2018/05/28

Ruby ファイル共有とルータ稼働日数

Windows 10 Home 上の Ruby 2.4 で LAN 越しに XP ファイルにアクセスしようとするが,上手くいかない。検索しても,Samba とかばかりだ。試しに TCP/IP 経由でもダメである。自身の仮想ドライブ上のファイルも不可である。PATH が通っていないせいかと思い通したがダメだ。コマンドプロンプトから仮想ドライブに移動し,素の Ruby を実行するとOKである。どうも Ruby 自体の問題ではなく Eclipse なのだろう。いくら何でもこれはないだろうと思うが,Linux が主対象だから仕方がないのか。そういえば,Linux はマウント操作が必要だったと思い出した。

Ruby on Eclipse は Windows パーティションで切ったドライブを操作対象とするとアクセスできない。昔の DOS の感覚でドライブを増やすのはマルチプラットフォームの Eclipse では御法度なのだろうか。 

Windows 7 の時はどうだっただろうか。思い出せない。昔のバックアップソフトは今でも Windows XP にアクセスできている。.NET Framework を用いてコーディングしたら何の問題もないが,VS2010 以外のMSツールでは主目的の XP SQLite アクセスコーディングがどうにもならない結果となってしまった。Slip21 自体を改変する事にした。

ワイヤレスと外部Pingを止めたルータ稼働日数
脆弱性が酷いワイヤレスルータを有線に限定してから快調である。114 日 21 時間 54 分 22 秒 連続動作している。これまで1箇月経つと,アホになっていた。ワイヤレス接続はアクセスポイントに担わせている。家人が繋がらないと不平を言われる事もなくなった。ゲーマの親父がルータをいじりだすとルータが止まるのが結構ネタらしい。その辺のルータはサーバを設置したり,息子のヘビーユースを家庭用ルータでは想定していない。検索したら,高価な NEC 商用ルータでも止まる。負荷を廉価器で分散させるのは正解だった。ギガビットルータも有線専用の方がいいのではないかと思う。合衆国発のイーサネットは偉大だ。

SQLite IOアクセス時間
兵器の場合,多目的用途は安くなるようで,実際は高くつく。合衆国の標準局 NBS は兵器のスタンダード化から始まった。日本のようなお上による度量衡統一目的ではない。互換性があるから,安い機器でネットワークが組める。将来的には Windows LAN もなくなるのだろうか。公式サイトだと Windows 10 Home は ¥19,008 だ。誰が新規購入しているのだろうか。Microsoft が Ruby に冷淡に思えるのは考え過ぎだろうか。
Win10-7read-sql.jpg 
上図はローレベルファイルI/O時間の比較でWin10 は Win7 より半分ほどの速度だ。Unix と同様 DOS もあらゆるデバイスをファイルとして取り扱うから,Windows 10 のキーボードレスポンスが遅い理由も納得した。ソフトを公開しているので Windows 10 でのデバッグをしているけど,Windows 7 に戻したいくらいだ。

嘉手納にカナダ軍の P3C が飛来した。NATO 各国の海上哨戒機は相互リンクができるのだろう。海自も護衛艦は米艦とリンクできるから,海自の P3C と米艦とのリンクもできるはずだ。しかし,海自は陸自とリンクができない。これをおかしいと思わないのがおかしい。変な軍隊になったが,歴史をみれば日本陸海軍はバラバラだったから日本伝統でもある。

ノルマンジ上陸作戦では,上陸部隊支援火器および空軍では破壊できなかった海岸砲台を駆逐艦が近接して破壊した。多分,光学照準による直射だったのだろうと思う。かなり危険な任務だ。日本海軍は明治来,「陸上砲台とは撃ち合うな」が鉄則だった。伝統墨守の海自は,海岸防備に関心がないのだろう。日本の海岸は見事に石油タンクおよび精製所,鉄鋼プラント,原子力を含めた発電プラントが海中からの巡航ミサイル攻撃に無防備である。日本人が自覚して海岸防備を固めたのは古代大和政権,鎌倉政権および明治だけである。仕方がないだろう。清朝に至っては,倭寇の略奪を阻止するため,海岸から領民を内陸に移動させたくらいだ。しかし,これは遊牧,牧畜民の知恵である。有事危機対策の基本はヒトが移動避難するのが原則だろう。沖縄戦では全く失敗した。島嶼防衛の要は簡単に粉砕される歩兵の駐屯ではなく,住民の避難が第一義である。

そのうち空自は海中発射巡航ミサイル迎撃は空自の任務ではないと言い出すのだろう。大平洋戦争中,海軍次官は米潜に輸送船を沈められ,360 隻の海防艦がないと航路帯を維持できないと内閣に開き直った。その当時,対潜海防艦は1隻もなかったから開いた口がふさがらない。お役人とはこんなものという見本だろう。その次官とは大和特攻の司令官伊藤整一であった。

参考
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