2020/02/04

日立タービン売却(2)と F-13

重電タービンは東南アジア市場において,中韓勢に勝てなくなった。ガスタービンを含む複合機だけが優位を保っているが,ガスタービンの巨人GEがいる。それでも三菱がタイの大型ガスタービン受注に成功した。小型はオーストリアが強敵だ。2次大戦期は軍用エンジン製造で知られていた。歴代日立社長と言えば,東大の電気を専攻しタービン主力の日立工場長を経て就任するのが常だった。

太平洋戦争の主力艦は蒸気タービン推進だった。造機の花形だった。大西洋の戦いは潜水艦戦だった。主機はディーゼル機関である。戦間期の軍縮期,昇進の機会が減らされた米海軍のニミッツとスプルーアンスはディーゼル機関と電気会社への再就職を検討していた。日本が海軍軍縮を脱退しなかったら両提督はどうなっていたかと妄想する。原潜と原子力空母の将校の再就職に原発があったけど,今はその途は閉ざされた。どうなっているのだろう。

重厚長大の代名詞だった三菱の重電タービンが南米でも相次いで成約し復活したかにみえる。IHI は合衆国の自動車用タービン(ターボ)工場の大増設をする。市場は電池自動車関連ばかりを取り上げるが,東西両海岸を除く自動車市場の大半を占める内陸州は違うのではないか。

ターボは日米独の寡占である。日立のガスタービン技術が中韓に流出しなくて良かった。最終的には東芝のタービンも三菱に集約されるだろう。

F-13
母は戦時中,B-29 の飛行機雲を見ている。実際は偵察型の F-13 だ。天気の良い日をねらって,成層圏を悠々と飛来して写真偵察していた。日本の迎撃機は成層圏まで上がれなかった。まともな過給機がなかったからだ。戦記物を読むと,13000 mを飛んでいたとある。マリアナから飛来すると,いくら何でもこの高度はないと思う。

ターボも凄いが,Kodak の開発した自動化カメラも凄い。こうした偵察を通じ,東京大空襲を立案したルメイは 1945 年9月に日本は降伏すると見込んでいた。この解析をしていたのが,後のベトナム戦争を指揮したマクナマラ中佐である。日本海軍は実行部隊と解析部門がわかれていなかった。その結果,台湾沖海戦の大誤報がレイテ決戦になってしまった。戦国江戸期には戦目付がいたのに,明治になると消滅した。

参考
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