2022/11/03

究極の蚊対策は高地転居

9月中旬になっても,西向きの家周りを通ると毎朝,蚊に刺された。蚊は少しの風速でも移動が困難になるらしいと,枝を刈払ったけど効果がなかった。それより気温低下の方が効いた。

周辺の新築住宅はセメントもしくは砕石で敷き詰められている。沖縄の伝統的家屋の周囲も同様だ。雑草が繁茂する日本の風土では芝生は蚊の温床になるだけか。ゴルフ場はどれだけの殺虫剤を散布しているのだろう。温暖化が進めば,高地に住むのがいいか。滋賀だと農地に適さなかった湖西だ。
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蛇足
パプアニューギニアの住民は高地に住む。蚊対策だろう。旧日本軍は広大なニューギニアの沿岸に基地を設営した。米豪軍は降下部隊を送って高地に航空基地を設営,物資は航空輸送した。沿岸に分散していた日本陸軍航空隊は米豪軍爆撃隊により地上で壊滅した。密林は海だったとの陸軍軍人の述懐がある。当時,陸軍戦闘機が海を越えるのは大変だった。しかし米陸軍戦闘機 P-38 は洋上航法を運用した。しかし,P-38 は欧州戦線に優先的に配備され太平洋は二の次だった。

日本陸軍航空軍は戦力の過半を中国戦線に割いており,太平洋で戦う余力などなかった。太平洋は日本海軍の戦いとすれば,ニューギニアの対地航空支援は日本海軍か担当しなければならないのだが。

一方,ニューギニア反攻を支えた米豪軍の航空支援は米海兵航空隊+護衛空母が担った。日本海軍が主導したMO作戦が,米海兵の揚陸戦を誘発したのは皮肉だった。米第7艦隊と米海兵航空隊はマッカーサ率いる米陸軍の黒子であった。海軍は陸軍あっての海軍である。陸海軍並立の日本軍は異様だった。そして日本陸軍は戦間期において米海兵研究を怠った。

米海兵戦闘機は対地支援が主任務である。洋上航法と空母離着艦もできた。東條のような満蒙における麻薬行政に長けたシナ通軍人が幅を効かせた。米英軍に熟知した軍人は全て冷や飯を食わされた。これは悲劇よりは笑えない喜劇なのかもしれない。合衆国太平洋を知らない首相が対米戦を指導した。東條は一時期,陸軍航空軍の最高責任者も努めていた。所詮,軍事に関心の薄い事務官僚に過ぎなかったのだろう。

岸田は外務大臣経験者なのに太平洋戦略に関心がない。小渕が懐かしい。どんなリーダを選択するかは自民党の総裁選挙による。致し方ない。

米海兵主力戦闘機コルセアに対抗できたのは陸軍4式戦,5式戦および紫電改くらいしかなかった。これはエンジン出力の違いにつきる。コルセア搭載発動機の初運転は 1937 年。ハ45は 1941 年だった。

東條は 1938 年に航空統監に就任している。しかし発動機の開発などに関心もなかったのであろう。一方,彼は憲兵隊司令官だったせいか憲兵隊を政治家監視に悪用,倒閣に動いた吉田らを拘引したりした。軍人なのに軍事技術より政治を好む。

軍人勅諭では政治への関与を戒めていたのに,陸軍大臣を再三送らず政党政治内閣を倒閣した日本陸軍。元勲がいなくなったら,外交軍事に躓いた日本。黄金の3年間を担う岸田。国葬の政治判断をみると,官僚依存が過ぎるようだ。菅のようなコロナ危機において,厚労省医官を抑え込んで総務省を活用した剛腕は岸田に期待できないのではないか。当時の英首相は製薬ベンチャ投資を率い,生命科学に精通していた民間人に全権を委任した。

東大法学部防大出身の事務屋が遺伝子創薬ワクチン,軍事技術に精通しているとは到底思えない。変えられない官僚任用制度。しかし日本政治が変わるとも思えない。危機が来たら,右往左往して会議が延々と続くだけか。

太平洋戦争末期,首相は会議ばかり出席していた。英語の Meeting の原意は意思決定だそうだ。根回しと談合社会では,意思決定を会議では行わない。日本降伏の御聖断も伝説の類だろう。

岸田は巷間,「検討士」と言われている。決断する権限がありながら,行使しない。しかし,国葬だけ何故,暴走したか。重用する官僚が限られているのだろう。その失敗に懲りて彼の息子が秘書官になる。随分とレベルの低い政治家を自民党はリーダに選んだものだ。

それとも,息子は父より優秀なのだろうか。秘書官となる息子がどれだけ凡庸な父を支えられるか。鎌倉期北条義時は父時政を追放した。戦国期武田晴信(信玄)は父信虎を追放した。日本は大変な時に凡庸な東條を首相に選択して,大失敗した。

日本人はトルーマン大統領が朝鮮戦争を指揮していたマッカーサを解任して驚いた。トルーマンは凡庸だったかもしれないが,コモンセンスがあった。岸田には国葬をみると,コモンセンスの政治感覚も疑わしい。
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