軍機と縦割り組織
どこの軍隊であれ戦争計画がある。計画に基づいて軍備を整え兵士を訓練する。日露戦争後の帝国国防方針により,仮想敵はソ連(陸軍)と合衆国(海軍)になった。両軍の予算獲得競争は熾烈であった。航空機の発達は目覚ましく,戦略爆撃を実行できる爆撃機 B-17 が 開発され 1935 年に初飛行し,空母で運用する艦上機が航空魚雷を装備するまでになった。
1934 年 MLB が来日し,その一員のなかにスパイが含まれていた。彼は中島のエンジン工場を撮影し,東京の下町界隈を聖路加病院の屋上から撮影した。後に日本家屋向け焼夷弾の開発に役立ったそうだ。当時の憲兵,特高は何をしていたのだろう。日本の軍用機はコピー技術ばかりで軍機はなかったのだろうか。一方日本海軍は戦艦大和の建造を秘匿し,国民はその存在を戦後知った。
B-29 の開発発注状況は公開されていた。ミッチェルが軍艦を航空機で沈め航空優位を示して以来,守旧派の抵抗はあったものの米海軍は航空戦力重視に踏み切った。空母艦長は搭乗員出身が担う。合衆国艦隊司令官は航空および潜水艦マーク保有のキングが抜粋された。
東京が空襲されるようになると,庶民の間に聖路加病院と公衆衛生院は爆撃されないとの噂が広まった。ともに合衆国の民間団体支援によるものだったからだ。政府は鬼畜米英と煽っていたが,庶民は親米的だった悲しいエピソードだ。実際の爆撃禁止目標は横須賀海軍工廠,皇居,霞が関,発電所および浄水場施設だった。占領政策に欠かせなかったからだ。
自分たちの組織を作りたいから東大医学部が震災で壊れなかったのは残念だと書くのもそうとうだが、一つ気がついたことは、日本の学問の親ドイツ性に戦間期にはゆらぎが現れていたと考えると、一部の医学者たちが、アメリカの医学をきわめて口汚く罵っていることが納得できる。
戦間期における東大の親独雰囲気は相当なものだったか。東大生がナチス親衛隊を模倣した海軍士官短剣に憧れる一方,東大教授が米ブローニング航空機銃を模倣し,陸海軍用に別途設計する。弾の互換性がない。
商用電力周波数は富士川を境に異なる。規格の重要性にいち早く気づいたのナポレオンであった。ジェファソンはこれを軍工廠に持ち込んだ。明治陸軍は諸藩が揃えた銃を廃棄して,統一銃で日清戦争に臨んだ。清軍は弾が標準化されておらず,補給が滞った。太平洋戦争では立場が逆になった。ガダルカナルの米陸海軍機は弾が共通だったが,日本陸海軍は機銃弾の互換性はなかった。これは陸海軍並立の日本が良くなかった。特に海軍を甘やかし過ぎた。今でも,毎年潜水艦を一隻建造している。こんな国は他にない。しかし潜水艦発射の巡航ミサイルもない。沿岸を守る小艦艇もない。海保との人事交流もない。
日本の組織図では串刺しになっていても,実際は機能していない。警察署も児童相談所も地方自治体組織だが,ともに上位監督官庁に顔が向いている。児童相談所長と警察署長の協力はあり得ない。知事市長が連携をいくら言明しても,警察署も児童相談所も知事は指示命令できないからだ。
近代革命は身分制度を壊した。情報革命は垂直統合を水平分業に移行させている。これらは西欧での状況だ。官尊民卑を残した天皇制にみられる縦割りピラミッド構造組織の日本がフレキシブルな役人組織に変われるだろうか。
参考
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