2017/11/03

縄文オホーツク文化と SOSUS

日本の特異な文化の始まりである縄文文化の範囲が気になり,検索したら大体,現代日本の領土と重なる。例外は沖縄と小笠原だ。逆に択捉から縄文土器が出土している。日本の縄文文化の範囲は気候による限定され,その生産様式が現代の日本まで影響を及ぼしているのかもしれない。

帝国として,朝鮮および台湾の政治的併合はあったかもしれないが,民族言語学的には文化の古層が異なり無理があったか。小笠原はミクロネシアのような南方の石器が出土しているから,無人ではなかった。

日本文化の影響を受けたアイヌは鉄器を携えて北上を開始し,樺太と千島まで進出したようだ。その間,南下してきたオホーツク文化と北海道で戦闘らしきものが発生している。オホーツク文化は沿海州,樺太,千島,北海道まで広がる海獣を追い求め渡来してきたようだ。アムール川から海洋へ乗り出したのか。逆にアイヌがオホーツク人を追うように樺太に進出するが,アリューシャンおよび満州へは移動しなかったのは何故か。縄文人同様,なにか生産様式に制約があったのか。

このオホーツク最古層の土器は朝鮮からフィンランドまで分布している。後のウラルアルタイ語族の伝播範囲らしい。朝鮮では駆逐され,シベリア北極圏くらいしか残らなかった。フィンランド語はウラルアルタイ語だそうだが,顔つきと皮膚はコーカソイドである。山東州で発掘された春秋戦国期の遺跡ではコーカソイドの頭蓋骨が出ているから,朝鮮の土器製作者もコーカソイドの可能性はあるかもしれない。農耕期以前のヒトはかなり速く拡散するのかもしれない。そして,狩猟期の集団は他集団との無用の争いを避けて,共存していたか。農耕期になると,排他的になり攻撃性を増すのは何故だろうか。

そこで,気になっている文明に関わる海の面積を比較してみた。地中海は広い。ローマ帝国の偉大さがわかる。ギリシャ文明の穀倉だった黒海沿岸は,後にビザンチン帝国の領域となり大いに栄える。バルト海沿岸のバイキングは毛皮,奴隷をビザンチンに持ち込み,工芸貴金属と交換した。彼らは馬ではなく,川を船で遡上した。想像するに,川と川を横断する際は奴隷に毛皮を運ばせ,一石二鳥だったのだろう。帰りの貴金属なら手ぶらでも可能だ。

       百万平方km
地中海    2.5
オホーツク海 1.4
日本海    1.0
黒海     0.5
バルト海   0.4
黄海     0.4

西欧の購買力が上がってくると,毛皮消費はイタリア,パリ,ロンドンに移った。西洋の美術館に展示されている王侯の肖像画衣装は毛皮だらけだ。スウェーデンとロシアが争ったバルト海の覇権,その広さは黄海と同じ程度だ。日清戦争黄海海戦はスクリュー推進の汽船の時代,バルト海戦は帆走戦列艦であった。遅れていたロシアは毛皮を求めて,ひたすら川沿いに東へ進みついにカリフォルニアまで至る。

古代日本も中国との交易品は奴隷くらいしかなかった。大和朝廷くらいになると砂金を献上した。奈良期になると,東大寺産の刀を盛んに輸出した。中国では貨幣の材料となる銅が枯渇して,日本産の銅が好まれた。京で産する扇子が中国の上流貴族に好まれた。朝鮮沿岸交易ルートは廃れ,琉球まで南下し,東シナ海と突っ切って寧波を目指した。今の上海である。平戸は東シナ海自由交易の中心となり,中国海賊の避難港になっていた。後発組の南蛮人は頑丈強武装の帆船を極東まで回航して,台湾平戸に拠点を築いた。日本の鎖国政策,中国の海禁政策は管理交易であり,自由交易とは密貿易を意味していた。

