2013/08/01

医療の歴史

ある大学の医学生の希望診療科の詳細な内訳を知った。相変わらず内科が35人で最大だ。医療の知識は古代ギリシャ中国でも知られていたが,病院を始めたのはキリスト教だった。たまたま福音書のルカを読んでいたので癒し,治療に熱心だった使徒を初めとするキリスト教の歴史と外科を大胆に取り入れた西欧医学の由来を思った。内科の他に手術を全くしないのは放射線科,麻酔,家庭医学だろうか。

日本語では病院と名称に病の文字があるが,英語表記のホスピタルに病の概念は全くない。日本初の病院は戦国期にイエズス会が九州に設けた。キリスト修道士のもつ医療技術に吸い寄せられ,船の航路沿いに信者が増えて蝦夷にまで達した。西欧各国の王は大学を設置すると,法学と神学の他に医学を設置した。修道士と医師の分離の始まりだ。以降,高名な医師にユダヤ人が多かった。日本ではキリスト禁教とともに西欧医学とくに外科医療が絶えた。それでも,高度な西欧医学への期待は大きく蘭学隆盛のきっかけになった。一方,中国王朝は中医に西欧医学を習得させず,直接宣教師を医師として雇う選択をした。江戸期および明治期に日本に来訪した西欧知識人は日本人の好奇心の旺盛さに驚いているが,あくまでも中国人との比較と割り引く必要がある。医療の基本は臨床である。

2004年以降,従来の講座大学の徒弟制度から医学生が研修先を選択できるようになった。明治の帝国大学当時の制度がつい最近まで残っていたのだ。東京帝国大学の母胎は幕府の蕃学調所と種痘所だった。両者は後に法学部と医学部になった。中国の清華大学は中国からの賠償金をもとに米国が設立した。

米中の現代医療制度が医業に特化し,キリスト教の奉仕精神と最も離れた立地の日本が公的医療サービスを維持しているのが不思議だ。戦前の革新官僚がソ連ドイツの医療制度を基に国民健康保険制度を導入した。国家主義的サービスであるこの保険制度は TPP でどうなるのであろうか。幸いにして TPP は戦前の海軍軍縮条約とともに多国間協定である。多国間条約で多数派工作は欠かせない。かつて外相松岡は欧州の中小国の同意が得られず連盟を脱退した。吉田茂は戦争で負けても,外交では勝った国があるといった。負け惜しみではない。西欧の歴史にはいくつもの実例がある。そして連戦連敗の中華民国もそうであろう。中国の官僚は腐敗も酷いが,外交交渉は日本の官僚よりはるかに上をいくだろう。
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