2018/05/11

オブジェクトとサルトル

私の世代だと,オブジェクトと言えば英文法のオブジェクト S+V+O だろう。モジラは「もの」と説明している。日本語の生き物,ものがない,ものがたり,のように非常にあいまいである。対物レンズの原語はオブジェクト,UFO がある。物,物体の訳から「もの」の説明になったのだろう。

英語には Body もある。力学の教科書に Free Body Diagram (FBD) がある。私の青年期はこれにつきる。同じ物理ながら,光学の Object と力学の Body の使い分けがはっきりしていると思う。

厳密な学としての哲学が全く発達しなかった東洋思想(インドを除く)の末裔でもある私にも,何故西洋が Object に拘るのかわからない。カントは「物自体」について,延々書き連ねてる。その大著が2冊もある。西欧の学問は先達の再現,批判から始まる。これを始めたのは神学者である。そのベースはアリストテレスとユダヤ知恵学である。スコラ哲学として結実した。これに匹敵するのは古代インドのウパニシャッド哲学しかない。

近代西洋人の体に染みついている考え方に「終わりのはじまり」がある。全知全能の神とその神とつながる預言(者)がテーマである。預言者はもう死んでいないし,天使(御使)はなかなか現出しないから聖書を漁る。西欧は近代を推進しながら,衰退するのではないかという預言者的な先駆者が現れた。キルケゴールとニーチェだ。シュペングラーの「西洋の没落」はベストセラーになった。古代インドが極めた無の思想である。時間は無意味である。ヘーゲル流の能天気な思想(世界精神)はマルクスに継承され,ロシア,中国カンボジアでは大災危となった。

一方,近代数学の隆盛から数論,集合論そして数学基礎論が大学で風靡して,哲学でもその影響を受け,現象学が生れた。創始者はフッサールである。ユダヤ系だけど,白いユダヤ人である。日本人は出自を関連づけようとするが,ほとんど無意味である。合衆国の日系人が外観は日本人でも中味はアメリカ人と同じである。ただ,幼少期に受けたユダヤ教育の影響は潜在意識としてあるだろう。

その現象学がフランスにも広がり,若き日のサルトルがカフェテリアで友人からコップ自体について,現象学の話を聞き,愕然としたそうだ。Object,Body,Appear がキーワードになったのだろうと思う。コップを認識する自分がいる。コップ,自分そして世界について,友人は多分,延々と語ったのだろう。

我々が存在と言うと,思い浮かべるのは何か。英語だと Being である。Let it be,の Be である。私は大層な哲学事典を持っている。存在の項を読んでんもチンプンカンプンである。数年前,暇になった頃,アリストレスを読んで西欧の「もの」について氷解した。アリストテレス(ハイデガー)は「もの」について説明するのに道具について語るのである。サルトルが驚愕したガラスのコップもヒトが製作したものである。どんな形状がいいのか。肉厚はどうすればいいか。模倣したかもしれない。模倣もヒト故だろう。私は粘土細工をする猿を知らない。

JavaScript は簡単なオブジェクト指向言語らしい。jQuery が動作しない。VB の DLL 地獄を思い出した。
JavaScript において、オブジェクトはプロパティと型を持つ独立した存在です。カップを例に考えてみましょう。カップは様々な特性(プロパティ)をもったもの(オブジェクト)です。
ではなぜ変数が必要なのでしょうか。何か面白いプログラミングをするには変数が必要です。
JavaScript (JS) は軽量で、軽量なインタプリタ型、あるいは JITコンパイルされる、 第一級関数を備えたプログラミング言語です。
読んでいると,頭が疲れて眠くなる。ヒトは大脳を使うと眠くなる。日本族は一日の始まりが太陽がのぼる朝だけど,啓典の民の一日の始まりは日没後だ。この感覚は中近東に行かないと,実感できないらしい。カイロ大学に留学した哲学の教授から知った。労働(骨折り仕事)を終えた後,神との1:1の対話が始まる。神は創世記以来,姿を現出しないので預言者以外の凡人は聖書を読む。

あー。。。この2日ほどの動作不具合がわかった。JavaScript はインタプリタなのか。コンパイラのような最適化は期待できない。高度な関数に騙された感じだ。とりあえず,Google 先生に尋ねても最後は Mozilla の啓蒙書になった。マニュアル,律法,福音書は私のなかでは混然としている。啓蒙書はゲマラの構造に近い。彼らは意識していないだろうけど,そうなっている。そういう論理構造なのだと思うしかない。