ユーラシア大陸の両端で起きた物産交易は西欧の近代化とアジアの停滞と明暗を分けた。世界の海戦史を時系列に並べ,生起した場所から覇権国の盛衰がわかる。最後の大海戦は言わずと知れた太平洋と北大西洋である。日本の右翼は大東亜戦争の呼称に拘るようだが,地政学的にみると太平洋戦争が
世界史のエポックになる。大げさに言えば,古代ローマとカルタゴの覇権争いと同じだ。中国が世界帝国と争ったのは唐代のサラセンそして清末期の大英帝国だけである。意外と,いまだに世界史的覇権戦争のプレーヤになっていない。

中国が目指す一帯一路経済圏にはベトナム,フィリッピンおよびタイが含まれる。タイおよびフィリッピンの中国との軍事的結びつきを考えたら,これらの国々から TPP 脱落はやむを得ない。ASEAN は日本のかけがえのない市場だが,中華経済圏になるのは時代の趨勢だ。元来,西欧列強が東シナ海に進出する前は,中国海民のジャンクが行きかう自由の海だった。歴代中華王朝は海洋交易に関心はなかった。あるのは管理された朝貢交易だった。日中交易の立場が逆転するのは幕末である。日本産生糸は国際競争力をつけ,中国から輸入していた漢籍,薬品は西欧産に代わった。古代の奴隷,中近世の鉱産物輸出からやっと抜け出した。英国がインドに綿布を輸出し始めるのは18世紀。

中国が推進する「一帯一路」には太平洋が含まれていないのは日本にとり好都合だと思う。

大規模交易は消費と生産の面で都市が欠かせない。上海とか東京は人口圧力で成長しているとも言える。今,ロシア沿海州の人口減少が進んでいる。東シナ海の活況とは裏腹に日本海とオホーツク海は勃興の兆しすらない。満州に成立した国家,高句麗,渤海,金らは中華王朝の富に吸い寄せられ,オホーツク海に進出しなかった。バルト海沿岸のスウェーデンに小麦が栽培されるようになるのは10世紀だ。北海道に稲作が普及するのは明治だから,オホーツクの農業は厳しいようだ。

やはり先駆者がおり,情報にさといアングロサクソンの末裔か。妻がロシア人のニュージランド人は沿海州に 7000 haの農地を有するという。一方,肥沃なウクライナで大豆栽培を始めようとした日本人親子は農地をイギリス人に横取りされてしまう始末だ。生き馬の目を抜くビジネスというか,コネがまかり通るロシア社会だ。ロシアで起業すると,法令上の租税の他に,庇護を受ける組織に上納金を納めなければならない。以前の共産党支配の名残がそのまま活きているらしい。この庇護がないと,200 箇所以上の許認可を得なければならない。加計学園とか籠池騒動を桁違いに大きくした構造汚職と思えばいいだろう。庇護があれば,相手が役所であれ会社であれ忖度してもらえる。英語ではインナーサークルだ。

日本朝鮮および台湾は合衆国の影響の下,微妙な立ち位置にある。諜報活動を密にして,太平洋同盟の動向もウォッチングしながら,ウサギの耳よろしく外交していかなければならないのだが,従軍慰安婦とかの人権問題をみると,合衆国一択の孤立主義のようだ。自民党も酷いが,輪をかけて,そろいもそろって野党の外交政策はどうにかならないのか。せめて,外交だけはコンセンサスができないものだろうか。そうもいかないのか。とすれば,また軍官僚が暴走するのも十分あり得る。

日本陸軍のインナーサークルは陸大だった。彼らは民間を「地方」と蔑称し,国家の中に国家を形成した。軍部と呼ばれた。陸大出身者の間でも競争は熾烈で,派閥間の争いが激化した。昇進競争はマグと隠語で呼ばれた。恐らく磁石の事だろう。中国指導部の上下関係は日本陸軍と似通っている。激烈な派閥抗争があるのだろうと思う。

