子供用布団絵柄と防大生サーベル佩用
私が子供の頃の布団の絵柄には,武将が刀を捧げる図柄が描かれていた。母が作ったものだった。長じて,新田義貞による鎌倉幕府追討の際のエピソードだったと知った。皇国教育を受けていた母はこのエピソードを知っていただろうと思う。戦後になっても,商人はこの種の商品は母親受けすると判断していたわけだ。
新田義貞は戦いに際し、この「安綱」 「国綱」の2本を両手に振り回して、 飛んでくる矢をすべてなぎ払った、と出てきます。国綱のほうは、 上記の斯波高経から尊氏の手に渡り、足利家で代々伝えられた後、 織田信長、豊臣秀吉を経て、現在は天皇家の御物になっています。
日本の母親が国産の自衛隊装備品を描いたTシャツを男児に着せる日が来るのだろうか。少なくとも,紫電改とか疾風のような旧軍機のデザイン子供服はないだろう。日本軍は敗者だからだ。母親が新田義貞のような敗者を選択するには皇国史観,西欧ではキリスト教が必要であった。弱者にこそ正義があるという考えだ。これが韓国がキリスト教化する理由だ。あなどってはいけない。ピューリタンは合衆国建国の精神である。
新田義貞の太刀は武家に連綿と継承され,今では天皇御物だ。英王は今でもサーベルを佩刀する。サーベルは元来,トルコ騎兵の刀だった。悠仁さまはどんな刀を佩刀するのだろうか。剣道とか弓道をお試しになったのだろうか。米海兵は戦間期にサーベルを廃止した。防大生はサーベルを復活させた。三島由紀夫の亡霊が当たり前の時代になったようだ。ローマ教皇は武装を止めて久しい。鎌倉期の上皇は武装していたけど,建武期の後醍醐は武装しなかったようだ。明治天皇は洋装に替え佩刀した。昭和天皇は靖国参拝を除き,佩刀を止めた。参考末のブログによると,防大サーベルの経緯は理解できる。旧軍将校の嗜好思考のまんまである。
それと,日本の侍大将は鉄砲の技量を誇った。その代表が島津義弘であった。さらに米陸軍は連隊長でもカービン銃を携行した。指揮刀をぶらさげ小銃も操作できない日本軍将校では,どちらが実戦的だっただろうか。担架もろくにない自衛隊がサーベルを愛好する。犠牲になるのは下卒と有事法制により徴用される国民か。
父は靖国集団参拝の後,レイテ沖に送られた。集団参拝する防大生は,徴用国民をどこへ送り出すのだろうか。国際価格10倍の銃器で,韓国兵と戦うのか。国庫はあっという間につき,円は暴落するだろう。食糧も燃料も買えなくなる。日本には対抗する巡航ミサイルもないし,韓国相手では日米安保は機能せず,単独で戦わなければならない。航空戦力を喪失して終りだろう。日韓が争うと合衆国はどちらにも兵器を供給する。どちらが先に中国製兵器を採用するか。
参考
- 関連記事
-
- 劣化する米陸軍病院と朝鮮有事難民治療
- 子供用布団絵柄と防大生サーベル佩用
- 軍機と縦割り組織
コメント