2013/05/06

所有と売買自由の歴史

Yahoo の提供するニュースで携帯電話の無断譲渡の禁止する法律があるのを知った。 資本主義の社会では原則として,人権に関する以外の「物」に関して売買が自由だと思っていたが,そうでもなさそうだ。中学校以来高校まで習う日本史では,農地の耕作権の譲渡禁止(当時今風のマネーが存在していたわけではない)が最初ではないかと思う。明治以降農地の売買が自由化されたが,戦後また規制され現在に至っている。薬物の売買は東洋では厳しく罰せられる。パリスヒルトンは薬物常習歴により入国を拒否された。銃火器の売買も日本では厳しいが,アルコールタバコの売買はほぼ自由だ。アメリカは薬物,火器,タバコ,アルコールの売買を制限規制している。

今は,ソフトウェアの再販と使用許諾についてはどうなのだろうか。Windows インストール済みのPCを以前,購入したのだが,マイクロソフトの使用許諾によれば違法(米国法)らしい。米国法によれば,私はライセンス条項に違反した装置によりプログラムを開発し配布した事により処罰の対象になるのかもしれない。所有の自由を保障しながら,譲渡を禁止するとは不自然な感じがする。音楽CDの譲渡売買は自由だ。Windows と音楽CDの違いは何だろう。

フリープログラムとして開発をはじめた言語が昔,販売事業者から購入した古い VB4 だった。このとき使用許諾とか少し考えて開発言語を選択すべきだった。今だったら,フリー開発言語 Java,C がある。今となっては遅きになったが,マイクロソフトの呪縛から離れれるように考えなければと思う。

Windows から Linux ベースの環境に移行すべき時代なのかもしれない。一度,Linux をインストールしたのだが,フォントが貧弱で使用を止めた経緯がある。どうもGoogle Chrome が日本語フォントを刷新するらしいのでMS明朝よりも期待できるかもしれない。早くでないかな Google Chrome と思っても,ソフトの主戦場はスマホに移り,デスクトップは開発優先度は低いだろうな。

ハードウェアのスペックの低い Dell GX240 の使用をすっぱり止めて,Win7 が動作するハードを整備して WinXP 使用許諾問題を回避する事も考えるべきかなと思い始めた。

マイクロソフトは日本向けに VB4 を販売しなかった。並行輸入業者から購入した。この種の販売に大きく利権がからむのは止むを得ない。国内のライセンス供与を受けた製薬会社製と米国産オリジナル産製では内外価格差があるらしい。薬好きの米国民は国境を越えカナダで薬を購入すると安くなる。規制があればあるほど儲けられる仕組みがあり得る。日本中国は西欧から見れば,薬物,ソフトウェアの巨大市場だろうと思う。マイクロソフト日本法人が内国法人税を納めているかどうか定かではないが,コピー品を買わない国民性はマイクロソフトにとり大きな市場だと思うが,中国よりにみえるマイクロソフトの販売方針は日本人のひがみなのだろうか。TPP もどの辺で妥協するのか大筋合意に達したのであろう。幕末,二宮尊徳は異人が日本の農地を狙ってやって来たのだろうと考えたが,そんな論拠が今でも続いている。マイクロソフト,ファイザーの商売を見る限り,日本の規制に便乗して儲けられるのである。そして,日本では独占禁止法がこの両者の製品に関して問題視される事はない。米の輸入規制が温存されてもいいのだ。これから貧しくなる日本人は高止まりの国産米の消費を減らして,米国産小麦の消費量が少しずつ増えていくと冷徹に判断しているのではないか。

子供がヒストリーチャネルで「強欲」について人類がどう考え,宗教がどのように対処してきたのか主にキリスト教を基に構成した番組をみていたので私も便乗した。大いに感心させられた。大学で高い授業料を払って学ぶ教養よりわかりやすい。所有権が確立したのは「ローマ市民」だった。「強欲」がローマを滅亡に至らしめたと述べているがこれは言い過ぎだろう。イエスが所有にこだわっても,神の国では何の価値もないと説いた。それをパウロが強調してローマ社会に広め,7つの大罪に纏められた。なるほどと思う。アダムスミスが「強欲」は不徳ではなく道徳にかない,神の見えざる手として「強欲」を正当化した。あとは大航海時代,産業革命,資本主義と西欧近代化の歴史をなぞり,最後に「強欲」を制限した独占禁止法で締めくくられた。最後のおちが面白い。ロックフェラーは所有する会社を 2700 に分割されたが,その保有株式が株価の上昇により,資産が分割されるより殖えたそうだ。

官吏が米国産小麦の売り渡し価格を定めているので,米国政府と日本政府が今後どのようにして食糧価格を設定するのか合意に達したという事か。かつて香港で買弁と英東インド会社がアヘンの価格統制したのと大した違いがないなと思えてきた。日本が中国の事を嘲笑しているより,米国から嘲笑の対象になっているのではないかと思う。そもそも東アジアに「自由」はないのだろう。あるのは旧来からの官吏による管理社会だ。官吏は前例お手本がないと物事を進められない。デフレ脱却も官吏におまかせでは多分,失敗するだろう。黒田総裁が「渋沢栄一」のようにはなれないだろうと思う。東条英機が「桂太郎」になれなかったのと同じだ。ともに文武の違いがあるにしろ,官吏出身だ。日本と中国の歴史のなかで官吏が刷新を成功させた例があるのだろうか。

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