2018/07/09

来なくなった野鳥とエサ籠

20年前は窓際まで野鳥が飛来したのに今ではさっぱりだ。都市化のせいだと思う。落果した梅を来なくなった野鳥用にエサかごを吊るした。
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この樹脂のカゴは昔,子供が貝殻入れに使用していたものだ。6/18 に地面低く飛行する1羽のスズメをみたので,ついばんでくれるといいのだが。近郊にある果樹園は野鳥の食害を避けるためにネットを張っている。野鳥を召致する行動は農業を阻害する行為だろうと思う。市の条例ではどうなっているのだろうか。

自宅の前は旧中山道だ。幕府の天領だったので街道筋には一里塚が整備されていた。新時代到来とともに切り倒されたのか,なくなっていた。多分,大樹のもたらす日影が農民に嫌われたのであろう。Google Earth だと県内にエネファームが目に付く。これも樹木が日光を遮るから周囲を伐採する。土地の高度利用とは渡来民が近江に居着いて以来,伐採の歴史であったか。大樹が残っているのは神社の境内くらいだ。これが彦根になると事情が変わる。閑静な住宅街に大樹が何本も残っている。かつての武家屋敷街である。近江の豪商が残した庭園も樹木の高さが低い。身分が卑しいと視線が空高く向くことはなかったのだろうか。代官がいなくなると,領民達は幕府が整備してきた街路樹を伐採したのだろう。

大阪市だと今でも市民が公道脇の街路樹を伐採する。大阪も奉行直轄地だった。守山市も極端なまでに街路樹の枝を払う。旧中主町は考えて植生して立派な高木街路樹を整備していたが,近江八幡と合併してどうなったか。洋館に低木は似合わない。合衆国庶民の家でも高木が一本立っている。New York City 中心に広大なセントラルバークがある。隣接州も含めたさらに広大な自然公園拡張計画が進んでいる。明治政府は都民に神宮の森を残した。大阪維新は万博開催をして,後世何を残すだろうか。

横浜から京都に引っ越すと,なんと緑の少ない街かと思っていたが,人口千人あたりの市町村道高木数は横浜の32本に対して,京都はたったの15本だった。この統計は実感に合っている。都市景観の良い街に住むとしたら神戸の 141 本だろうか。

中東古代文明,インド文明,ギリシャ文明,中華文明および古代中南米文明は森を保存するという考えはなかったようだ。日本の奈良平安時代もひたすら森を破壊している。江戸幕府は馬車道には関心がなかったけど,街道杉を整備した。伐採したら大罪だろう。ゴッホの描くプロバンス風景画には糸杉が描かれている。どうも西欧中世と日本が大樹を愛好する意識が残ったようだ。合衆国制作のファンタジードラマは樹木を介して過去と未来を行き来する。ほとんど樹木とか森の記述がない旧約だが,聖書学者によると部族時代は樹木が命と再生のメタファーになっていた。それがエルサレム建設時代になると忘れ去られたそうだ。

嬉しい。体長数cmの野鳥が2羽やってきた。すだれ越しでよく見えない。但し,エサ籠に寄り付かない。何か工夫がいるだろう。6/22/2018

参考
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