2019/10/11

古代ユダヤ人傭兵と天草強制移住

古代ペルシャの属州となったイスラエルは BC7 世紀の中頃,ナイル川上流のア スワン付近のエレファンティネにユダヤ人傭兵の入植地があったそうである。現代イスラエルが 1951 年に成立すると,飛行機で帰還した黒いユダヤ人は有名な話だ。
セレウコス朝のアンティオコス三世は,メソ ポタミアやバビロン地方のユダヤ人二〇〇〇人を小アジアのリュディアやフリギアへ傭兵 として入植させ,以後,この地域にはユダヤ人が多く住むようになった(ヨセフス『古代 誌』12.148- 153)
ユダヤ人のディアスポラは離散,流浪の民というイメージが染みついて,武装は思いつかなかった。傭兵として入植したのだから,それなりの給養はあったのか。合衆国も日系人を強制移住させ,イタリア戦線とフランス戦線に日系人部隊を投入した。それに引き換え,大日本帝国は朝鮮人の戦力化を出来なかったもしくは考えなかった。実に不思議だ。台湾の高砂族だけは遊撃戦目的に運用しようとしたがこれも失敗した。この違いは何なのだろう。日本の古代だと,俘囚を全国各地に分散させ入植させたものの,結局上手くいかず奥羽に帰還させた。帝国とは名ばかりの大日本帝国であった。人種に関わらず,正規兵に登用する合衆国こそが真の帝国だろうか。

江戸期,天草が蜂起した結果,領主を代えるだけでなく反乱農民を離散させた。武装化したまま蝦夷に送り込んで北方防衛と開拓という発想はなかったのだろうか。兵農分離政策のため,不可能であったか。日本に傭兵が育つのは戦国期の足軽からである。武装集団として根来衆と雑賀衆が名高い。武士は姻戚関係の武装集団であったが,これら地縁の他に宗教的紐帯があった。天草の武装集団と相通ずるものがある。

西欧中世と日本の武家政権を比較して,両者のみが後に近代化できたとする史観は無理があるような気がする。ハロルド王を破ったウィリアムは,ロンドン市民により戴冠した。ロンドンの槍兵は征服軍に組み込まれたのであろう。日本では市民農民により推戴された国主は皆無だ。せいぜい土豪くらいだ。英仏戦争でフランス騎兵を悩ませたイングランドの長弓兵は農民から徴兵し,厳しい訓練を課されていた。戦国期の足軽の登場は兵農分離を解体させたかにみえたが,やはり元に戻った。稲作文明の宿命だろう。

参考
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