2023/04/01

本土決戦生起と北京争奪戦

日本の指導者岸田は黄金の3年,我が国を率いる。検討士と称され庶民間では無能扱いだ。有能と思われていた石破は消えた。河野も消えていくだろう。次は小泉ジュニアの世代だろうか。

日本陸軍だと東條には思想がないと酷評していた石原そして山下は東條により予備役,満州南方追いやられた。アホなリーダを選ぶと有能な後進も消えていく。山下は陸軍大臣と目されていた。

太平洋戦争開始した東條は消去法により木戸から推戴された。陸軍人事に執着した東條は執務室に人事表を貼っていた。講和を直言した課員は中国南方にとばした。しかし内閣改造しようと岸から辞任を取り付けようとしたが,拒まれ結局辞職した。

後任の参謀総長は梅津が就任した。東條は首相辞任後も陸相留任を画策し,大臣候補だった梅津を総長にしたが,三長官会議で梅津が東條の陸相留任に反対し,阿南もしくは山下を推した。結局,東條は留任を諦め,杉山が陸相(再任)になった。早期講和派の松谷を中央に復帰させたのも梅津だったのか。

中国戦線を視察した梅津は昭和天皇にもう戦えないという趣旨の報告をしたと,昭和天皇独白録にある。一方,東條は国民に敢闘精神に欠けていると上奏していた。最後の最後まで東條は昭和天皇に信任されていたようだ。ポツダム宣言後の御聖断が,なぜこうも遅れたか。本土決戦が生起しないだけでもマシだったか。

朝鮮は分断される事もなく,ソ連が占領。そのかわり北海道が分断されていただろうか。合衆国は満州に海兵を派兵する余裕もなく,中国満州における日本軍の武装解除も遅れて国民党軍と共産軍の北京争奪はどちらに分があっただろう。。
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