2017/03/11

クレーンと明治 150 年

クレーン
カタカナ外来語のままの物は日本になかったものが多い。明治になって普及したものに庶民がベリー艦隊と接して欲したものにボタンがあった。クレーンに至っては,どうも陸軍は使用に関心が薄かったようだ。

隣に家が新築され,建設過程をみて驚いた。大工がほぼ一人で毎日建設した。クレーン車がやってきて柱を立てた。私が子供の頃は大工が数人がかりで引き揚げていた。建築状況に応じてユニック付きトラックが建材を荷下ろしした。ようやく住宅建築工法が合衆国並みになったのだろうと思う。

農業ゲームをやっている。惹かれた理由の一つに納屋にウィンチが描かれていたからだ。研究員をしていた頃,研究所とか工場を見学する際,クレーンの有無と状態をいつも確認していた。生命科学研究機器,半導体機器は大型化する一方だ。立派な設備を誇っていても,大型研究設備の陳腐化が早い。クレーンと扉が備わっていても,全然使われていない様子だと設備も更新されていないとすぐわかる。
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日本軍はフィリッピン戦で大量の補給物資を海岸で失った。潜水艦の攻撃を逃れやっとのおもいでフィリッピン沿岸に辿り着いて揚陸しても,物資が浜に滞貨したままで航空機と魚雷艇が来襲して焼いてしまう。米軍の反攻が始まったガダルカナルからその状況が続いて,沖縄戦になってようやくその愚を止めたようだ。

ガダルカナル島は日米根拠地からほぼ等距離 1000km にある。補給揚陸の戦いであった。米軍も駆逐艦改造の高速輸送艦でネズミ輸送をしている。両軍とも夜間接岸して揚陸する。航空機が来襲するまでに浜際から内陸へ分散隠匿しなければならない。どうもその能力スピードが両軍では違ったようだ。恐らく日本軍にはクレーン車がなかったのであろう。日本には高速輸送艦もなかった。したがって重機トラックを駆逐艦では輸送できず,日本の補給能力云々以前の問題だったのだろう。数量で劣れば,効率向上で対抗するのが正攻法だ。物量で敗けたというのは一面的な見方である。

ガダルカナルの陸の戦いはつきつめれば,飛行場を砲撃できる地点の争奪戦だった。例えばウクライナが東部2州を失ったのは,ウクライナが露軍の重砲火力に対抗できなかったからか。重砲は戦車のように自走能力がなくはしけから浜への搬出牽引はクレーンがないと困難を極めたのだろう。それでも本体は車輪があるから転がせたが,重量物の砲弾はどうしようもなかったのだろう。戦記を読むと予定量の2割と書いてある。実際はその半分か。「トラックやクレーンが装備されていないため、船から降ろした荷物が何時までも放置されていた」とある。まだこの頃は米海軍の魚雷欠陥の問題もありフィリピン戦線のようにボカスカ潜水艦に輸送船が沈められる事はなかった。

山道を迂回する後に丸山道と呼称される作戦は砲火力があれば浜沿いの夜間前進が可能だっただろうと思う。航空支援がないので,それでも困難には違いないが。結局のところ,日本海軍はガダルカナルの航空勢力を駆逐できなかった。この海域の米空母が1隻さらにゼロになったとき,日本海軍の空母数が優越していても,艦上航空搭乗員は枯渇(戦死)していた。米護衛空母が損耗した航空機を補充した。開戦時米海軍航空搭乗員数はおよそ日本の倍であった。日米が搭乗員を同じように損耗していけば,日本が先に搭乗員不足になるのは自明であった。日本は戦艦を大事にして,搭乗員を空飛ぶ弾,魚雷の扱いであった。この当時から過労死の国であった。戦で中大破した空母の修理期間も日本が倍から3倍ほど要している。米海軍はヌーメアに浮きドックを持ち込み応急修理をした。日本には工作艦はあっても浮きドックはなかった。工廠能力というか,修理効率が半分以下だったのだろうか。日米艦爆の爆弾搭載量が倍異なるので何ともいえないか。ニミッツ提督は山本連合艦隊司令長官のように航空戦の専門家ではなく,潜水艦戦が専門だった。しかし,両者のもっと大きな違いはニミッツはパールハーバ工廠の拡張に携わった専門家だった。

