日本農業衰退と戦前の出口戦略
日本農業 GDP 推移
テレビは日本農産物輸出をよく取り上げているような気がする。私個人が農業に関心があるせいかもしれない。しかし実際には農業部門の GDP 推移は急激に減少している。全体の GDP は微増である。
農水省は多額の政府補助金を支出しており,政府支出補助金は GDP に含まれるから,農民の投資は極端に減少しているのかもしれない。農民の消費は微減程度だろう。農民向けの物売りビジネスは難しい。しかし,農民が膨大な資産を抱える。というのは,農協の資産を運用する農林中央金庫は世界有数の投資機関だからだ。
戦前の出口戦略
戦前,合衆国に絹が売れなくなって日本はシナ市場の独占をめざして武力侵攻した。同様に日本車が合衆国に売れなくなる時代もやってくる可能性はいかほどだろうか。また,東條のようなシナ通が幅を利かせるようになるのだろうか。その兆しはある。東條はシナに 100 万の兵力を送り込みながら,合衆国と開戦した。狂気の沙汰である。対米戦は中国との戦争を止めるために踏み切ったのであった。
今では何と愚かと思うが,当時,国民全体が毎日朝日等のプロパガンダのせいもあって,合衆国のシナへの支援に憤慨していた。陸軍首脳はシナ戦線でのガソリン消費増大に驚いた。自動貨車(トラック)がないと,道路網の発達した中国では戦争できなかったからだ。航空戦力は優位にあり,地上戦に多いに役立った。後に航空士官学校まで整備する。その点,日本海軍の空軍化はお粗末だった。陸海軍の航空予算配分競争は熾烈だった。航空機銃弾に互換性がなく,防空レーダ開発も別々に行った。陸軍が空母と潜水艦まで建艦した。別個にガソリン精製所も建設した。
小作農は文部省の小学校で兵士になる訓練を受け,兵役に就くと軍,除隊して役場の兵事課に登録された。当時の国民の過半は農民で小作農だった。そんな貧農が多いのに,満州に移民する農民は少なかった。西日本(沖縄,広島,和歌山)の貧農は中国ではなく,ハワイと合衆国を目指した。当時の合衆国は欧州からの移民が多かった。白人がやりたがらない劣悪な鉄道建設労働とか農業年季奉公を日本人と中国人が担った。それでも,本国の地主の収奪よりはマシだった。さらに酷いのは女だった。江戸末期,遣米使節団の一員だった福沢諭吉は日米売春婦の待遇の違いに驚いている。
戦後の出口戦略
日本の小作制度は事実上,GHQ が地主の私的財産権を否定して実施した。中国が共産化したおかげで,日本製品は中国と競合する事なく合衆国市場で優位になった。労働力は農家の次男坊が担った。
補助金漬けの現代日本農民をみると,投資しないのは当然だろう。しかし明治の頃は江戸期の封建地主が明治の殖産興業の担い手となって,銀行鉄道に投資したりした。そんな銀行はよく倒産した。今では地主も銀行も破綻しなくなった。現代日本は真の資本主義ではないのかもしれない。
参考
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