副葬品
聖書は宗教書であるから,埋葬の記述が結構出てくるが,副葬品の記述はない。ユダヤ人が来世の信仰がなかったとされる所以である。イスラエル最盛期の王であるソロモンすらその墓もわからない。その一部のユダヤ人が今から2000年以上前に,メシアを渇望するようになった。ギリシャ化したユダヤ人はそれをキリストとした。ヨハネ福音を読み始めているが,なかなか頁を繰れず気が重くなる。後世,キリスト教の教義とされる本質がイエスの口を借りて綴られる。前の福音書では言及していない重大な事ばかりだ。イエスの出自に関しては「ヨセフの子」とだけ記される。御使いの受胎告知の記述もない。キリスト教の一歩手前の感じだ。
西方のローマ布教を念頭に書記は記述したと思われる。聖霊はローマ人の魂の悩みと融和できたのであろう。イエスはモーセの十戒に代わり,最初の戒めとして,隣人を神を愛するように愛せよと言ったとされる。古代中国の墨子も愛を説いたし,これなら世界中に広まる可能性がある。キリスト教共同体の誕生である。
ヨハネ福音書が伝える,ユダヤ人とイエスとの討論は伝統的ユダヤ人に分がある。しかし,それを超越するのが信仰なのであろうか。フランス語だと跳躍に相当する。三位一体の奇怪な教義は,西方蛮族にも広がった。しかし,教化されたといえ,埋葬は彼らの祖俗を踏襲した。蛮族の自由民は戦士だった。戦士だから,自由民でもあり得た。古代アテナイと似た側面を持っていた。彼らは副葬品として,刀剣を選んだ。戦士は後に騎士となり,中世を支えた。一方,古代ローマ軍は戦士ではなく,塩の俸給(サラリー)を受けた兵士であった。これは古代中国でも同様で春秋戦国期には兵士が登場している。我々が学ぶ西欧の中世封建制は世界史のなかで異質であった。何故か,日本でも中国文化を受容しながら,戦士が武士として登場する。仏教の影響を受けていた武士は副葬品には拘らなかったけど,神社に刀剣を奉献あるいは,主従の象徴として刀剣を贈与した。日本刀の優美さにはそういった背景がある。その美を認めたのは東アジアの中国ではなく,西欧であったのは興味深い。西欧の都には刀剣の博物館が多い,元は王族が収集したものである。米国メトロポリタン美術館は新興国であるから,皮肉にも世界有数の日本刀コレクションを誇る。日本では旧藩から寄進された皇室が所有している。戦士から騎士武士に移行した文明と兵士になった文明の違いは後に,近代化の過程で日本が東アジアの中で先駆けて離陸した事に関係してくる。日中韓は同じような海禁鎖国政策を取ながら,珍品の蒐集に留まらず,蘭学という知的好奇心のために学問にまでした閑人がいたおかげだ。その中心に蘭癖大名がいた。
刀狩をしたせいで,優れた農民町人を公儀の専門役職に登用するには帯刀が必要になってしまった。その名残が,海軍士官の着剣になった。海軍への奉職を希望していた私の恩師は実に格好が良く憧れたと言っていた。その起源は西欧のようだ。ナチス親衛隊も同種のナイフを採用した。「忠誠こそ我が命」と刻まれていたらしい。フランク族はライフ(命)と霊魂を同一視していた。平たく言うと,忠誠は私の人生というモットーだった。ナチスは古代ゲルマン魂を鼓舞しながら,皮肉にも古代ローマの兵士のように扱った。
自由意志のない兵士に特攻を建前では強要はできない。それは兵士は統率により行動するからだ。それが可能とすれば,西欧風の考えだと霊魂のない非人間(アンヒューマン)だからとなる。仏教には元来,魂の考えがない。仏教の死生観に神道の魂を継ぎ木して,戦死すれば神になるとのアクロバットを編み出した。聖戦思想の登場だ。小泉純一郎は特攻記念館で泣いたと述懐している。ヨハネ福音もイエスは友人のために死ぬ事が最大の愛だと教えている。兵士ではない戦士集団のキリスト教騎士団は自殺的攻撃を行った。古代ギリシアのスパルタ王はウンカのようなペルシャ軍を迎撃して300人の市民兵を率い,全滅した。何故か,高校の英語の三省堂リーダでこれを学んだ。
確かに韓国から見れば自国にはない,靖国思想は恐るべき対象だ。武士の歴史がない,韓国は義士を祀る事にした。大前研一がサムスンの研究員の様子を見学して奴隷のようだと述べている。優れた創造的プログラマが生まれる素地は日本よりないだろうと思う。