イラク戦争のドキュメンタリーをみていたら,装備のお粗末な州兵がぼやきながらオンボロトラックの運転席を防護する鋼板を自分で溶接していた。合衆国の自営農民は農機の溶接は当たり前のようだから,そんな文化なのだろう。Pearl Harbor Yard と検索すると,プロパガンダかもしれないが女性溶接工(解体工?)の写真が出てくる。米海軍および米海兵は志願兵のみで第二次世界大戦の大量募兵を乗り切った。どこが軟弱なんだ。戦前の憶測は誤りだった。父は海軍に招集された。IMF は女性労働に関して日本政府に勧告している。教師,医師,法曹家,公務員および政治家の女性参画割合が欧米並みになれば,イノベーションを頑張らずとも成長率が高まると思う。アベノミクスは爺さん主体の政権だから仕方がないのか。ほとんど創造性を要しない職種である公務員と政治家は女性のキャップ制を導入してもいいのではないか。

危機に対して,どれだけ柔軟に対応できるか。陸自の補給トラックにはそんな古いのはない。ただ補給科所属の特別公務員に溶接ができる隊員がどれだけいるか。陸軍統制派は総力戦体制を目指したが,軟弱なはずの合衆国の総動員体制はよりシステマティックで個々の国民もレベルが違ったようだ。自動車を運転し,農機を修繕する農民と田んぼを鍬で耕していた農民の違いでもあった。

日本海軍のトラック泊地では修繕はできず,大型艦は呉もしくは横須賀まで回航して修理した。パールハーバの工廠を合衆国は単に Yard と呼んでいる。大破も直し迅速に戦線に復帰させている。主機とか缶の交換となると,本土に回航したのかな。トラックは合衆国からは軍港とみなされていたけど,泊地どまりだったようだ。大規模な燃料タンクもなかった。戦前の軍備では小笠原海域に米海軍侵攻軍を邀撃する構想だったから仕方がない。というか貧乏海軍で軍港整備まで予算が追いつかなかった。日本海軍に総力戦構想は全くなかったようだ。

意志決定メカニズム
どこで日本海軍はおかしくなったか。ワシントン体制離脱を行ったのは意外にも海軍出身の岡田啓介内閣であった。彼は狸と称され,終戦工作の黒幕の一人でもあった。海軍良識派といえども軍備拡張はポストも増えるから下僚の下剋上を押さえられなかった。首相が陸海軍の専横を押さえられない制度が悪いのか,元老がいなくなると官僚を統率できる指導者がいなくなった。国会が指名する首班に何の権威もなくなったしまった。首班より上位にあるのが天皇,その天皇が官僚達の神輿だから性質が悪い。今でも,国民の過半は昭和天皇の終戦に関する聖断を信じているのではなかろうか。だから,今上陛下の退位でももめるのだろう。

危機に際しても,両論併記となりなかなか決められない。古代イスラエルの最高法院に全員一致の議決は無効という不思議な決まりがあった。全員賛成は宜しくないという考えだ。戦前の危機に際して,日本は何故か政党を解散した。英国は大連立内閣を組織した。合衆国は大統領に権限を集中させた。独ソは独裁者を擁立した。イタリアは独裁代議制をとった。日本の天皇は名目的な存在だったので,組織的には日本はソ連の官僚制に近かった。ただ戦争を一元的に統率する独裁者がいなので陸海軍別個にちぐはぐな戦争を計画遂行してソ連型の総力戦とは程遠かった。一部の陸軍中堅将校と革新官僚らはソ連型の統制国家を目指していたようだ。

近衛は本土決戦になると,陸軍を中心とした赤色革命が起きると恐れていたようだ。失敗した 2.26 が念頭にあったようだ。北一輝は蹶起した青年将校に影響を与えていた。面白いもので過激思想にかぶれる人たちは手に職のない者が多い。日本の陸士学校出は小銃を取り扱えない。北一輝はまともな職に就いていない。思想家とはそういうものだろうか。狂信的な教育者に吉田松陰がいた。合理的に戦争計画を立案しなければならない軍人も天皇を神輿にしていくうちに組織そのものが囚われていったのだろう。その究極が特攻だと思う。