第二次世界大戦中,米陸軍は大量のパイロット養成にせまられた。その数10万人である。分厚いマニュアルを渡される。飽きさせないためなのか,コーヒーブレイク,コラム風に女性のカットが挿入されていた。父は海軍に徴用され,魚雷学校に入学させられた。講義の間,教本を渡され,講義を終えると回収するのだそうだ。多分,大した厚みのものではないだろうと思う。今でも日本の教科書は薄い。どうも,日本人は純化,単純化を好み,西欧は体系化システミック指向が強い。そのいい例が日本仏教である。門徒(浄土真宗)と創価学会は古代インド仏教の哲理精神とは真逆である。それを最もらしく説いたのが西田哲学だった。とにかく難解である。漢語ばかりで私には歯が立たなかった。

一方,ラッセル ヤスパースらの哲学啓蒙書は簡明である。ラッセルは西洋中世哲学の泰斗でもある。親鸞日蓮の自著は漢語である。彼らは中国語で思索していた。多分,漢文の素養があった西田もそうであろう。日本人は仏教を漢語で考えたせいか,中途半端になってしまった。今では西田哲学は全く顧みられない。漢文を解する日本人がどれだけかを考えれば,親鸞日蓮思想でも自明だろう。現代中国人の方が鎌倉仏教の理解が早いだろうと思う。そして中国語の言語構造から推察するに,オブジェクト指向は日本人より理解習得は早いと思う。

明治の草鞋を靴に替えたようには簡単にIT革命はいかないだろう。奈良期に仏教を受容して,日本人なりに身丈に応じて改変するのに鎌倉期までの期間が必要だった。いくら何でも時間がかかり過ぎだろう。

オブジェクトはどうなるのか。政府はプログラミング教育を小学校に導入するという。英語教育を始めて 150 年。間に合わないというか,もう絶望的だな。高校の英語教師が英語とは現国だと言っていた。確かに受験英語を考えるとそうだ。英語教育ではなく,国語教育だったのか。日本では 英語=漢文 だったのだ。日本語を知らないネイティブの人に英検を受験させたら,殆ど落第である。二重の意味で英語教員は酷い状況にある。英語と国語が苦手だったせいか,授業がつまらなかった。

今,思えば B-29 のオペレーションマニュアル本,買っておけば良かったと後悔している。平安期の僧侶はできそこの悪い学者だった。ただ中国語を少し解しただけである。それと現代の英語教員が被るのは何の因縁だろうか。給与待遇を合衆国のように,教員より介護職に手厚くしなければならない。合衆国のいい会社ランキング上位は何と病院である。自民党文教族と厚労族のどちらの声が大きいか,自明だろう。チャリティ精神のない悲しさでもある。日本の仏教系大学に医学部は皆無である。西欧はイスラム医学の影響を受けて,大学に神学と医学を設置した。日本では考えられないが,坊主(僧侶)が医師でもあった。

日本海軍特攻は「非理法権天」をモットーとした。海軍に付き合わされた陸軍特攻基地知覧では,散華した特攻隊員は鬼子扱いで,死後は牛乳瓶に野花が一輪飾られるだけだったという。合衆国兵士が戦死すると,葬儀に際し棺は星条旗で掛け,礼砲の栄誉が与えられる。特攻は自発的な行為だから栄誉はなしになったのか。「特攻は統帥の外道である」とか一見,仏教用語が多用され仏教の死生観と結び付けられている感がある。仏がわかるようでわからない。神仏に関心がないせいだろうか。両親は神棚と仏壇を拝んでいた。自衛官が戦死すると,どうなるのだろうか。

XMLHTTPRequest
JavaScript がインタプリタとして考えて,コーディングしたら TWE.txt を localhost:8080 Console 表示できるようになった。しかし Chart.js にデータを受け渡そうと,変数をグローバルにすると動作しない。検索したら,論外のようだ。Chart 関数を $.ajax に放り込んでみたら,案の定エラーだ。とほほの説明をもても「通信成功時の処理」とあり,ダメだろう。

XMLHTTPRequest なる「おまじない」が必要のようだ。

参考
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