「桶狭間の戦い」行動図
歴史群像 No.157 には,5/19 の両軍の動きについて2枚の行動図が描かれている。当時の地形図を再現したらしいのだが,何の言及もない。現代の地形図を Google Map により,
殆ど平坦である。それでも,今も深田(大池)と思われる池があり,その脇に長福寺も現存する。日本陸軍が作成した地形図でも参考にしない限り,往時の丘はわからないかもしれない。その地形図を元にして先のグラデーションを強調して描いたのだろうか。
鳴海八幡宮と沓掛城址公園との距離は 7.3km に過ぎない。今川勢は鳴海,大高および沓掛城を確保しているのに対し,尾張勢は目と鼻の先の距離に山側に砦を築いている。新解釈では今川の劣勢なのに,義元は大高に入城した設定になっている。大高を取り巻く砦は,兵力 5000 の移動監視すら失敗したのだろうか。鳴海城主山口父子は何故,劣勢側に寝返ったのだろうか。やはり,今川勢の方が優位でイニシアチブをとっていたけど,斥候が明暗を分けたのだろう。こんな狭隘な場所に,7000 人ひしめいて察知されない方がおかしいだろう。
劣勢側が山上に陣取った多数を攻めるのは容易ではない。行軍しながら戦闘などできない。小休止と戦列を整えてから,突撃する。尾張勢は道のない谷を行軍した設定になっている。映画ロードオブザリングに崖下のオークに突撃するシーンがある。桶狭間の戦いは,あり得ない奇襲戦だったからこそ後世巷間に伝わったのだろうと思う。
義元が輿で行軍し,信長は騎乗である。両軍の行軍スピードは隔絶していただろう。輿に乗って勝てるのは家康くらいだろう。信長は扇川を渡河して中島砦に 2000 の兵力を集結した。いくら何でも今川の斥候が渡河を見逃す事はない。また,高根山に残置した後方部隊が,原初東海道を進軍する 2000 の軍隊を丘下に望見したら,そのまま通過させるだろうか。今川勢の兵力 5000 を二分したとするのも,各個撃破リスクを考えると不自然だ。たまたま両軍が遭遇したと考える方がおかしい。退却するなら,一丸となって迅速に撤収するのが普通だろう。遅滞戦術なら高根山から攻撃するし,釜ヶ谷を通過中の尾張勢を両方の丘から攻めないのも解せない。
大高に入城した三河勢と分断された今川本隊が信長の騎乗機動により,打ち破られたのが実情ではなかろううか。義元と信長の移動手段が輿 vs 騎乗ではお話にならない。常識的には移動速度が勝っていた尾張勢が先に攻撃位置を占位し,休止後突撃したのだろうか。信長は下馬戦闘したそうだから,騎馬の突撃力はなかった。防御するため下馬したと考えるのはもっともだ。実際は薄氷を踏むような勝利だったのだろうか。それとも,尾張勢の鎗兵がよく訓練されていたのかもしれない。その話は後日にでも。
義元を野戦で打ち破った信長の名声は一気に高まっただろうと思う。まあ,大将が輿でのんびり戦をしていた日本は平和な戦国時代であった。同じ頃から5世紀遡り,イングランド王ハロルドはヨークまで急行し,ノルウェー王を破った後,引き返しさらに南下へースティングにてウィリアムに敗れた。この移動速度に比べたら,織田今川の両将は戦う気があるのか。西欧古代中世の戦は指揮官先頭である。指揮官が先着し,地勢を観察して防御陣の縄張りを差配する。日本はいつから,後方からススメと命令するだけになったか。弥生期からかもしれない。稲作文明と麦作文明の違いだろう。
米海兵に偵察大隊という軍組織がある。偵察と強襲を兼ねた独特の組織である。馬の代わりにハンビーに全員乗車する。馬車のない日本の戦争は,どこか間が抜けていた。ニューギニアとインパールではひたすら撤退し,多くの餓死者を出した。信長の頃と精神的にあまり変わり映えがしない。敵は機動に長けていたというより,日本陸軍がおかしかった。馬と馬車になじみがないせいでもある。
それとも両者の戦った兵力は斥候が発見できないほど,桁違いに少なかったのだろうか。その可能性の方が高いか。そんな状況で,義元は輿だったのか。馬で追尾されたら,どうするつもりだったのか。不思議な大将だ。
陸自の海上機動部隊(佐世保)の指揮官が自慢していた。ガダルカナル戦の一木支隊長を思い起こさせる。対馬に来襲する韓国海兵と戦闘したら,その移動展開速度の真価がわかるだろう。ガダルカナルニューギニア戦のようにモタモタしなければいいが。旧陸軍は米軍侵攻を予期していなかった。現陸自にも当てはまる。戦は参謀らの予想から外れて始まるものだ。私は,海自の出動が遅れ陸自との連携に時間がかかり,対米戦における島嶼戦の二の舞になる可能性の方が高いと思う。自衛隊は米軍なしでは戦えないが結論である。
参考
歴史群像 No.157 p61,p65
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