浜に揚陸する際にクレーンを用意しなかった日本陸軍。精神力で砲弾を運ぶつもりだったのだろう。おそろしい人たちだ。高級軍人は聖職者もしくは教育者と同じ程度だったのかと思う。ガダルカナル,フィリッピン,サイパンまでは兵力増派補給を試みたけど,沖縄からはその努力は無駄なので止めた。在沖縄1個師団を台湾に抽出した穴埋めに姫路の86師団を沖縄増派予定を 1945年1月23日に中止にしている。作戦部長が宮崎に替わったせいもある。九州管轄の西部軍管区にも補給はなし,自給して戦えとの指示を参謀本部は出した。そんななかで派遣された参謀の一人が米軍捕虜の解剖を提案し,九帝大が協力した。陸士陸大,旧制高校帝大の教育を受けたエリートが空気のせいか,生体解剖実験を実施した。大砲もない。弾もない。コメもない。それでも戦うとなると,このような結論に至るのだろうか。沖縄では十分な兵力を有した米軍がことごとく日本兵を狩りだしたので共食いはなかったようだが,游兵となったフィリッピンでは日本兵が人食に供されていたようだ。上官は部下が調達した肉の出所を問わなかったようだ。身内兵士を食するようになっても,上官部下の関係があるとは驚きだ。

ニミッツは9月30日にガダルカナルを視察した。その帰り,ヌーメアを経由して戦域司令官の解任を決めた。日本の参謀本部は17軍の参謀長を解任し予備役にした。どちらも補給絡みであった。面白いのは作戦指揮していたのは日本軍の場合,軍司令官ではなく実務は参謀長が執っていた。学校の不祥事に校長が対応せず,教頭が会見したりするのと同じかなと思う。米軍でも作戦を参謀長にまかせたままのマッカーサとスプルーアンスがいたりする。

大阪と東京で同時に公有地をめぐる不可思議な会計支出が明るみに出た。上杉隆がネットでメディア各社への東京湾岸地域の土地売却と電通に触れていた。電通は日本の大陸進出失敗により分割された通信社の名残だそうだ。一見,関係のなさそうな電波利権と東京の公有地売却がリンクしていたとは驚きだ。カジノは横浜と大阪に決まっているようだ。どちらも米国カジノ資本だそうだ。

日本陸軍の作戦計画は作戦部長および作戦課長が取り仕切っていたようだ。参謀次長とか参謀総長は作戦計画を立てずに一体何をしていたのか。東京都と大阪の公有地を巡る意思決定は,村上とか朝日系が報道するような局長,都知事副知事主導ではないだろう。沖縄戦の増派のように無名の軍官僚が重大な決定をしたように,表(議会)に出てこない中堅公務員がくだしたのかもしれない。その見返りは天下りとか組織の利権だろう。これはソ連ロシア型の構造利権に近いのではないか。ロシアだと公務員が現職のまま関連会社からマージンを取る。日本の構造汚職はロシアと同様に制度的かつ合法的である。現に地検特捜は全く動かないではないか。小学校の産廃も市場の毒物も日本の行政形態を反映している。子供たちに役人志望が増えるはずだ。

独裁体制のドイツでは1個大隊の配置替えするにも総統の決裁が必要であった。今の自衛隊も旧日本型軍令のままだとしたら,戦争できないのは責任の所在が不明で明白だろう。何となく現地の軍司令官が投降できなかった理由がみえてきた。餓死病死した下級兵士らはほとんどが強制徴募兵だった。日本の組織はうかばれないな。その頂点に天皇制がある。天皇も意思に反して辞められない。実に窮屈な国家だな日本は。

軍のトップである大将が本来しなければならないような意思決定を下僚の中将(参謀)がした日本。沖縄戦では実質,高級参謀の大佐が指揮していた。軍司令官は病気を抱え,指導を発揮する事はなかった。極東軍事裁判では開戦直前,一介の陸軍軍務局長だった武藤が死刑に処せられた。合衆国は当時から,日本の意思決定過程を熟知していたのだと思い知らされる。何故,下級武士による明治維新が可能になったのか。革命だったかからではなく,日本人特有の意思決定があったからだろう。その中心に空っぽの天皇制がある。暴走した天皇に後醍醐がいる。たまに暴走知事,暴走首相が現れるのは特有の意思決定では仕方がない。明治の元勲は暴走天皇を想起して天皇制を編み出したのだろう。維新体制が 150 年続くとは思っていなかったのかもしれない。防衛大臣の意向とは無関係に満州事変のように防衛軍事行動が発動される可能性はゼロではないだろう。

たまたま平成の御代が平和だけだったのか。領土紛争を4箇国ともめるのは止めて,その仮想敵国を減らしてはどうか。尖閣海域で海保の武力衝突が起きたら,エスカレートする。その昔,大陸では日本人警官殺害が事変の発端になった。国民感情が激高した。海保の殉職者が出ても,マスコミが煽らなけばいいがその可能性は少ないだろう。