現代でも,韓国人女性は日本人女性より死に対する不安が大きいようだ。死を忌み嫌い塩で清めるのは韓国も京都同様と知り,京都は渡来人秦氏の入植したところだが秦氏は朝鮮系だったのか。子は母からしつけられる。それだけ義士の存在が特異なのであろう。日本の乃木将軍みたいなようなものか。
武具には身分を象徴する以外に,騎士武士の不安を鎮める効果があった。その名残がアメリカ市民の銃火器への思い入れだろう。ソビエト赤軍のように,鎌とハンマーの農民と労働者を兵士にすると,絶望的な戦いを強いるには古代ペルシャのように督戦するしかない。現代の大脳科学は恐怖,怒りとかの情動を対象とした研究が進んできた。湾岸戦争の時,米軍はこの種の不安を軽減するために兵士に薬を投与していると当時,課長から聞き眉唾ものだと聞き流していたが,後に情動研究を知り,あり得るなと思っている。韓国軍の精神教育はどうだか知らないが,多分この種の錠剤を服用させ戦いに臨むのであろう。自衛隊は抗不安剤の常備と投与をしているのだろうか。まあ,日本国自衛隊の最高指揮官が統治の間,薬物を常用していた履歴があるのでその必要性は熟知しているだろうが。小泉氏が落涙した航空兵は不安を抑制するため,軍医から日本が開発した覚せい剤を射ってもらって特攻したのだ。それを知っていての涙だとすると相当のリアリスト為政者だな。
ヨハネ共同体なるものを知り,他の福音グループとはかなり異質だったようだ。どうも,このサイトの運営者は講話を公開している事から,宗教関係者なのであろうが,『「ヨハネ福音書がわたしたちに提示しているのは、この意味で、「正統キリスト教」の十字軍的戦闘性に支えられた「救済史」と対照をなしています』とあるが私には逆にイエスの神性を強調する事により,戦闘的に感じられるのだが。それにしても,ユダヤ/キリスト教の近親憎悪と時の政治権力がどのように関与するかで歴史が大きく動いた事をしった。
やはり,畏れるべきは東アジアの中韓ではなく神の国であるアメリカ合衆国のように思える。ただ,合衆国がローマのように衰退に向かっているのは確からしいかもしれない。また,新しいコミュニティを聖書を片手に建設するのだろう。

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西方のローマ布教を念頭に書記は記述したと思われる。聖霊はローマ人の魂の悩みと融和できたのであろう。イエスはモーセの十戒に代わり,最初の戒めとして,隣人を神を愛するように愛せよと言ったとされる。古代中国の墨子も愛を説いたし,これなら世界中に広まる可能性がある。キリスト教共同体の誕生である。
ヨハネ福音書が伝える,ユダヤ人とイエスとの討論は伝統的ユダヤ人に分がある。しかし,それを超越するのが信仰なのであろうか。フランス語だと跳躍に相当する。三位一体の奇怪な教義は,西方蛮族にも広がった。しかし,教化されたといえ,埋葬は彼らの祖俗を踏襲した。蛮族の自由民は戦士だった。戦士だから,自由民でもあり得た。古代アテナイと似た側面を持っていた。彼らは副葬品として,刀剣を選んだ。戦士は後に騎士となり,中世を支えた。一方,古代ローマ軍は戦士ではなく,塩の俸給(サラリー)を受けた兵士であった。これは古代中国でも同様で春秋戦国期には兵士が登場している。我々が学ぶ西欧の中世封建制は世界史のなかで異質であった。何故か,日本でも中国文化を受容しながら,戦士が武士として登場する。仏教の影響を受けていた武士は副葬品には拘らなかったけど,神社に刀剣を奉献あるいは,主従の象徴として刀剣を贈与した。日本刀の優美さにはそういった背景がある。その美を認めたのは東アジアの中国ではなく,西欧であったのは興味深い。西欧の都には刀剣の博物館が多い,元は王族が収集したものである。米国メトロポリタン美術館は新興国であるから,皮肉にも世界有数の日本刀コレクションを誇る。日本では旧藩から寄進された皇室が所有している。戦士から騎士武士に移行した文明と兵士になった文明の違いは後に,近代化の過程で日本が東アジアの中で先駆けて離陸した事に関係してくる。日中韓は同じような海禁鎖国政策を取ながら,珍品の蒐集に留まらず,蘭学という知的好奇心のために学問にまでした閑人がいたおかげだ。その中心に蘭癖大名がいた。
