2018/02/07

雪が降ってもエアコン文化と軽油代替灯油

燃料屋が灯油配達を止めたので,日中の寒が厳しくない時間帯に買い出しする。ついでに車の給油もしたけど,50分もかかり効率が悪い。前にも記したけど,この缶のオリジナルはドイツ国防軍である。この携行缶は合衆国もまね,ドラマ コンバットのジープに搭載されていたけど,陸大出の日本陸軍駐在武官は見逃した。中国軍は馬車で移動し,日本軍は徒歩で移動していた。作戦計画の捕捉殲滅は建前であった。逆に東條のように包囲されかかって苦戦した将軍もいた。彼は戦が下手でも陸軍大臣,首相そして,ついに陸軍参謀総長まで栄進した。こんな石頭の東條をカミソリ東條と腰巾着が褒めちぎった。
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エアコンは部屋の冷気を屋外に排出して暖気を得る。どうも,雪が降ってもエアコンを作動させているようだ。会社工場とかは電気代は個人もちではないので特にそうだろう。効率はとても悪い領域で動作させているから,電気代がかさむ。電車のような電熱器の方がましな気がするが,そんなシステムのオフィスはないだろう。この時期,半導体工場は多分,暖かく感じられるはずだ。確か,山形に NEC の半導体工場があった筈だが,もう閉鎖になっているかな。かつて NEC は世界半導体 No.1 だった。去年はサムスンだ。青森,岩手,北海道には商用半導体工場がなかったのではないかと思う。当然,沖縄にもない。東芝は四日市でメモリ,ソニーは CCD を九州で生産する。半導体工場は電力を大量消費するので寒冷地が有利なはずだが,文化的なものだろう。日本文化の中心は西日本である。中国は逆に華北である。そういう風に考えると,南北分断後の韓国はソウル以外の首都選択肢はなかったのかと思い当たる。光州が反乱したのは 1980 年であった。日本最後の反乱は西南の役で 1877 年。ラストサムライの舞台だ。まあ,薩摩の尊王攘夷は方便だったのだろう。

銀閣寺
家人の話によると,合衆国寒冷地の住宅だと,地下にボイラと燃料タンクがあるようだ。この時期,トイレと浴室の寒さがつらい。父は両方とも温水暖房にしていた。父には暖房費を節約するという考えはなかったようだ。そんな家に住んでいたせいか,勤めた事業所は耐えられないほど寒かった。足元に電熱器具を使えたのはスカート着用の女子と天下りだけだった。京都人は暑さにも耐えるけど,寒さにも強いというか倹約精神は立派である。多分,快適に生活するという発想は罪悪なのだろうと思う。将軍義政が居住した銀閣寺を見てそう思った。真冬でも外を隔てるのは障子紙一枚である。栃木の友人が市立小学校では冬季でも暖房のない北限と呆れていた。昔の日光ではスケートもできたから,大した教育だった。

車への給油禁止
上記の購入した容量は 82L @83 だ。車への給油は禁じられているとの張り紙があった。多分,軽油代わりに給油して脱税するのだろうと思う。ディーゼル車もいいかなと思う。灯油をタンク買いして,自宅で車に給油すればわからない。農家の脱税は農協税務署も黙認なんだろうか。農家の購入単位はドラム缶 200L だろう。脱税をなくすには税率を同じにすればいいだけじゃないかと思うが,財務省と経産省の縄張りもあって,そう簡単にはいかないのだろうと思う。ガソリン税を道路建設財源として,道路族の利権にしたのは田中角栄とされるが,本当だろうか。道路利権は複雑怪奇だ。そのせいか,京都の道路の酷い事。滋賀から京都に入ると,狭く凸凹府道だ。茶道の裏千家が栄えるように,裏文化が真の姿だ。上は虚構,下が真の社会だ。最近,亡くなった政治家の野中は下出身だった。白足袋を自称する人達から,散々彼の悪口を聞かされてきた。下賤だから市長,知事にもなれず国会議員になったと京都人は説明する。

父が乗艦していた駆逐艦は重油(原油)が豊富で,ボイラを焚いて水を精製していたと教えてくれた。南方では油より水不足だった。変な設計の軍艦だった。戦時は搭乗員が多過ぎて,生活水を賄いきれなかったのかな。
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