3年で3個目のDaiso腕時計
春の長期連休中に腕時計を着用して,帰宅したら秒針が外れていた。
アイドル時のエンジン振動が大きい旧車のせいか,手の振動が伝わり外れたのであろう。普段はカバンのなかに入れたまま運転しているので振動が伝わらなかったか。
1個目は1年半以上の寿命があったのは,車内での使用がなかったせいだろう。電池を交換しても秒針が動かなかった。
似たようなミリタリウオッチをアマゾンとヨドバシで検索した。条件は
1)アナログ秒針
2)編みベルト
ウレタンベルトの寿命は短くしかも通気性がなく嫌いだ。液晶表示は見づらい。仕事柄,腕時計の着用は不可なので従って防水の必要もない。アマゾン取扱品はレビューによると指針が外れていたそうだ。ヨドバシは該当品なし。仕方なく3個目も Daiso となった。振動さえ与えなければ,1個目同様の1年半の寿命はあるだろうと思う。どうもこの時計はシンガポールで企画設計されたらしい。時計デザイナーになるならシンガポールに移住した方がいいのか。英語能力が必須だな。
昔,使っていた SEIKO の目覚まし時計も秒針が外れた。スマホが目覚まし時計代わりになり従来タイプの目覚まし置き時計は1個もなくなった。
日本最後の征夷大将軍慶喜の居室に置き時計があった。舶来品か国産品のどちらだろうか。東芝の創業者は幕末の時計師だった。航海に欠かせないクロノメータ。英国の時計師は優遇され,貴族に列せられた。
一方,東芝の NAND メモリに多大な貢献をした発明者は台湾に渡った。白色青色ダイオードの中村も合衆国の教授に招聘された。日中韓の東アジア諸国では職人とか技術者は優遇されない。原発事故を起こした東電の歴代社長は総務出身が多かった。
将軍慶喜も交渉に長けていても,戦は苦手だった。戦が苦手だった東條は山下,石原らを左遷予備役入に追い込んだ。講和前提の戦線縮小を直言した戦争指導課長松谷も中国に飛ばした。その松谷は参謀総長杉山が中国戦線から中央に復帰させる。しかし奥の院である作戦部は常に戦線拡大派が部長課長を占めた。参謀本部が泥縄式に本土決戦を検討するのはガダルカナル敗戦以降である。本来なら,平時においても本土防衛計画があらねばならなかった筈なのだが,変な国防方針であった。
欧州でのバトルオブブリテン(航空戦),大西洋の戦い(潜水艦戦)を知っても明治の国防方針を変えられなかった。
合衆国は1939年,フィリッピン駐留艦隊の指揮官を大将職にした。これは日本政府へのシグナルでもあった。日本海軍は合衆国を仮想敵としていたが,米アジア艦隊主戦力の米潜対策訓練を怠った。案の定南方の油田は確保しても,原油ガソリンは本土に入らなかった。仕方なく,東條首相が輸送船の対潜網を提案したくらいだった。今の在日米海軍トップは中将織である。
ヒトラーは日本の潜水艦運用がおかしいと伝えてきた。首相が日本海軍を指揮していないので,これは無理な話であった。今でも,その傾向は変わらないのではないか。震災の時も海自の出動は遅れた。最初に駆けつけたのは米海兵の揚陸強襲艦であった。
現在の自衛隊装備品,高層ビルの防衛省建物をみると本気に国土防衛を想定しているとは思えない。戒厳令もなく国民保護は全く考慮されていない悲しさだ。自衛隊も皇軍もその本質は変わらない。所詮,東アジア的官兵と思えば納得だ。
早期講和派の松谷も自国民保護という意識はなかった。
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