2020/02/06

ソ連航空兵器の改良

兵器刷新
自分の働いている部門が売りに出たらいくらで買われるのか。それは国家についても言える。生糸と茶以外に売れる国際商品を持ち合わせていなかった明治政府は富国強兵に乗り出した。自動車がだめにならないうちに省力化された国防に変えないといけない。

とりあえず,長距離巡航ミサイルとドローン兵器だろう。3箇月もあれば試作機ができる。それを3年とか5年計画にするのが官僚だ。これは清代の官僚が国富をかすめ取ったやり口と同じだ。その点,封建領主でもあった幕末の幕閣はマシだったか。

ソ連航空兵器の改良
ソ連は酷い官僚制のなかでも軍事兵器部門だけは迅速だった。独ソ戦において,次から次に繰り出された戦闘機は改良性能向上が施され,ついにドイツ機に対抗できるようになった。後は数で圧倒した。

翻って日本機の改良はどうだったのだろう。早かったのは紫電改の川西くらいではなかろうか。三菱,川崎,中島それぞれの担当者は不眠不休で頑張ったのだろうが,結局のところ遅れるに遅れた。ソ連だと,労働キャンプ送りそして粛清があったけど,日本の場合遅れた責任者が処刑されたケースはないのではなかろうか。

航空機設計は発動機馬力で基本仕様が定まる。ソ連はドイツの1800馬力を目標とせず,1500馬力での機体小型化,小さな翼面積,少携行弾数を選択した。日本は合衆国を目標に2000馬力級を目指した。大翼面積,20mm 機銃4挺の重武装疾風と烈風だった。しかし合衆国輸入の高オクタン価のガソリンの備蓄もなくなり,低品質の自製ガソリンで飛ばねばならなかった。しかも,陸海軍はガソリン製造を互いに秘匿し,別々にガソリン工場を建設していた。

日ソ指導者の考え方が余りにも異なる。日本の当時の指導者は陸海軍出身者である。特に陸軍統制派のシナ通が主導権を握った。対ソ対米に通じた将官は中枢から外された。航空兵器のレベルを考えたら,日本の実力は長期戦になると対ソでも怪しかった。まあ,対ソ戦だと成層圏での戦いはなかったか。

フランス上空に侵攻した米軍機と独軍機の戦いは成層圏に移行した。米海軍は日本侵攻に重量軽減のため,日本機との戦いに不要なターボを取り外した。日本海軍は戦争末期,米機動部隊の空襲にその所在位置すらつかめなくなっていた。大体,沿岸 300km の距離から発艦する。

日本陸軍は沖縄そして九州防衛を諦め,本土決戦にも消極的になった。1944年7月に松代大本営の建設が決定された。軍人の考える事は大体同じで,日米ともに北関東での地上戦を想定していた。日本陸軍は師団配備の変更に1年を要した。それは師団長人事から始まる事務処理だ。師団長人事は天皇の決裁を要した。内地に数多くの案山子師団ができた。兵器も弾も食糧もない。陣地構築も進まなかった。言い訳はシャベルがないだった。実際はどうだったか。

ソ連だと,飢餓に喘ぐ農民都市住民を徴発して陣地構築した。当時の陸戦主兵器は戦車だったから,対戦車壕の建設である。空からは丸見えである。写真偵察していた合衆国は日本軍の意図を正しく理解していたのではないか。ドイツもフランスドイツ領内に対戦車壕を建設していなかった。ソ連の軍事ドクトリンが異色だったのか。空飛ぶ砲兵のルフトバッフェが壊滅し,ドイツは抵抗力を失ったのだろう。

4発重爆を長らく開発していなかったソ連はウラジオストックに遭難した B-29 を返還せずコピーを製造した。ソ連機は朝鮮戦争,ベトナム戦争そして中東戦争で評価を下げた。スターリンに愛されたミグ設計局が落ち目になり,スホーイ設計局はどうなのか。時代錯誤の高機動を売りにしている。アメリカ人になりすましたソ連スパイのドラマをみていたら,ステルス技術を合衆国で研究していたロシア人を拉致して強制研究させるエピソードがあった。ドイツに侵攻すると,ドイツ人航空技術者を拘束してソ連領内で研究開発させた。ソ連は満州朝鮮にも侵攻したけど,盗むべき日本の技術はなかったようだ。合衆国は 731 部隊の免責と引き換えに成果を独占し,ソ連に渡さなかった。

しかしソ連の弾道兵器は合衆国を上回った。エジプトが運用したソ連製ミサイル艇がイスラエル駆逐艦を撃破した。駆逐艦命名の由来は魚雷艇排除の艦種であったから衝撃的だった。弾道兵器全盛を確立させたのがソ連だった。ロケット砲を装備して戦車殺しにも使用した。

日韓の対艦ミサイルの射程が気になり検索したら 150,180km だった。レーダは水平線の向こうが見えないから,どうやって敵艦を補足するのだろう。僚機とか僚艦のデータリンクなのか。シーカが作動するのは着弾直前だろう。
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