか。昭和初期の政治不安も過剰人口のせいとも言えるかもしれない。

意思決定方法は江戸システムのまま,明治政府は徴税と防衛組織を一変したものの,その軍組織はインパールの地で反省部屋を設置するに至った。本来,民を守るべき組織指導者が民を抑圧するのは何故か。戦中,江東区が焼け野原になって魚雷の生産が止まったと書いた。京浜工業地帯の防空は九州より重要なのだが,何故か,日本海軍は沖縄航空決戦を選択した。本土防空は陸軍の所管なのだが,硫黄島まで満足に飛行できる機材もなければ,計器航法を戦闘機パイロットに課していなかった。日本陸海軍は米軍来襲を真剣に検討していたとは思われない。何故そんなバカげた事が起きたのか。江戸期以来の民族性だろう。戦前の海軍軍棋(ボードゲーム)では米海軍の東京湾侵入を如何に阻止するかだったのが,ついに活かされなかった。最後の軍令部総長は豊田だった。そのダメ総長に戦後,海自は礼を尽くした。官僚組織とは恐ろしいと思う。豊田は中堅幹部に人望があったそうだ。その理由は豊田の陸軍嫌いにある。危機において指導者を適切に選抜できない国家はどうみても,戦争は不可だろう。今は国難だそうだ。確かに人口が急激に減少していく。自治の基本に帰るしかないだろう。官僚は本来,マネジャに過ぎない。議員は行政を監督するのが役目だ。岩井の言うように連邦議員は資本に篭絡されてしまったのだろうか。日本は官僚,代議士および業界が利権トライアングルになっているのだが。合衆国キャッチアップのためには実に効率的に機能したのが今では仇になっている。これから,人口が半減するまでの間にどれだけ軍官僚の発言力を増すか。

50年後,日本経済は崩壊しても文明そのものがなくなるわけでもない。都市廃墟のなか,東京中心の政治文化がなくなるだけだ。もうメガロポリスを維持するだけの体力はない。古代アテナイはギリシャがオスマン帝国から独立するとき漁村になっていた。気になるのは,合衆国の近未来ゲームだと,日本の都市では中国語もしくは英語が共通語になっている。香港とか Guam のイメージだろうか。

日本人の時間意識からすると,30年  50年先を説いても極端な現世主義から説得性がない。ここに
その予兆となる経済データを示す。連日の株価連騰をみると,安倍政権の大勝はほぼ確実だろう。しかし,アベノミクスによる超金融緩和にもかかわらず,賃金および会社従業員所得は伸びるどころか下がっている。アメリカ流構造改革するのなら,従来産業の企業給与水準を大幅に下げないと構造転換は望めないだろう。明治維新は役人(武士)の一斉解雇により,実現されたのだ。それにはまず議員そして公務員給与カットをして範を示すべきだろう。終身雇用期間の30年かけて構造改革するには,残念ながら人口減少が早く,北欧のような漸進改革は間に合わない。といって,どうにもならないのが現状だ。

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支離滅裂になったけど,江戸システム前の「秀吉」と小池劇場がかろうじてつながった。中華王朝では宦官が秀吉の坊主に相当したから,皇帝が代わると権勢を誇った宦官でも簡単に暗殺されたものだ。旧日本陸軍にも小池のような軍人がいたなと思い出した。悪名高いのは東條の三奸四愚と称された側近達だった。最近では,三汚物と称される杉山,牟田口(インパール),および富永(特攻推進)があるようだ。

DOL のコラムが日本の末期的状況を述べている。諸税賦課は増える一方だろう。
突然の衆議院解散によって政局が流動化しているが、ここまで財政状況が悪化してしまうと、まともな政治家や政党が責任ある政策を掲げて選挙に勝利することは不可能である。 太平洋戦争末期にも大本営発表が嘘っぱちであることに薄々気づいていた人は多かったと思われるが、軍と政府がズルズルと既定路線を続けるのを許したことにより、二度の原爆投下を含む甚大な被害を発生させてしまった。 今回も同じ顛末になりそうだが、そのことは私たち日本人が歴史から学び合理的に行動することができない国民であることを意味しているのではないか。
日本産業の崩壊に伴い大都市が荒廃しようと,日本農業が途絶えるわけでもないだろう。公教育を一切,拒否しているメノナイトが中国からトラクタ部品を取り寄せトラクタを組み立てるとは驚きだ(2011年)。男は家事労働を一切,しない。イノベーションは教育がもたらすものでもないようだ。学校教育を無償化しても関係がないだろう。それはソ連をみればわかる。明治の画一教条主義教育のついた先が,坂の上の雲の「空襲と原爆」だった。日本精神に内在するなにかが,結果的にヘーゲルのいうアジア的停滞になるのか。メノナイトの思想は近代ではない。個人と国家との契約を否定するからだ。

新聞に総選挙論点を項目別に一覧表が掲載された。維新が「次世代原子炉の研究は継続」とあり,まともである。日本は貿易立国である。自動車を輸出して,エネルギと食糧を輸入する。富の源は交易にある。日本の競合国は今や,欧米ではなく中韓台である。通商政策の項目記述がなくなった!もう毎日新聞はダメだな。。。階層社会の日本にあっても,選挙となると階層の上下とは無関係に同じ一票である。しかし,下層および貧困層は合衆国のスラム社会同様,投票にいかない。これらの階層は新聞も読まない。戦後民主主義を支えていた中間層が貧困化したけど,これら階層の票は自民以外のすべての党に分散される。

欧州のメノナイトは教皇権と世俗の領主権を否定して,迫害されロシアそして新世界に逃れた。一言で言えば無政府主義者だ。エクソダスが 600 年も続くとコロニ内部に聖俗の離間が発生するのが興味深い。宗教指導者が権力を行使し出す。兵を統率しなかった古代の天皇が軍権を行使できた理由がわかるような気がする。

戦前の貧困層は兵隊の供給源だった。現代は何だろう。メノナイトは武装せず,一夫一妻制ながら,男が女を収奪する社会である。現代日本に少し似ているな。立憲民主の「同一労働同一賃金」くらいしか社会変革の主張が少ない。男尊女卑の日本にあって,女が党首の希望が国民ファーストではなく女ファーストと言うくらいの気骨があればいいのだが,そうもいかないのか。創造性を要しない政治家,公務員および教師は女が十分務まる職業ではないか。否,日本は男が女のようになっている社会なのかもしれない。いつからだろうか。とりあえず,女性候補に投票する事にした。

参考


ルネサンスと宗教改革 トレルチ
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