拝謁記とデンマーク改革
昭和天皇は再建された警察予備隊をみて,戦前に戻るのではないかと懸念を示した。服部卓四郎と GHQ G2 の暗躍をどこまで知っていたか。軍備の必要性も述べている。戦前の何が良くなかったのか,プラグマティックに考えてみよう。
陸海の分裂と下剋上が良くなかった。明治維新は下剋上そのものであったから,明治以降の天皇制否定になる。統帥の分裂は陸海軍予算編成の専横がいけなかった。今でも,防衛省(軍),国土交通省(海保),総務省(警察)の予算編成に議会は手を出せない。
古代サラミス海戦は陸兵が軍船に乗船して,漕ぎ手は平民だった。海戦に漕ぎ手が欠かせず,これがアテナイ民主制につながった。経済力を蓄えた平民は武具も揃え,重装歩兵となり貴族騎兵の価値を減じた。アテナイの軍事力は平民が担うようになり,デロス同盟の覇者となった。現代の合衆国にも通ずる。
古代ローマの軍船の漕ぎ手は奴隷であった。偉大な工兵であったローマ兵は長大な軍用道路を建設して,ガリアの軍団がペルシャまで行軍補給できる程であった。どうも,昭和天皇の軍事史観は底が浅かったようだ。800 年続いた日本の武家政権下において,天皇が軍事音痴になって当たり前だろう。明治天皇は軍事に一切,介入しなかった。
この微妙な時期にこの種の番組「拝謁記」をNHKが放送したのは,政府の何がしかの意図がある。憲法改正への地ならしだろう。
専守防衛なら,空自と陸自があればいい。海自はいらない。公海航路通行保障があればいいだけだ。今は,合衆国が担っている。南シナ海の通行権を中国が握ると言っている。自由通商を保障してくれるなら中国でも構わない。お国柄上,中国は自由交易を認めない国である。戦後,日本は海主陸従の予算分配策を採ってきたが,韓国中国の台頭にそうもいかなくなった。韓国は人道を武器に日本に謝罪と賠償を求めている。
防大OB会の様子をみると,戦前の反省は全くない。昔は連隊長ともなれば,地元の名士だったのが,災害出動の指揮をする陸自師団長すら,だれなのか知らないのが不満なのだろう。知事が師団長と警察本部長を従えて指揮する筈なのが,3.11 の際,福島知事は蚊帳の外だった。1945 年春の沖縄有事と同じ状況が続いているのだ。昭和天皇は官僚上がりの吉田より,日本の行く末を見通していたとは怖いな。
長い長い軍事政権の間,日本の有事対応は武士階級の征夷大将軍が担っていた。西欧市民国家の軍隊は都市が担っていた。フランスはパリ市民が軍役を厭うようになると,急激に弱体化した。戦前の皇軍の主体は小作農の倅であった。小作農がいなくなり,今は特別公務員(官兵)がになっている。歴史的に東アジアの官兵は弱かった。武官(防大OB)をどうハンドリングするか。警察が戦前と同じようになったように,武官ももそうなるだろう。しかし官兵は憲法改正しても戦えない。個人的には無能薄情な特別公務員に徴用使役されるのは耐えられない。日本軍の最低な職業軍人は小作農出身の憲兵だった。徴用市民の監視監督は自衛隊警務(旧憲兵)と考えるのが妥当だろう。
何回も憲法改正を成し遂げ,民選大統領が指揮する徴兵制の韓国の脅威と どう対峙するのか,象徴天皇制は賞味期限が切れたのではないか。東シナ海交易圏の覇者は日本から韓国そして中国へと移りつつあるのだろう。いかに日本衰退をソフトランディングさせるか。西欧のバルト北海の覇権を失った立憲君主制のデンマーク,スウェーデンが参考になるだろう。敗けても国富を増やせる。但し軍隊は弱い。
拝謁記を残した田島道治は Wiki によれば,無教会キリスト教徒だそうだ。無教会派の内村鑑三はデンマークの開拓植林について記している。デンマークは強大な海軍を保有していたが,北海の覇権を失い後背地もプロイセンにより領土を失った。日本が森林をやたら伐採し始めたのは明治政府以降であった。
敗戦日本は天皇の植樹から始まった。この江戸回帰精神は大切にしたい。朝鮮は禿山を放置しておくような国である。中韓との差別化にもなる。昭和天皇は軍の観閲に替えて,植樹祭を行うようになった。しかし,その行幸啓費の地方負担は3億円を超える。これには県警の動員費と市町村道の美化整備費は含まれていない。北の指導者地方視察と同じ状況だろう。田島道治は今の状況をどう思うだろうか。
デンマークは工兵士官だったダルガスの開拓事業を称えて,記念切手を発行した。我々は戦後 100 年に何を残すだろうか。もう一度 敗戦の意義を深く考え直してみよう。
参考
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