沖縄32軍司令官牛島中将は戦闘指導を部下にまかせ,軍政宣言がない事を名分として県民保護をしなかった最低の将軍だった。将兵に降伏を命令できるのは軍司令官だけである。結局,自発的に参謀本部の意向に逆らって降伏した軍司令官は皆無だった。防衛計画もいいけど,負ける想定もして準備しているのだろうか。今度,降伏するとしたら前回のような愚を避けて欲しい。琉球は薩摩が侵攻したとき,大した抵抗しなかった。水軍もなかったのだろう。アイスランドは人口32万人である。沖縄は 142 万人である。沖縄は独立せず,なぜ本土復帰を選択したのだろうか。沖縄が独立していてくれたら,面倒な尖閣問題もなかった。

ペリー提督が沖縄経由で日本遠征した故事を忘れて,日本は小笠原沖縄の要塞化禁止を受け入れて,ワシントン軍縮条約を締結した。広い台湾を米海軍は侵攻する意図は最初からなかったようだ。日露戦争後,日本は仮想敵国に合衆国を追加した。その頃のパラダイムがそのままで,今も仮想敵国が減らない。困ったものだ。有事になっても,日本は軍政になりそうもない。どうやって国を守るつもりだろうか。やはり特攻か。

本土決戦で軍から鹿児島宮崎県当局が市民の避難計画を打診され,婦女子15万人の避難はどうにもならず,結局ウヤムヤになったそうだ。川内原発稼働に反対していた新鹿児島知事は精力的に避難計画を立案しているのだろうか。放射能漏れは起きると想定して,本土決戦では間に合わなかった機動道路を建設しなければならない。沖縄戦ではローマ軍のように道路を建設しながら米軍は進軍してきた。米軍は川内延岡を占領ラインとしていた。軍は両県から撤退できれば,フィリッピンのような人食はせずとも自給できたと思うけど,秋までの食糧がなかったという事か。中国共産党は地味のやせた延安でも自活できたのだから,と思うのは参謀本部の自活命令が遅すぎたのか。参謀本部は作物の播種と収穫時期を考えていなかったのか。それとも,16方面軍が九州各県から米を徴発すればいいくらいに考えていたのか。おそろしい参謀本部だ。被服とか給養は陸軍省の管轄だから,真田軍務局長と宮崎作戦部長との関係はどうだったのだろう。当時,統制品の米の調達に関して師団の主計科の腕により違いがあったというからこれも不思議だ。

沖縄は独立して,アイルランド,アイスランドのような中立政策をとったらどうだ。両国とも豊かな国になった。そのひとつに国防の負担がないからだ。

危機と指導者
太平洋戦争当時の日本人の平均寿命は50歳代だった。師団長は50代だから健康にすぐれない。もう5歳若い指揮官を任命できていればましだったのではと思う。昭和の将軍提督は明治より老いていた。リスクとか危機対処を考えたら老いた知事市長を選ぶのはかんがえものだな。暗殺された井伊大老は45歳だった。

3月10日は東京大空襲の日だった。動画検索すると,NHK が米陸軍航空隊内部の精密爆撃派と無差別爆撃派の対立を焦点を当てた番組を放映したらしい。多額の予算を費やして効果がないと国民に説明責任を果たせないとの論拠だった。大空軍化の予算は議会が通しているし,予算編成権は議会が握っているから的外れの見方だ。戦中の雑誌の航空朝日には B-29 に相当するスペックの記事が掲載されていた。焼夷弾の研究はロックフェラー財閥のスタンダード石油が主導して開発した。原爆開発にしても,NHK はあたかも政府軍だけで開発できたかのように報道している。