中国戦線での上下関係を省部(陸軍省と参謀本部)に持ち込む。本来なら,中将止まりの東條が派閥均衡上,次官/大臣/首相,さらに参謀総長まで上り詰めてしまった。事務屋さんだった東條には戦略がなかった。中堅下僚の描いた玉虫色の戦略(国防方針)を裁可していった。会議ですり合わせを重ねていくと,自然と対米戦不可避の結論になる。幻の日米諒承案の在米日本側交渉役は野村が海軍出身,井川が大蔵省,岩畔が陸軍だった。合衆国側は国務省ハルである。もうこの当時から,外務省は機能しなくなっていたのか,それとも松岡外相と首相間に隙間があったのか。軍略もさることながら,外交がいかに大切か。外務省の説明によれば,諒承案はオフレコの「プライベートトーキング」となっている。

当時の日本の諸問題を考えると,石油を求めて仏印から蘭印への侵略する選択をした事になっている。原油は合衆国産を輸入していた。合衆国による経済制裁を解除となっても,円が大暴落して外貨がない。今でもそうだが,当時も食糧自給はできていなかった。後知恵になるけど,石原とか山下の方がまともだったが,彼らは主流にはならなかった。日本は満州の地下資源探査をして,石油埋蔵を見過ごしている。後の勝利大慶油田である。現在,ウスリー川流域ロシア領はロシアの大豆生産の 50% を占める穀倉地帯になっている。しかし,官僚らが起案した満州の経済計画はソ連統制経済を模した重工業化であった。これが,日本財政を損なった。推進したのは満州の妖怪と言われた岸である。

時の国務長官は満州に植民しているのは中国人朝鮮人ばかりで,日本人はいないではないかと厳しい指摘をしている。まさに日本は帝国主義を地でいった。日本人は縄文文化の境界を越えて自発植民できなかった。

太平洋戦争では日本の戦死者に餓死が多かった。日本兵の主食は米であった。日本兵はどこで戦うにしても米食だった。世界の帝国のなかで大日本帝国のみが米食帝国であった。世界史のなかで,稲作文明は麦作文明に支配されても逆はない。中国の稲作華南文化が北の中原麦作文明に吸収支配されたように,日本も適応するしかないだろう。日本会議と保守勢力(自民希望維新)がいかに復古運動を推進しようと,中華合衆国の麦文明を凌駕できない。

米の輸入自由化はあり得ないから自給率は 100% だ。物神化が進んだのか稲は神の領域にまでなった。古代エルサレム滅亡後,ユダヤ人は犠牲獣を捧げるのを止めた。日本のアニミズムは考えようによっては,古代イスラエルのイエス生誕前の段階か。近代憲法はその背景に啓典の民的な思想がある。日本憲法も神道信仰からすると,実に座りが悪い。お供えをあげ,祝詞をあげる神主は我々に話しかけず,背を向けている。キリスト教司祭は信者に話しかける

国会開会式での天皇の開会宣言では,仕方なく,国民の代表である代議士は頭を垂れて,天皇を直視しないならわしとなった。土民がお目見えとは身分も低すぎたのであろう。天皇に拝謁できるのは参議以上の官人でなければらない。天皇が直に臣民と話を交わすスタイルは西欧式である。現人神が国権の軍を統帥するのはいかにもできが悪かった。世間話と戦争か平和ではまるで異なる。神道の上に西欧議会主義を接木した。このできの悪い政体を続けていくしかない。憲法第9条は当たり前の事だ。憲法改正による集団的自衛権の明示により,合衆国保有の核のボタンを日本の首相が押せる訳でもない。

第1条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」をどう意識するかの方が大切だろうか。神主が我々の方を向くときは,お祓いくらいだろう。現人神とはその程度であり,それ以上それ以下でもない。憲法があるから,自由平和なのではない。北朝鮮と中国をみれば明らかだろう。

