2023/08/04

土着神と中山道八幡信仰

古代の豪族は土着していたが,中世になると武士が台頭し移住するようになった。その典型が軍事貴族だった河内源氏である。義朝は摂関家をバックにした父為義を凌駕し関東に下向,やがて平氏との争いに敗けた。郎党のない頼朝は3代で絶え,北条氏が簒奪した。足利に土着した義国の子孫尊氏は関東を捨て,京で開幕した。その結果,足利氏の源鄕は関東管領家同士の争奪の地になった。備後の平氏の代官だった伊勢氏が駿河に下向し,鎌倉公方をシャッポにして関東に勢力を扶植した。後に後北条を名乗る。西欧クランの興亡同様,郎党率いる武装一族の興亡は激しい。

移住した武装クランは八幡信仰を持ち込んだ。中山道に近江八幡市がある。中山道沿いに関東まで八幡社が連なる。源氏の一派である武田信義の直系である武田四郎勝頼が信長に勝利すれば,そのネットワークに乗り地滑り的に上洛の可能性すらあった。北國街道はさらに細かく浄土真宗の末寺が点在する。

尾張守護代家の奉行職家に過ぎなかった織田弾正家が「天下布武」を掲げて,各地の下剋上勢力と争った。鎌倉室町期を通じて荘園は武士に簒奪され,院政も形骸化した。この変革に300年も要した。直近の低迷停滞も納得だ。

西欧の資本主義の背景にピューリタン思想との繋がりが指摘される。現代のSDGsとか過激な環境運動とかも変革をドライブする下地が西欧精神にはある。果たして日本はどうなるか。


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