2022/02/09

烈風設計と過労死

三菱重工の吉川技師が日本海軍戦闘機烈風開発中に過労で亡くなった。主任技師だった堀越も入院した。日本海軍のライバル機を設計製造していたグラマン社はワイルドキャットからベアキャットまで三菱と比較すると順当に開発できたようにみえる。実際は主力戦闘機をブルースター,ボート,グラマン社と競合試作させ,日本海軍のように三菱に丸投げするような事はなかった。

太平洋戦争末期,日本海軍は川西が持ち込んだ構想を採用し紫電および紫電改となった。翼設計も含め6箇月でモノにした。川西の設計陣は暇だったのか。

戦争末期三菱は紫電改の製造を命令されたが,地震でその生産能力回復は絶望的だったとされる。零戦の過半数は中島が製造したし,三菱は兵器開発生産工場として投資に熱心ではなかったようだ。

軍用機の設計製造は米英独のようなメーカ主導は期待できないとすれば,ソ連方式のように設計局競作と国営工場による量産が日本には適していたのではないか。

陸海軍は軍需省を設置して発動機の標準化を試みたみたものの,海軍は無視して三菱に発動機開発を続行させていた。艦上機の意味がなくなった本土防空戦経緯をみたら,航空機製造資材配分を陸軍に重点配分し,海軍の異様に多い開発機種を減らして疾風増産の方がまともだった。

陸海軍航空隊を空軍として昇格させていれば,現代中国空軍のような戦略も可能だっただろうにと思う。空軍創設に最も反対したのが山本五十六だった。ある意味,彼は亡国の提督だったか。

日本海軍のお手本は長らく英海軍だった。それがいつの間にか最大仮想敵が米海軍になってしまった。日本陸軍の仮想敵はロシアソ連と一貫していた。国防方針の分裂をおかしいと思わない国論はどうかしていた。民は国防に関心が薄かったのだろうと思う。

商用化できなかった MRJ をみると,社風を変えるのはいかに困難か。

参考
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