関東の中島航空機,東海の三菱とかの軍用機工場を破壊したのは B-29 ではなく米艦載機だった。太平洋戦争では米陸軍航空隊は海軍航空隊に比べると全くマスコミ受けするような戦果がなかった。工場の破壊をPRできないとなると,海軍のできない無差別爆撃に転向したのだろう。中小都市の破壊予定円が意味深だ。隣接した工場を外して,ひたすら一般市民の殺害を狙っている。その一方,霞が関,皇居,水道,発電所および横須賀海軍工廠はターゲットにしていない。占領を考えたからだった。当時も日本は議会制民主主義国家だったけれども,軍情報部,ライシャワーのような知日派官僚は 300 家の有力門閥が降伏に同意すれば戦争が終わると考えていた。300 家は古代ユダヤの高等法院みたいなものか。実際,軍部の解体に何の支障もなかった。軍事国家は見掛け倒しだった感がある。それでも心配な陸軍軍務局長は在京の高級将官を本省に集め「承詔必謹」の念書を取った。国家元首が降伏すると言ったら従うのが近代国家であるが,実に嘆かわしい日本陸軍であった。軍の一部は反乱を起こしたが,戦後のドサクサで不問になった。後に反乱を主導した海軍厚木航空隊司令官は没後,遺族に恩給が支給されたそうだ。恩給は 100% 国民の税金だ。米軍だと収監されて軍法裁判,不名誉除隊となるのが普通だ。不名誉除隊とは軍隊には在籍していなかった事になり,年金も支給されない。田母神も年金はしっかり受給しているだろうと思う。兵器を取り扱う公務員なら,軍法整備,何らかの不名誉除隊制度の仕組みは必要ではなかろうか。小沢一郎が仕組んだ近代法規を無視した PKO は無理があった。超近代の時代になろうとしているのに,前近代のままの軍制だ。トランプの「合衆国ファースト」の前に日本はどうしたらいいのだろう。合衆国民自体がオルタナ思想に染まっているのでは,極東に軍事緊張が高まっても軍事介入はないだろう。38度線と尖閣だ。合衆国大統領も国民も極東にほとんど関心がない。1930 年代にスチムソンが極東の危機を訴えても国民はスルーした。そりゃそうだ。当時の国民は自分の生活だけでも大変だった。現在の合衆国民が尖閣に空母を派遣するとは思えないし,尖閣周辺での行動を避けている。いつの時代でも,遊牧系の民は肥えると遠征に向かうのだ。

米ソ対立が芽生えているなかで,日本政府は合衆国との講和交渉にソ連の仲介を考えていたこれも的外れの日本外交であった。上手く立ち回った3国同盟のイタリアは無差別爆撃も受けなかった。水面下の交渉がなされていたのだろうと思う。昭和天皇独白録によれば,バチカンに期待していたようだ。昭和天皇は日米開戦危機の際に,合衆国から2人のカトリック司祭が訪れて後に日米諒承案による妥結至る過程を聞いていたとしたら,正規の外務大臣ルートではないのでそれはそれで凄い。独白録は日米和平構想を壊した松岡を酷評している。

今上陛下の譲位意向も宮内庁長官,官邸,首相ルートではなかった。首相官邸官僚が幕府のように成り下がっているのでは,こんなやり方もやむを得ないのだろう。戦争も外交もいつも勝てるわけでもない。イタリア議会は二次大戦に敗けた王を追放した。幕末の天皇は幕府を捨てて新政府を選択した。家に焼夷弾が降り注ぐような事態にならないように政府を組織するにはどうしたらいいか。指導者の選ぶ我々のパラダイムを変えるべきだろう。天皇が譲位する時代なのだ。

改元が近いせいか,明治を賛美する風潮が強い。防衛大臣の教育勅語発言もそうだ。合理的に戦争指導しなければならない政治家がやはり,どうみても日本は戦争できないな。教育勅語の滅私奉公は楠正成を賛美する湊川精神になる。楠公を引き合いに出されると,戦前の軍人国民は特攻を拒否できなかった。これを熟知しての防衛大臣の発言だから怖いな。。。そういう時代になったのか。結局,明治の自由民権運動と大正デモクラシーの時期を除いたら,画一教条主義は日本民族の魂なのだろう。

過労死が起きるような国に議会制民主主義は無理だったのだろう。ロシア,中国,北朝鮮にも議会はある。どの国も官僚が統治している。日本という国は後世,政治学者が分類したら西欧ではなくこれらの国と同じ扱いになるかもしれない。少なくとも東アジアの類型的な官僚国家であるのは確かだろう。

大きな違いは天皇制である。軍の最高トップである防衛大臣が教育勅語とはまいったな。安保騒動のとき,防衛庁長官は岸首相(安倍の祖父)の治安出動要請を拒否した。合衆国は議会の権限が強く,長官の適性を上院委員会で審査する。防衛大臣と陸海空将を議会で審査したらどうだ。承認された軍人大臣は権威もあり,下剋上もなくなるかもしれない。

