韓国ロボット普及世界一と西印度奴隷制
日本の神道仏教系右翼は西欧のキリスト教と奴隷制の暗部を強調する。旧約を読めば,虐げるなとはあるが,奴隷制そのものを否定していない。国際法的には国連の奴隷否定は人権宣言以降で,非常に新しい。
貨幣がレバントで使われる端緒となったのは傭兵への支払いである。そのご奴隷売買に貨幣は不可欠になった。カールポランニーは古代の非市場経済を研究した。後に奴隷海岸と名付けられた大航海時代の西欧とアフリカとの奴隷交易を深く分析した有名な本に「経済と文明」がある。アフリカ内部の弱小クランだったダホメが軍事力と官僚機構で周辺部族を侵攻支配し,海岸に達して奴隷交易で多いに栄える。ダホメの貨幣は小安貝である。西欧との決済通貨の類は貨幣のような貴金属ではなく,銃であった。ダホメには市場もあり,商業は女の仕事である。価格は統制されている。軍人は男独占の職業ではなく,女兵士部隊があった。損耗率が酷い。今のイスラエル以上にはるかに戦死率は高かった。黒いアマゾネスだ。妄想が広がる。
非市場経済の文化でも他文明と交易して栄えるという実例である。イングランドがスペインを凌駕できたのは海賊行為もあったかもしれないが,三角交易のおかげである。その収益の実例が凄まじい。17世紀は交易の時代,大航海時代は交易そのものだった。後の大量生産による資本主義とは全く異なる。この利権を巡り英仏が海外での植民事業を競った。カリブ諸国の伝統的料理が寒流の魚類であるタラと知って驚いた。奴隷の食料として,西欧人が北米のタラを持ち込んだのだ。
サトウキビとタバコの収益は大きかった。フランスも植民会社を創設して投資した。世界初のペーパ債券を考え出して,高騰し やがて紙くずになった北米開発案件であったミシシッピ計画。考え出してブルボン家に売り込んだのがジョンローだった。この種の投資話は今でもある。私に海外のホテル事業に投資しないかと案内がくる。英蘭の投資会社は金の卵で東インド会社方式は大きな富を産んだ。この資本が資本主義を産み出す。
カトリックに脅威を感じていたイングランドが7年戦争あたりから,反逆活動法と扇動集会法の適用が緩和され,1774 年にカトリック教徒への寛容を認めた議員法があった。キリスト教急進派は合衆国へ新天地を求める事になった。
ピューリタン(清教徒),プレスビテリアン(長老派),ディガーズ(真正水平派),レヴェラーズ(水平派),アナバプテスト(再洗礼派),ルター派,カルバン派はそれぞれのやり方で,イングランド人はスコットランド人の生活を改めて聖書にもとづかせようとした。彼らは多くの問題で対立したが,今で言うところの開かれた,あるいは自由(リベラル)な生活のあり方を模索しているのではないという点では基本的に一致した。
当時の精神は詩人でピューリタン神学者だったミルトンを観ればわかるらしい。日本人には不可解な三位一体を否定し,その著書は死後も奥深く眠っていたそうだ。
ミルトンは疑う余地なく信頼できる聖書の章句から,それが明確に示している意味だけを真剣かつ慎重に追いながら,Homousian というニカイア信条以来正統的キリスト教徒の柱となってきた父なる神とキリストとの関係に関する古典的定義(父なる神とキリストとは Homousious であるとする信条を否定した。
重商主義
イングランドは西インド諸島での製糖,製綿を禁じていた。明治日本の殖産興業の原型である。綿繰り機が発明されて,綿花栽培はアメリカ本土に移った。合衆国独立戦争の間,マンチェスターの欧州綿花輸出は3倍になった。製糖がいかに利益が大きい例として,William Miles がいる。彼はブリストルに1/2ペンス3枚の硬貨をポケットにやってきた。運搬人として働き,造船技師の徒弟となり,15ポンドを貯めて船大工としてジャマイカへ航海した。彼は砂糖樽を一つか二つ買いブリストルで売って利益を得た。1848 年に亡くなった時,663 人の奴隷をトリニダードとジャマイカに持っていた。遺産は 100 万ポンド以上だった。日本は組織的にこれを真似た。日清戦争に勝利すると台湾に製糖事業を起こし,台湾製糖は鈴木商店への資金源となっていった。神戸製鋼とかは鈴木商店が起業した。1ペンスが100万ポンドになる成功例は,童話「ジャックと豆の木」に繋がる。しかし人余りの日本では過酷なサトウキビ栽培に耐える労働者に事欠かなく,奴隷は必要なかった。