刀狩をしたせいで,優れた農民町人を公儀の専門役職に登用するには帯刀が必要になってしまった。その名残が,海軍士官の着剣になった。海軍への奉職を希望していた私の恩師は実に格好が良く憧れたと言っていた。その起源は西欧のようだ。ナチス親衛隊も同種のナイフを採用した。「忠誠こそ我が命」と刻まれていたらしい。フランク族はライフ(命)と霊魂を同一視していた。平たく言うと,忠誠は私の人生というモットーだった。ナチスは古代ゲルマン魂を鼓舞しながら,皮肉にも古代ローマの兵士のように扱った。
自由意志のない兵士に特攻を建前では強要はできない。それは兵士は統率により行動するからだ。それが可能とすれば,西欧風の考えだと霊魂のない非人間(アンヒューマン)だからとなる。仏教には元来,魂の考えがない。仏教の死生観に神道の魂を継ぎ木して,戦死すれば神になるとのアクロバットを編み出した。聖戦思想の登場だ。小泉純一郎は特攻記念館で泣いたと述懐している。ヨハネ福音もイエスは友人のために死ぬ事が最大の愛だと教えている。兵士ではない戦士集団のキリスト教騎士団は自殺的攻撃を行った。古代ギリシアのスパルタ王はウンカのようなペルシャ軍を迎撃して300人の市民兵を率い,全滅した。何故か,高校の英語の三省堂リーダでこれを学んだ。
確かに韓国から見れば自国にはない,靖国思想は恐るべき対象だ。武士の歴史がない,韓国は義士を祀る事にした。大前研一がサムスンの研究員の様子を見学して奴隷のようだと述べている。優れた創造的プログラマが生まれる素地は日本よりないだろうと思う。
現代でも,韓国人女性は日本人女性より死に対する不安が大きいようだ。死を忌み嫌い塩で清めるのは韓国も京都同様と知り,京都は渡来人秦氏の入植したところだが秦氏は朝鮮系だったのか。子は母からしつけられる。それだけ義士の存在が特異なのであろう。日本の乃木将軍みたいなようなものか。
武具には身分を象徴する以外に,騎士武士の不安を鎮める効果があった。その名残がアメリカ市民の銃火器への思い入れだろう。ソビエト赤軍のように,鎌とハンマーの農民と労働者を兵士にすると,絶望的な戦いを強いるには古代ペルシャのように督戦するしかない。現代の大脳科学は恐怖,怒りとかの情動を対象とした研究が進んできた。湾岸戦争の時,米軍はこの種の不安を軽減するために兵士に薬を投与していると当時,課長から聞き眉唾ものだと聞き流していたが,後に情動研究を知り,あり得るなと思っている。韓国軍の精神教育はどうだか知らないが,多分この種の錠剤を服用させ戦いに臨むのであろう。自衛隊は抗不安剤の常備と投与をしているのだろうか。まあ,日本国自衛隊の最高指揮官が統治の間,薬物を常用していた履歴があるのでその必要性は熟知しているだろうが。小泉氏が落涙した航空兵は不安を抑制するため,軍医から日本が開発した覚せい剤を射ってもらって特攻したのだ。それを知っていての涙だとすると相当のリアリスト為政者だな。
ヨハネ共同体なるものを知り,他の福音グループとはかなり異質だったようだ。どうも,このサイトの運営者は講話を公開している事から,宗教関係者なのであろうが,『「ヨハネ福音書がわたしたちに提示しているのは、この意味で、「正統キリスト教」の十字軍的戦闘性に支えられた「救済史」と対照をなしています』とあるが私には逆にイエスの神性を強調する事により,戦闘的に感じられるのだが。それにしても,ユダヤ/キリスト教の近親憎悪と時の政治権力がどのように関与するかで歴史が大きく動いた事をしった。
やはり,畏れるべきは東アジアの中韓ではなく神の国であるアメリカ合衆国のように思える。ただ,合衆国がローマのように衰退に向かっているのは確からしいかもしれない。また,新しいコミュニティを聖書を片手に建設するのだろう。

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