2017/12/29

2次大戦の連合軍勝利確信はいつ?

太平洋戦争開始の日が近づくと,何かしら考える。家人がいつ連合軍はいつ勝つと思ったのかと尋ねられた。チャーチルは回顧録のなかで,太平洋戦争開始の日はぐっすり眠れたと記し,合衆国の参戦を挙げている。教科書的には,戦争の大義である大西洋憲章宣言,1943 年末のルーズベルト,スターリンおよびチャーチルの会談だろう。これを戦争に欠かせない兵器の生産から検証してみた。1次大戦と同様,悲惨な戦争であったが,大きく異なるのは航空兵器が主兵になり,大規模焼夷弾爆撃および原爆が登場した。太平洋戦線は海の戦い,欧州戦線は陸の戦いの違いがあっても共通の航空戦力により変換できると思う。
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連合国 枢軸ともに生産のピークは 1944 年である。合衆国の生産の伸びが凄まじい。年産2万機生産しないと,お話にならない。日本は 1944 年に越え,ドイツは 1943 1944 年だ。1942 年までの生産伸び率は日独が英ソに劣るのは意外だ。

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戦力を分析するのに Lanchester's Law がある。戦力は2乗で効いてくる。力学に譬えると,運動量と運動エネルギの違いだ。独ソ戦だと 1942 年がピークになり,一貫してソ連優位である。独英でも英国優位である。1944 年に英国の優位が失われているように見えるのは,英国が4発エンジンの重爆生産に傾注したからではないか。日独ソは双発爆撃機が主で,4発機を大量生産しなかった。英ソ vs 独 をみると,1942 年で趨勢が決まっていた。1943 1944 の両年はドイツ地上軍がとんでもない頑張りを示したといえそうだ。逆に独空軍は劣勢でも効果的に凌いでいた。ヒトラはナポレオンとかフリードリッヒのように各個撃破して戦争しなければならなかったのに戦略の誤りが如実に示された。

合衆国の航空機生産の半分が対日戦に向けられるとみなした。米海軍機のほぼ全数が対日用であるしても,この見積は大層,日本不利かもしれない。合衆国は大戦早々 B-17 の生産に注力し,800 機を英国に送り込んでいる。サイパンに B-29 300 機が進出するのは大戦末期である。1943 年以降,日本は軍用機生産に注力した様子がうかがえる

合衆国のような巨大生産力があっても,合衆国は各個撃破の戦略だった。一方,東條らできのわるい軍事官僚は中国と合衆国と同時に戦う選択をした。戦後,東條により予備役に追いやられた石原は東條に意見がないと批判している。少なくとも,首相と陸軍大臣は意見を持ち,表明すべきであったが,ロボットにならない上司は下僚から遠ざけられた。

日本はドイツが欧州戦線で勝利する前提で,米英との戦争に踏み切った。参謀本部情報部は 1941 年の冬までには,独ソ戦の帰趨を独軍の勝利なしとの審決を上層部に提出している。参謀総長はこれを無視し,作戦部長田中新一による対米英作戦に同意した。日本陸軍は長い間,ソ連を仮想敵とし装備訓練を施してきた。ソ連の暗号解読も傾注していた。欧州駐在武官の任務は暗号を含む対ソ情報の収集であった。そして陸軍幼年学校からドイツ語を学び,ドイツには陸大出の最エリートが赴任して,ドイツ情報にも明るかった。ところが,日中戦争が長引き,傍流だったシナ通が主流になった。日中戦争がなければ,東條は中将止まりだった筈だ。対米英戦を巡り,軍務局長武藤と作戦部長田中が争った。戦争が拡大すると,軍事予算の増額と昇進が期待できたから武藤は退けられた。ソ連は手ごわいと研究済みだし,実際ノモンハン戦でも酷い損害を被った。何も研究していないけど,合衆国ならなんとかなると踏んだみたいだ。しかし,対米戦直前に,総力戦研究所でボードゲームしたら日本のぼろ負けだった。東條は結果を口外しないようにと釘を刺した。その時には,彼は対米戦を決意していた。下僚は対米戦をしたかった。そして,対米戦に異を唱える者を中央から遠ざけ,戦線にとばした。1944 年7月 梅津が陸軍参謀総長になり,東條にとばされた者を中央に戻した。それから,戦争が終わるまでに1年要した。人事が固まらないと,意思決定の変更はできないのだ。その1年の間に,太平洋戦争の戦死者の過半が死んだ。官僚制度とは愚かを通り越して恐ろしさを感じる。

朝鮮有事でもその状況は同じだろう。

上図を見る限り,対米戦は過去の 1939 年に作戦発動しないと勝利の目はない。対米戦をするなら決意は遅すぎた。ヒトラが2次大戦を始めた時に日本も参戦して日独共同で英国を屈服させるべきだった。やはり,1941 年8月の米英による大西洋憲章が分水嶺だったようだ。

大東亜に権益を求めた日本と,チャーチルに中国権益還付を認めさせたルーズベルトの戦略にどちらが大義があったか。戦後,衰退する英国が残されたインド香港中東の利権にしがみつき,ことさら経済のイノベーションに遅れをとった結果,打ち負かした筈の独日の後塵を拝するようになったのは皮肉だ。列強の富の源泉は植民地ではなくなったのだ。

それなのに高校教師とか左翼が米帝,日帝と批判していたのは何だったのだろう。戦後の左翼運動はファッションだったのかもしれない。私の学んだ高校は,社会科地理は中国大躍進運動の賛美,現代史は文革賛美だった。体育祭実行委が計画した棒倒しは,職員会議で否決された。教頭校長は職員教組のロボットだったのだろうと思う。半世紀経っても,その事情は変わらないようだ。日本の軍隊と教師の世界は民主主義(多数決)である。

日独が発展できたのは,邪悪な英国のブロック経済圏が瓦解したせいだ。世界の政治軍事の酷い状況は,今でも大体,その淵源は英国のせいだと思う。合衆国ではない。これから,中国の指南役は英国がなる。よほど注意しないと,日本はドイツのようにボコボコにされる。中英の情報広報戦をみくびると,酷い事になる。イラク戦争の際,英ブレア首相は自国民も含め世界中を騙した。独仏は一線を画した。今思えば,EU離脱の種はこの頃か。

日露戦争の頃には与謝野晶子のように政府の戦争政策に盲従したりはしなかった日本人が,シベリア出兵をさかいに大義がなくとも,動員できるようになった。朝鮮有事には高校の先生が煽るのだろうか。おそらく若年層が動員されるのだろう。動員優先度を教師,公務員,老人にしたらどうだ。補給後方支援だから,トラック重機運転を教師公務員の採用条件に入れてもいい。幕末の役人(藩士)はソロバンと銃が取り扱えたのだ。

好悪の判断は分かれるだろうが,日本の同盟は合衆国しか足り得ない。中韓への譲歩を考える前に,合衆国ファーストでなければならない。日本に選択の余地はないのではないか。合衆国の言い値で兵器,シェールガスを輸入するのは致し方ないか。その分,日本人は汗水流して,働けばいい。フランス人のようにバカンスを楽しむには LNG パイプライン,原発と核兵器が要るだろう。

参考
The Rise and Fall of the Great Powers p455
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