2020/02/11

電子部品販売店とネット通販と民度(1)

あるICを10個欲しくなり近くの電子部品店に見積を頼んだら,通販から5個購入したら送料がペイする価格だった。一般に電子部品は重量当たりの単価が高いのでそうなるのだろう。

近くには競合店がないせいもある。昔,京都に中山電子パーツという店があった。四条烏丸の大丸の反対側一筋下がったところにあった。1個単位の電子部品小売をしていた。大手会社の製造担当は治具の設計製作実務をせず,下請けに丸投げしていた。下請けメーカがICのレール単位での買い付けに来ていたのだろうと思う。いわば,町工場の倉庫代わりになっていた。工場が中国に移転して,当該の生産技術職はどの分野に転職したのだろうか。

面実装機
面実装部品の半田付けスキルがないので工場を検索し,チップ部品の在庫があると記載されている会社に問い合わせてみたが実際はなかった。ほとんど廃業状態なのだろうと思う。常備在庫がないのなら,中国の工場に依頼するのが普通だろう。

昔,オムロンの下請け工場はテーブルと椅子と半田付けパート社員があれば,受注できた。部品自体が小さいのでベルトコンベアすら不要だった。やる気のある滋賀の農民が工場経営者に成り上がった。借地料を払う必要もなく,工場建設ができた。しかし,実装機が必要な段階になると激変した。不器用な中国人でも実装基板が製作できるようになった。実装機が登場したからだ。合衆国の時代は真空管,そして日本の時代は DIP で終わった。

キャノンは草津の日電機械の「実装機」工場を買収して,守山に工場を建設した。東南アジア系の実習生が多そうである。多分,中国向け輸出が好調なのだろう。面実装部品の極小化になって,栄える企業と国もある。NEC は草津の半導体プロセス工場もロームに売った。技術シーズを保有しながら活かせない。微細化の市場価値をここまで間違う会社も珍しい。というか,結果的にはPLシートだけしか見ない経営者の判断ミスかな。まあ,赤字だから売れるものは売らなければならない。売れただけでもマシか。電子部品の主流である半導体は日本から台湾韓国に移った。

合衆国政府高官がファーウェイを止めて,ノキアにしろと言っている。日本の通信メーカは名指しされない。NEC と富士通は何を企画営業していたのだろう。ひたすらドコモの発注を待っているだけか。結果的に,電電公社時代の営業スタイルが踏襲されていたのか。通信敗者の日本,通信勝者の中国だ。この差を甘く考えない方がいい。

日本海軍の高官は米海軍にレーダで敗けたとのうのうと言いのけた。米海軍は戦間期にレーダを研究していたのだ。日本海軍は考えていなかった。海自も同類だろう。

かつて,英国で動力織機が発明され地方の郷伸が工場経営者になり帝国主義の主体となったが,日本はそうならなかった。藩の上下関係よろしく,系列に属さない工場の経営は難しい。ある大手企業経営者が,下請けになるかオリジナル商品を出すかのどちらかだ。その中間はないと断言していた。

Bloomberg のランキングをみると,日本は先進技術トップ10から脱落した。これはいい面もあると思う。系列に君臨する独占資本が弱体化すれば,新しい郷伸層が生まれるかもしれない。このランキング表を眺めて,日本は合衆国タイプなのか,それとも中国タイプなのか考えたら,農業および製造業に関する限り上意下達の中国形式だろうと思う。

中国は,富裕層=中国共産党 なので世界トップはないだろうと思う。ただ,ノーベル賞とかは輩出するようになると思う。ドイツ自動車メーカはトヨタと異なり治具設計は自前である。そのドイツが中国と生産革命で協業する。中国自動車メーカは韓国現代自動車と異なり,名もない日本の自動車下請け治具メーカに技術者を送り込み設計製造技術を習得させている。その代表例は鋳物,金型そして溶接だ。滋賀にその種の会社があり,中国実習生が中国本土から派遣されている。最近は,創業経営者が老いると,会社ごと買収する案件も出てきた。

日本陸軍の小銃部品は挽物加工されていたが,西欧諸国はプレス鍛造加工だった。世界中の科学者が愛用する安価なドイツ製科学製品を分解すると,板厚 6mm のプレス加工品があった。京都の科学機器メーカでは到底無理な設計である。内規では板厚 3.2mm までしかもドイツようなスミアールなしは不可能だ。そんな技術のある下請けが京都にないからだ。

本田宗一郎はドイツのプレス機をいたく気に入り,やたら複雑なプレスフレームを多用した。トヨタにもない代物だったらしい。金を貸した三菱銀行は大したものだ。日本兵は中国より一桁高価な小銃を携行して戦わなければならない。火器が陸戦主要兵器である限り,日本の勝ち目は薄い。

文明開化の象徴プラウ
日本の農民が使用していた犂は平安期以来進歩がなかった。私の母は馬を御してプラウを操作できた。発音がカタカナ語ではなく,聞いて覚えたのか英式 Plow だった。西欧の長い長い中世が近代精神の礎になったと思う。今では農業革命とも称されている。イノベーションが近代精神に立脚する限り,中国の世界トップはない。戦前の日本の繊維産業は女工哀史だった。戸塚工場に女工を並べてトランジスタのワイヤボンディングさせていたのが日立だった。鐘紡が日立に変わっただけだった。奈良朝が農民を支配し始め出してから,日本に独立自営農民がいたのだろうか。独立と武装は不可分である。ヤマト王権が成立した頃には武装自営農民はいなかったと思う。

日本の馬耕が進化しだすのが,明治維新以降である。マヤ,アステカ,インカには犂すらなかったのに高度な帝国支配が可能であった。臣民に高度なスキルを身に着けさせないのが民を統治する要諦である。簿記,算術を古代エジプトの神官が独占していた。

日本は犂の改良ではなく,備中鍬の改良を選択した。馬車を嫌った文明でもある。江戸期の藩主は騎行より,駕籠を好んだ。この精神が日本人にしみついているのではなかろうか。民度は農民をみればわかる。メノナイトに至っては,中国から部品を取り寄せトラクタを組み立てる。

参考
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