保坂正康の昭和史指摘と魚の頭
毎日新聞 (9/21) に次のような特徴を挙げた。
1) 天皇を神格化した軍事組織の誤り
2) 江戸時代の武士の人格陶冶をまねなかった弊害
3) 外国知識の表面的な受け入れの弊害
これは国家に限らず,他の組織にも当てはまり,日本の社会がこの種の入れ子になっていると思う。小池百合子が盛んに言っていた,ガバナンスとコンプライアンスの問題だ。吉本の岡本社長がいかにも言いづらそうに「コンプライアンス」に言及していた。普段,使っていないし考えもしなかった言葉なのだろうと推察した。
ゴーンの後を襲った日産の西川社長は,前任者と同じ不道徳な報酬を決定し,前任者が未払いであったのを不当に得てしまった。会見を見る限り,「悪」という認識が全くないようだ。個人の財布と会社の財布の見境がなくなっている。合衆国だと,最も恥ずべき行為だ。日本の新聞が全く取り上げず,文春と WSJ のみが当初,報道しただけだったそうだ。ごく普通の出来事と思っていた。メディアが同じような入れ子になっていた。
江戸期の儒学とりわけ朱子学の道徳に戻れとは言わない。西欧の道徳に「悔い改め」がある。キリスト教がもたらした道徳だ。人には原罪があり,罪を逃れられない宿命と考える。そのため,建前にしろ日々の反省と感謝を捧げた。江戸期には世間という考えが,規範になっていた。主君は家来を成敗できる権限があったけど,事実上封じられていた。これが復活するのが幕末である。実際は,藩主を名目に反対派を粛清した。日産を外部から見ると,藩のお家騒動と似ているのではないか。日産の株主総会で日本生命が西川に反対票をいれた。株式会社は株主のものという西欧風の考えによれば,日本資本主義が成熟してきたのかもしれない。日産は国策会社だったせいか元来,派閥争いが絶えなかった。
保阪は政治指導者と軍事指導者について,紙面の制約もあって言及していないが,「魚は頭から腐る」が真実だろうか。昭和天皇は「反省」の語句を入れたいが,家臣が許さない。これもまた,昭和天皇神格化の一つかもしれない。本当に反省していたら,西川のように居座るのはおかしい。ウソだろう。責任は何も感じていなかった。無責任体制が国どころか,社会の隅々までいきわたっている。先の諺の由来はロシアだそうだ。大会社の大株主がガバナンスとコンプライアンスの声を上げ始めたのは驚いた。この点において,日本はロシアより救いがあるのかもしれない。おそらく,最も頭が腐っているのはメディアと教育ではなかろうか。自分達が腐っているから,他の悪臭が気にならないのだろう。
- 関連記事
-
- 安息日の起源と宮司兼職率
- 保坂正康の昭和史指摘と魚の頭
- 韓国軍事費の伸びと迎撃ミサイルシステム
コメント