村田製作所転居支度金と前任者
また面接選考会の新聞チラシ B4 サイズが入った。今時,製造事業所で求人があるのがレアだ。京都電産,堀場製作所そして島津が中国東南アジアへ移転していった。京セラの野洲はどうなのか検索したら,1400 名の工場に育っていた。どうも中心は医療関係らしい。大したものだ。
いろんな考え方があろうが,京滋の多品種少量生産のセットメーカは壊滅になるだろう。残るのは部品,最強は素材だろう。その点,村田と京セラは有利だ。
実は私の前任者が村田に転職した。東大を出てF社から籍を置き村田へ変わった。私も不器用なのでえらそうなことは言えないが,彼の組んだ基板の配線半田付けは酷いものだった。彼の置き土産でニブラを知った。外国語能力は抜群だったらしい。事業所に配属となっても,企画とか戦略担当に変わっているかもしれない。MBA について言及していたから,ハーバードあたりに行ったかもしれない。
東大とそれ以外の大学との大きな違いは外国語能力だ。東大は授業の半分を英語にする計画をかなり前に立てた。日本人がノーベル経済学賞を取れないのは英語力の差だろう。多分,中国人が先にとるだろうと思う。改革開放まもなくの経済学部のテキストが英語だったのを覚えている。
日本も教養の数学,物理,化学などは英語の授業でいいのではないかと思う。日本海軍の海兵は旧制中学卒が対象で,英語は必須だった。海軍大学校に選抜されるような士官はかなりの英語能力だったようだ。山本五十六はナショナルジオグラフィックを自宅購読していた。敵性言語排斥の影響で,海兵でも英語教育を廃止する動きがあったけど,井上校長が拒否した。日本の変な英語教育はそれなりに戦後,役立った。阪大の教授が医系に英語が苦手な学生がやってきて,英語の指導をしなければならないと嘆いていた。東大は やはり別格か。その東大でもノーベル経済学賞とは無縁だ。
ピコ太郎が変な英語で一世を風靡した。私が習った, I have a book. This is a pen. は中学教科書から消えているそうだ。論文を執筆するなら,変な英語だとダメだろうが,物を売るなら大した支障にならないだろう。
日本人を海外流出させないために,外国語教育を充実させないという説がある。確かに英語能力の高いインド人,中国人そして韓国人が合衆国へ渡る。計算機科学だと欧州人ばかりだ。アイルランドは合衆国への移民が多過ぎて,国が傾いたくらいだ。一方,東南アジアから日本の国費で留学しても,学位を取得すると欧州と北米に移ってしまう。何がダメなのだろう。村田とか京セラにどれだけの外国人研究者がいるかと,ふと思う。案外,日本農業の焼き直しかもしれない。江戸期,オランダ商館員は日本人の農作業をみて,園芸とみなした。畜耕がなかったからだ。農業 アグリカルチャ の語源は「耕す」はよく知られているが,畜耕の意味である。
琵琶湖岸での研修で京セラと一緒の宿舎になった。やたら大声を出させていた。誰かが日本軍みたいだと言った。これが京セラの強みなのかと思う。多分,知識とか機械とかではなく,歩留まりを人力で勝負しているのではないか。京セラの創業者が日航の経営を立て直した。組織に入り,部課制を知った。その英訳をみると軍事組織と同じだった。会社組織と軍隊は同じである。2次大戦の米軍兵士はネクタイである。ビジネスに則り戦争する。京都のブラックはそのあたり絶妙なのだろうと思う。
前回指摘した村田のチラシの「制作」が「製作」に変わっていた。明日は村田の面接選考日だ。視力のいい若者(男性限定)なら,一考してはどうだろうか。中国人朝鮮人と競争しなくて済む。園芸的日本スタイルも いいかもしれない。転居支度金は30万円だ。
軍隊は 1/4 ないし 1/3 の兵力を失うと戦闘能力を失う。自衛隊はイスラエルもしくはスウェーデンのような軍隊を目指すしかない。戦前の靖国魂は百害あって一利なしだ。老兵とか女性兵士でも,取り扱える兵器体系に変えないといけない。言うなれば,村田 京セラ スタイルの軍隊では日本は継戦できない。兵器も立派な道具だ。自衛隊で最も遅れているのは外国語能力と工兵だろう。「施設科」の名称は何とかならないのものだろうか。
参考
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