毎日新聞が宗教改革 500 周年の今年,特集記事を始めた。後にドイツフランスイギリスに吹き荒れた宗教戦争の幕開けである。その頃,ポーランドにうらぶれたドイツ騎士団があった。成員は修道士だから妻帯しなかった。暇なせいか,狼藉をはたらいた。ドラマ Game of Thrones のナイトウォッチみたいなものか。妻帯していた叡山の山法師の強訴のようだったのかもしれない。最後の騎士団総長はポーランド王の甥であった。その騎士団が世俗化した。プロシャの誕生である。還俗して,聖職に未練があったのか,そくさまルター派に改宗した。1523 年の事であった。ルター派の聖職者は妻帯を認めたからだった。その後,西欧は個人の覚醒,宗教戦争のなかプロイセンはポーランドを蝕んでいく。

科学の発達,軍事革命が嵐のごとくドイツを荒廃させた。その炎の竜巻がイングランド,やがてピューリタンとなり,今の合衆国の精神になっている。ドイツイングランドで迫害された頑固なアナバプテストのメノナイトとアーミッシュが本国では絶えて,新大陸で永らえているのは妙である。

合衆国の太平洋戦争の目的は一体,なんだったのか。合衆国資本のための門戸開放は方便だろう。当時の中華民国が合衆国の農産物とか自動車を購入するとも思えない。ナチスは東方植民した中世チュートン騎士団を神格化した。旧ドイツ国歌はオーデル川が唄われる。宗教改革後も国民国家が形成される前は,ドイツは領邦国家だし,ポーランドは多民族国家,ボヘミア(チェコ)王は歴代ドイツ語話者だった。特にポーランドはユダヤ人が農業を営めた例外的に自由な国家だった。ポーランドは分割され悲劇の国とされるが,精強な時は果敢に今のチェコ,ロシアに侵攻した。

民族主義の高まりが国際連盟を生んだ。今のEUみたいなものだ。日本,ドイツ,ソ連が離脱した。ひらたく言うと,領土問題の不満だ。皮肉にも独ソ戦の背景のナチスも共産主義もどちらもキリスト教の落とし子だ。ナチスはルター派,ソ連共産党の源流はヘーゲル左派だ。聖書解釈を突き進めば,ヘブライズムに行き着く。合衆国ではセミズムと呼ぶ。ハーバード大学の建学精神である。

十字軍的精神が合衆国民に太平洋戦争へと駆り立てたのであろう。そうでもなければ,ドイツおよび日本に無条件降伏まで求めたりはしないだろう。イタリアは連合軍を引き込み要領よく離脱した。皇帝軍,フランス軍が交互にイタリア侵攻した名残だろう。

合衆国はかなり周到に対日占領計画を練っていた。空爆目標みれば,わかる。航空機工場,工廠を破壊し,関東だと横須賀海軍工廠,霞が関および皇居の銃爆撃禁止だった。あのヤンキーが皇居を銃撃しなかったのだ。ソ連はベルリン総統本部を徹底的に砲撃破壊している。

開戦当初の長期持久は米潜水艦により,原油食糧輸送は適わなかった。天皇の帷幄である軍令部と参謀本部は日本最良のエリートが担っていたのに,何故こんな状態に至ったのか。しかも省部エリートは海外武官職経験者ばかりだった。実際,参謀本部情報部は太平洋戦争前の時点で,独ソ戦はソ連勝利を審決を出している。海軍は将官会議(大将経験者)は全て対米戦反対だった。しかし中将クラスにはナチスかぶれがいて好戦的だった。米潜水艦の脅威を指摘した吉田大臣は気違い扱いされ排除された。毎日と朝日新聞は戦争を煽っていた。陸海軍報道部は世論の動向が不安で,機密費で新聞記者を篭絡していた。中国戦線報道班員として渡される支度金が当時の家,一軒相当だった。翼賛会内閣も朝日新聞から情報局総裁に招いている。民意操作に苦慮していたのだ。

