戦時量産ソ連機と三菱烈風を比較する
ソ連は対独機に劣っていた自国戦闘機の開発に粛清の恐怖をもって,設計局を競わせ叱咤した。強力エンジンの開発が間に合わないと判断し,1800馬力,高翼荷重機の量産に特化した。
日本海軍は何年計画で戦争していたのだろうか。造艦計画をみると,昭和25年度でも戦時量産計画があった。海軍航空本部も三菱重工幹部もノンビリしていた。日本は軍部独裁総力戦と言いながら,赤軍の軍事組織とは程遠かった。
ソ連流なら,堀越技師は収容所送りだろう。川西は紫電改を半年で設計試作できた。何と言っても,競争がないのが最もいけない。海軍が三菱に単独内示した段階で,駄作機の運命は定まっていたのではないか。日本は思っていたほど総力戦を戦っていなかった。
長い中国との戦いで,対米戦との違いをよく認識できていなかったのだろう。陸軍軍事予算は戦争が終わるまで,対中戦半分,対米戦 1/4 そして国内 1/4 の配分は変わらなかった。頭の悪い東條の戦争計画がそのまま,小磯鈴木内閣に引き継がれている。
陸軍の主攻はシナで日本陸軍総決算の打通作戦が 1944 年4月に発動された。一方,サイパン防衛は片手間だった。陸自幕僚監部にしても五十歩百歩だろうか。チェックする指導者がいないからだ。これまで,米軍に軍監になってもらったけど,もう期待できない。
自前の国家指導者を淘汰選抜しなければならない。合衆国の下院は2年毎に改選され,予備選もある。日本だと一度落選すると,再チャレンジは約4年後である。時代が大きく変わるのに任期4年は長過ぎだろう。予備選もいい。世襲だけのメッキ候補は淘汰される利点もある。
とにかく 多くの新人政治家が登場しない事には どうにも ならない。母数が多ければ,当たりの指導者も出るだろう。
戦前 木戸幸一は近衛の後継に東條を指名した。木戸がキングメーカだった時点で日本は詰んでいた。明治大正は元勲が首相を指名していた。中国は長老が国家主席を選ぶ。日中ともに引退老人が指導者を選ぶ。
参考
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