2019/08/15

講談社「はたらくのりもの」と担架そして忖度

講談社の はたらくのりもの が廃刊になった。陸自の戦闘車両が掲載されていたためである。陸自にも救急車両がある。災害に活躍している。講談社は何故,掲載しなかったのか。

最近,フィンランドの冬戦争を描いた DVD を見た。やたら,負傷者を担架で運ぶシーンがある。第二次世界大戦では戦傷は砲弾によるのものが最も多かった。銃弾による銃創は少ない。これが実相に近い。ハリウッド作品での機銃とか小銃でやたら敵兵が撃たれる映画のシーンはガ島戦の一木支隊を除けば,まったくの創作である。

サイパン守備隊は浜際に陣地を構築して,東條はサイパンの浜に並べた火砲密度を誇り,米軍を水際で撃退できると豪語していたが,敵艦砲で砲火力を減じた。砲兵が榴弾で負傷したためである。それでも残存火砲は浜際の多くの米兵を死傷させた。
PKOでは国内部隊よりも手厚い衛生部隊が随行しているが、それでも途上国より見劣りしているのだ。諸外国では下車歩兵一個分隊に一つは折り畳み式の担架と後送に必要な救急品一式のセットを携行しているが、これまた陸自には存在しない。そして患者集合地点から負傷者を運ぶための装甲野戦救急車も一台も存在しない。これらは途上国ですら装備しているのに、だ。
なんでこんな事態になったか。西欧は第二次世界大戦まで戦争ばかりの歴史だ。既に中世には担架があったが,日本は戦国期でも担架はないようだ。明治になって陸軍が採用した。陸自は戦前の道徳生命観がそのままなのだろう。何と冷たい軍事組織なのだろう。

先の DVD ではスターリンの誕生日に合わせて,敵陣が花火を上げていた。実話なのだろうか。太平洋戦争の米兵も天長節を警戒していたとされる。史実だろうか。実際,日本陸軍の将官は天長節に合わせた実行不可能な作戦計画を立てていた。最も醜悪なのはインパールの牟田口だろう。輸送移動の困難な雨期に作戦を続行した。牟田口は忖度官僚だった。昭和天皇の誕生日が冬だったら,白骨街道もなかったかもしれない。

参考
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