とかく問題のあった石原莞爾は後の陸軍参謀総長杉山大将を廊下で罵倒,田中隆吉作戦部長は東條首相を馬鹿野郎と首相執務室でどなった。ドイツはキチガイ集団を国防軍から武装親衛隊として分離した。稲田防衛大臣とか田母神空幕僚長のようなキチガイを皆無にするのは難しい。志願制の特攻専門部隊を創設してキチガイに専任させたらどうだ。戦前は思想的におかしいのを関東軍にとばして日本はおかしくなった。国内で古式ゆかしい近衛連隊を欧州王室の儀仗兵のように指揮させればいいだろう。歌人西行はミカドを警護する北面武士だった。稲田とか田母神のようなインテリ指揮官は和歌を詠んでいればいい。太平洋戦争期の将軍提督に和歌詠みが目立つ。無学教養のない特攻兵は辞世の歌を残している印象が余りない。江戸期,武士から銃をとりあげ武道をスポーツのように推奨したように。陸士に銃を携行させない昭和陸軍は江戸に回帰していた。。。

武装親衛隊に似た国家組織にイラン革命防衛隊がある。調べていないけど,ドイツの武装親衛隊同様,志願兵だろう。吉田松陰ばりの過激思想大好きなネット右翼向けに神風攻撃を厭わない近衛兵を組織して志願させればいい。口先右翼が過半だろう。近衛兵と天皇を離島が無理なら東京に配備したらどうか。革命防衛隊はガス抜きだろう。多分,大した武器を支給されていない。精神力で戦うのだから重火器もいらない。幕末明治維新政府の御親兵は西郷隆盛が指揮していた。頭のおかしい長州では心配だったのだろう。その後,長州の山県が長老として最終人事権を行使裁可していた。そんな事は憲法に記載されていない。天皇の裁可は建前であった。石原都知事の豊洲決裁,財務省理財局長の決裁も同じようなものだろう。

都(みやこ)と行政府が同じ場所だと何かと昭和のような不都合が生じる。国家最高権力である議会を他へ移転すればいい。気印達は天皇と都に奉仕させてはどうか。古代ペルシャの首都はペルセポリスであった。この都市には経済活動の跡があまりない。どうも祭儀都市だったようだ。古代ペルシャは秦帝国が模した世界最初官僚制度を具備した帝国であった。専制体制国家にたがわず,およそ自由とは程遠い帝国ではあるが,戦争にあけくれた古代ギリシャの都市国家に比べると平和であった。どんな民族であれ,異民族の支配を受けると祭政に影響が出てくる。いくら政府が明治 150 年といっても,合衆国の影響が現代の政治経済に色濃く反映せざるを得ない。

特攻も反原発も形をかえた日本民族のヒステリーだろう。だから特攻を賛美する小泉純一郎は反原発なのだ。薄気味悪い思想に凝り固まった政治家をみると,そうでも思わないと救われない。天皇家も少子高齢化が進む。そんな時代に教育勅語とは時代錯誤も甚だしい。小林よしのりのような右翼は現実から目をそむけた三島由紀夫と五十歩百歩だろう。それにしても,教育勅語を信奉する文部大臣は実害がさほどないが,軍のトップは歴代防衛庁からみても初ではないか。議会による聴聞が必要だろう。課長クラスの軍官僚にどの程度,復古思想が根付いているのだろうか。そういった歴史観を表明すると出世するのだろうか。自衛隊の天皇陛下万歳まで後,何年? 明治 150 年と天皇の代替わりが節目だな。田母神が空幕僚長に選抜されたのだから,航空基地内の万歳三唱くらいは当たり前か。

明治 150 年祭で,安倍首相が百官を率い,今上陛下を前にして天皇陛下万歳三唱か。確かに絵になるな。

「矢弾尽き 天地染めて 散るとても 魂還り 魂還りつつ 皇国護らん」

32軍司令官辞世の歌は当然ながら,県民への思いやりは皆無。やはり皇国だね。当時の平均的な将軍なのだろう。軍官僚のいう皇国とは天皇を中心とした天皇官僚制であり,沖縄県民は皇国の臣民ではなかったのか。集団投降すれば,米軍の本土上陸も早まり北方領土を失う事もなかったかもしれない。実際,参謀本部は1個師団の穴埋めをしなかったではないか。忖度すれば何も死守する必要はなかったのだ。イタリアのシシリー島防衛戦のように戦えなかったのものだろうか。軍司令官ともなれば,周囲の政治情勢も勘案して戦国武将のように作戦せねばならない。ドイツは沖縄戦の最中に降伏した。国民のために負け戦に対応できる政治的軍司令官がいないような軍隊なら,戦争しない方がましだ。日本陸軍は実にいびつな軍隊だった。まあ,Star Wars の帝国軍みたいなものか。皇国とは天皇陛下のために命を捧げる過労死国家だった。

参考
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