2013/08/08

エドガー・シュミードと堀越

エドガー・シュミードは名機ムスタングの設計主任である。ムスタングは硫黄島から飛来し,四国から関東まで襲った。子供心にアメリカの飛行機にしては異常な形状だと思っていたが,大人になってシュミードはドイツ人だと知った。優れた設計者は仕様の提示を受け,仕様を満足するだけでなく新機軸を盛り込む情熱はどうしても捨てきれない。零戦にもあった。ただ,主任のアイデアを具体化するには技師,図工,工場の加工設備,職人の技量とかいろんな要素がある。その点,三菱はプアであった。中島よりも劣っていた。

アメリカのそら恐ろしいのは一介の新興航空機会社が駿馬を産み出す底力であった。どうも,シュミードは設計室の備品整備から始まり,生産にも関心が深かったようであった。クルトタンクといい,マイスタの国の伝統だろうか。学生が就職希望しても大体,工場見学はできても設計室ラボは許されない。

時代の要求に応じ,必要な人材,設備を用意し開発設計をする。アメリカは下請け依存をしない。アメリカのごく小さなベンチャでも職工とNCマシンを自前で持ち開発設計するところが多い。零戦の製造のしわ寄せは下請け企業が担った。終戦末期には帳簿上生産される半数が不具合のある欠陥機だった。それを航空隊の整備と搭乗員が担った。その原因の半数は設計の不具合だろう。会社に入社して,「バカよけ」という言葉をしった。組み立てミスを回避するため,あえてむだな設計をするのである。中国製の家電を解体してみるとそんな無駄な設計がない。不具合がでるのも頷ける。

いつか,理想的な設計アトリエ(工房)を持てたらいいのだが。日本のベンチャは机だけだ。商社金融役所と見た目は一緒だ。道具とかアートに対する感性が米国と日本では多分,違うのだろうと思う。和製ベンチャラボはどうも上手く機能していないようだ。ヒトがネックになっているのだろうか。内国人に限らず,外国人にも開放すればいいと思うのだが,既得権の壁があるのだろうか。今のシリコンバレーはインド人と中国人が支えていると聞いている。私の指導教官も退官後,設計事務所を開設すると言っていたが,どうなったのか。

ノースアメリカンは吸収されシュミードの設計室も残っていない。堀越の開発設計スタイルは今の三菱でも,踏襲されていると思う。大学を出て三菱トヨタに就職すると,生涯製図する事はないだろう。その点,本田技研は異質だな。

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コメント

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堀越氏の言い訳:P51を見て己の無能を認めるかどうか。

現在54歳、8歳から第二次世界大戦ブックス(サンケイ出版)を愛読していました。エドゥガー・シュミットさんは第二次世界大戦にかなり影響を与えたと言っても過言ではありません。しかし偶然も味方してくれたのも事実です。ブラジルからやってきたドイツ人、英国空軍の発注とENGライセンス許可、ノースアメリカン社の生産能力・・・3国合作軍用機が具現化できる国・・・ここがUSAの恐ろしさでは?戦後、堀越氏はRR社マーリンENGが日本になかった現実を嘆いていましたが彼は愛知DB601系ENGに注目していたのでしょうか?運動性を軽量化で得た堀越氏と機構(自動空戦フラップ)で具体化した川西航空機には航空理論のレベルが違いすぎます。パイロットを必要以上に殺した堀越氏。軍のいいなりの図面設計者!零戦の改良型ではP51H、F8Fに勝てません。紫電改の改良型では互角以上に勝負できたでしょう。東大卒の駄目人間の1例が堀越氏です。

Re: 堀越氏の言い訳:P51を見て己の無能を認めるかどうか。

想定エンジン出力が決まり,機体の基本設計が始まります。当然,知っていたでしょう。しかし,エンジンの決定権は受注側にありません。エンジンは官給品です。確かにマネジャとして無能でしょう。でも,それが当たり前だったのです。ソ連なら責任をとらされて粛清されていたかもしれません。

一撃離脱の集団戦闘の時代です。急ブレーキをかける空戦フラップがはたして有効だったか。出力を産み出すのは燃料です。当時の日本軍の航空燃料では,紫電改の改良型でも関係がないでしょう。ジェットエンジンなら離脱は楽でしょう。目的は本土防空です。英独のように空軍化して,統一されたレーダ管制が最低限の前提です。海軍航空隊中心の沖縄航空戦は敗戦を早め,しかも沖縄航空戦に紫電改は大した貢献していません。

局地と制空という分類も良くなかった。B-29 の迎撃に不向きな紫電改は失敗作です。中途半端な戦闘機でした。雷電の方がマシでした。紫電改もゼロ戦と同じ神話化が酷い。後に空自幕僚長となる源田のホラ話が伝説化している。

8歳で第二次世界大戦ブックスでしたか。私は既に大人でしたね。私の友人に東大が日本をダメにしたと言ったら,東大そのものが日本だと言い返され,なるほど その通りだと思うようになりました。ちなみに紫電改の菊原も東大でした。背伸びせず,国力に応じた航空兵器を開発すべきでした。その点,日本同様発動機に苦しんだソ連空軍が参考になるでしょう。でも,ドイツ空軍には B-17 B-24 B-29 もなかったけど,合衆国にはあった。B-17 の初飛行は 1935 年,日本がその対策に乗り出すのが 1942 年。日本の指導者は東條も含め科学技術音痴だった。国民が軍事に無知すぎた。民族性として諦めるしかないだろうとも思います。

ブラジルと合衆国の発展の違いが如実に現れたのは,何故か。ブラジルに入植したユダヤ人とオランダ系ピューリタンはブラジルを去って,ニューアムステルダム(現ニューヨーク)を建設したのです。2次大戦を指導した FDR はその末裔です。