砂糖の副産物としてラム酒があった。ラム酒は英海軍の配給品と奴隷船に欠かせなかった。ラム酒漬けにして黒人を買いたたいた。明治日本のタコ部屋の労務者徴募もこれを真似たのだろうか。米海軍が何故 禁酒なのか奥が深い。父が乗艦した日本海軍は英海軍を範として週一で酒が配給された。海自は米海軍をお手本としているのでどうなのだろう。
奴隷と交換品
安物の需要があった。ガラスビーズそしてビン。これら雑多な物と奴隷が交換された。しかし鉄棒は高く交換され銅棒4本の価値があった。合衆国は日本と比較するとアルミ価格が驚くほど安く缶はアルミであるし,テスラ自動車はアルミを多用しているのではないか。電池は重いし,車体が軽くないと走行距離を稼げない。
19世紀にはバーミンガムの銃はアフリカのヤシ油と交換されたが,18世紀にはそのような無垢な交換はなかった。銃は人と交換され,一人の値段は一丁だと言われた。アフリカ向けマスケット銃はバーミンガムの重要輸出品で,年間10万から15万丁に達した。英政府,東インド会社と並んで,アフリカはバーミンガム銃製造業者の得意先の一つであった。
奴隷プランタ
西インドのプランタは財を成すと,帰国し不在地主となった。国会議員にもなっている。James Watt と蒸気機関に融資したのは西インド諸島の貿易で蓄積された資本であった。現代日本は投資案件が枯渇したのか。英国議会ウェストミンスターは帰国プランタを新興金満家の議員として受け入れた。投票は買収がつきものだった。商工業が力をつけると,郷神層は高位聖職者貴族との婚姻を通じて上流層入りした。この点でも日本の封建制と類似を感じさせる。イングランドの名家は少なからず,西インド奴隷交易に関わっているとは驚きだ。グラッドストーンもその一人だった。
合衆国独立
1770 年の大陸植民地から西インド諸島への輸出品は以下の通りである。干し魚が全輸出量の約 1/3,塩漬け魚はほぼ全部,オート麦の 7/8,トウモロコシの 7/10,エンドウ インゲン豆のほぼ全部,小麦粉の 1/2,バターとチーズの全部,米の 1/4強,玉ねぎのほぼ全部,木材の 5/6,樽板の 1/2 強,金輪のほぼ全部,馬羊豚家畜の全部,石鹸とろうそくのほぼ全部。「西インド諸島との貿易から蓄積された富以上に,ニューイングランドと中部植民地の繁栄と文明の基礎を築いたものはなかった」
とある。王は砂糖で,西インドは欧州の砂糖壺だったそうだ。西インド諸島は大陸の食料と馬がなければたちいかなかった。当時から合衆国農業は輸出志向だった。西インド諸島の人々は大陸に資産を有し,北米人は島にプランテーションを保有していた。ジャマイカ ハイチと合衆国の関係は旧宗主国の英国より深いのも納得だ。
仏領サントドミンゴが台頭し,仏領の輸出 800 万ボンドに対し英領は 500 万ポンドだった。英国の重心は西インド諸島からインドに移動した。1783 年英国と合衆国間に自由貿易が定められ,綿繰り機が発明されると,英国の輸入額は 1792 年の 900 万ドルから 1801 年に 3100 万ドルになった。
西インド諸島の砂糖ビジネスはサントドミンゴ,やがてブラジルとの価格競争,そしてキューバの巨大プランテーションが息の根を止めた。競争力の失った英領西インド諸島の奴隷制は 1833 年に廃止された。「しかしながらイギリス資本主義の存在自体は,同様に奴隷制と血に汚れた合衆国の奴隷労働による綿花に依存していたのである」と,あった。
