2023/03/04

陸軍講和派と継戦派双方の共通項は総動員体制

東條首相はかつてのライバル山下奉文をマレー戦後,満州に追いやり,そしてフィリッピンに送った。日本軍司令官はスタッフ(参謀)を選べない。山下は別格で,参謀長に開戦時の軍務局長武藤章を指名した。東條とソリの合わない山下武藤コンビ。比島決戦を標榜していた割には,捨て石時間稼ぎのレイテ戦だったのだろう。その東條内閣も宮廷グループと海軍の倒閣工作で瓦解した。

陸軍内部の講和派と継戦派双方に天皇制を廃して親ソ軍事政権を目指す中堅将校グループが形成されつつあった。総動員体制の継続が目的である。そのためには天皇制廃止も厭わない。終戦の前日,継戦派の頭目東條が阿南陸軍大臣私邸を訪問している。何が話し合われたか。阿南は参謀総長梅津の同意が得られず陸軍クーデタを諦めたとされる。スターリンが望んだ北海道東部割譲を飲めなかったのか。

ちなみに合衆国は日本が降伏する前に,権益確保に満州に海兵を空輸していた。その一方,北海道の千歳,函館に米兵が進駐するのは 1946年4月10月であった。北海道は朝鮮同様,合衆国にとりどうでもよかった。スターリンもドイツ分割に注力しても,日本分割の優先度は低かったのだろう。

今も昔も対中政策が対日政策より優先される。衰退日本にとり好都合ではないか。
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