当時の合衆国の極東兵力は海軍が主力だった。その中心はフィリッピンに配備された潜水艦だった。アジア艦隊司令官は大将職だった。他方の在比陸軍は中将職だった。マッカーサが,"Small fleet, Big Admiral" と揶揄していた。でも実質は世界最強クラスの潜水艦部隊だった。しかも実際に大西洋戦争が始まった頃,ドイツはたった57隻の潜水艦しかなかったのに大戦果を挙げていた。それを何故か,日本海軍は無視をした。日本国民は戦後になっても,潜水艦戦が日本の命取りになったとは,今でも思っていない能天気だ。これも鎖国のせいか。
1941年12月の 時点で太平洋艦隊の22隻に対してアジア艦隊の潜水艦部隊には29隻の潜水艦が配備されており、 潜水艦による日本軍兵力の漸減・日本側の作戦遅延に大きな期待がかけられていた事が伺えます。 (因みに29隻のうち大型の艦隊型潜水艦は23隻、当時作戦可能な米海軍の大型潜水艦兵力のうち 2/3以上の艦がアジア艦隊に集められていました)
合衆国軍人は任務に階級がついてくるので,任務を外れると大将から少将に降格するのが,普通でなにも屈辱でもなく,昇級も同じ扱いだった。日米の官職に対する考え方の違いが日本の軍官僚を狂わせ,好戦的にしたのかもしれない。役人の人事制度が亡国の危機に追いやったとは,やりきれない。このシステムは江戸期の藩主の官職,例えば伊豆守とかがそうだ。古くは平安期の春秋の除目騒動から由来する。今では民間人の叙勲待望者(相談役顧問)まで出る始末だ。たかが人事,されど人事だ。

こんな制度が今でも健在なのだから,戦時あるいは危機時の人事を望むべくもない。合衆国は第二次世界大戦に参戦すると,10万人のパイロット養成に乗り出した。日本海軍は航空兵の大量増員は人事構成を歪めるとして,人事局は採用を制限していた。ガダルカナル航空戦で大量に搭乗員を失うと,熟練パイロット不足を特攻で補おうとした。マリアナ沖海戦で 350 機を失うと,空母があっても空母に着艦できるパイロットがいなくなった。

海自もホラを吹かず,沖縄列島線に対潜水艦聴音網くらい敷設したらどうだ。合衆国は対ソ用にアリューシャン列島に SOSUS を敷設している。海底の固定式聴音機は遠方を航行する潜水艦音をよく拾える。人手もかからず安いものだ。保守は暇な南極砕氷船の乗組員をあててもいいし,外注にしてもいい。敷設艦「むろと」の定員は 110 名もいる。一体なにをしているのだろう。民間のケーブル敷設船だと22名のシフトだ。戦前の海軍よろしく実務のできない命令するだけの上官だらけなのだろう。日本海軍の3座席以上の大型機の機長は操縦できない。広島に原爆を投弾した機長のティベッツ大佐は爆撃兵団長だった。。。

これは,昔の騎馬の組頭には馬のくつわ取りがいた名残だろう。くつわ取りが馬を操作していた。組頭は遊園地の馬よろしく,馬を御せずともよかった。馬の厩務員が戦闘にも参加したのかもしれない。鎌倉期の武士は騎乗騎射であり,くつわ取りはいなかった。戦国期の領地争いは田んぼの湿地帯で騎馬戦闘に適さず,基本的に戦闘が下馬に変わったのだろう。

昭和の在レイテ師団長は軍刀を吊って,ひたすら地下足袋の徒歩移動だった。歩兵の担ぐような背嚢はない。歩兵は 30kg の背嚢を背負って移動した。糧食を食い尽くし,輜重兵の補給が途絶えると,飢餓が襲った。

参考
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