資本主義が全世界の富の過半を占めていた清朝で何故 発生しなかったのか,おぼろげながらわかった。宋代の製鉄は既に石炭による還元であったし,中国には技術もあった。西インド諸島の砂糖栽培と奴隷交易が資本主義を産み出したのか。砂糖交易がフランスと劣後になると,英国は東インド会社に注力し,やがてアヘンを介在させたシナ インドとの三角貿易に乗り出す。
プランテーション経営とアップル社の経営はさほど違いはないのではないかと思えてきた。トランプの主張にも一理ある。アメリカ知識人がバカにする福音派だが,骨折り仕事に携わる市民からすると,当たり前なのかもしれない。西インド諸島の奴隷制末期に,反乱が頻発している。奴隷制が繁栄したのは高々80年であった。奴隷制はその後 北米とブラジルそしてキューバで栄える。
戦前の日本は絹を北米に売り,綿花を買い付けそれを日本に持ち帰り紡績,綿布としてシナに売り込んだ。合衆国の大不況で絹は売れず,円は暴落。華南を統一した中華民国の紡績業は日本と競合し始め,日本は袋小路に入り込んだ。英国を真似て麻薬に手を染めた。朝鮮人を徴用工として強制労働を課した。日本が戦争に負けると,日本兵はソ連に抑留されて強制労働させられた。人は簡単に隷属的状態に陥る。滋賀彦根は草津に比べブラジル人が多い。自動車産業労働者だろうか。
現代合衆国綿花栽培は自動化が進んだ。IMF は日本のロボット産業を称賛しているが,未来は明るいだろうか。自動車産業の自動化に関する限り,ドイツが進んでいる。中国はドイツ方式を導入するだろうから,トヨタ式が敗退する可能性は結構 高いのではないか。トヨタ親会社の技術者はドイツに比べると見劣りする。日本人の器用さと現場力で頑張っているだけのような気もする。不器用な中国人はドイツ式で日本車を圧倒するかもしれない。この前例が韓国の電子半導体産業だ。韓国は徹底した自動化を進めた。単位人口当たりのロボット台数は韓国が一位とは驚きだ。日本が劣後になるのは当たり前か。スズキは中国から撤退を決めた。いい判断だ。
1640 年から 100年間,英領西インド諸島のサトウキビ畑には政治的あるいは宗教的異端者が送り込まれた。従ってアイルランド人とスコットランド人が多かった。1661 年には3度宣誓を拒否したクエーカー教徒が送られた。護国卿クロムウェルの時代である。プロテスタントがプロテスタントを虐げた。怖ろしいなピューリタン。その末裔が合衆国である。合衆国民をなめてはいけない。民主主義を世界に売り込んでもいるけど,異教徒を隷属させるのは屁とも思わない遺伝子が見え隠れする。さすが経典の民である。韓国もキリスト教が事実上,国教に近い。両国の連携には細心の注意が必要だろう。日本の歴史的踏み絵は従軍慰安婦,徴用工そしてモルヒネ専売である。
趣旨は朝日への批判らしいが,潮の「神の国」誘導が興味深い。日本語の「の」の問題でもある。例として合衆国学校教育における宣誓を取り上げている。しかし,一番大切なのは独立宣言の精神である。合衆国憲法には不法な政府からの離脱する権利がうたわれている。この種の論議は見方により正反対も可能になる。政治と宗教は不可分なので致し方がない。政教分離といっても,それもひとつの宗教に対するスタンスである。「有名なケネディ大統領のゲティスバーグ演説(1863年)」とあり,リンカーンとケネディを混同しているのは愛嬌か。日付は 2018年10月18日 06:01 だ。いつ修正されるか。
参考
神と黄金 上 p342-343
資本主義と奴隷制 ―経済史から見た黒人奴隷制の発生と崩壊― p41 p131 p198 p278
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