2013/08/17

アジアへのお詫びが消えた首相声明

アジア諸国への言及がない。天皇の政治利用の最たるものだろう。以下全文引用

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天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、戦没者の御遺族、各界代表多数の御列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行致します。

 祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷に亡くなられた御霊の御前に、政府を代表し、式辞を申し述べます。

 いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命を捧げられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。

 御霊を悼んで平安を祈り、感謝を捧げるに、言葉は無力なれば、いまは来し方を思い、しばし瞑目(めいもく)し、静かに頭を垂れたいと思います。

 戦後わが国は、自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道を邁進(まいしん)してまいりました。

 今日よりも明日、世界をより良い場に変えるため、戦後間もない頃から、各国・各地域に、支援の手を差し伸べてまいりました。

 内にあっては、経済社会の変化、天変地異がもたらした危機を、幾たびか、互いに助け合い、乗り越えて、今日に至りました。

 私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた、国の未来を切り拓(ひら)いてまいります。世界の恒久平和に、能うる限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります。

 終わりにいま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様には、ご健勝をお祈りし、式辞といたします。

 平成25年8月15日

 内閣総理大臣 安倍晋三
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翌日の安倍首相の行動をみると,
午前:フジテレビ会長とゴルフ
午後:フジテレビ会長とバーベキュー
何か違和感を覚える。慰霊は15日のたった,1日だけか。お盆の習俗も安倍氏は捨てたようだ。15日の靖国参拝だけで良しとするのだろう。イエスみたいだな。イエスは形式的かつ伝統的ユダヤ教を否定した。ゴルフの仲間には「神の国」発言の森氏もいる。

ゴルフをし,バーベキューを食いながら,父祖の労苦を偲び,大東亜戦争の栄光を賛美していたのだろうか。しかし,どこの国でも指導者とはこのような者だろう。イエスが生活していた頃,領主ヘロデの生活も安倍首相と似たような事をしていた。ヘロデは祖法をないがしろにした。権力者に良心を求めるの無理だ。彼らを抑止できるのは神,日本だと天皇陛下だけだろう。お盆の習俗が薄れ,享楽に興じる日本人。

ユダヤ教徒の原点は隷属状態だったエジプトからのエクソダスだった。それを偲んで今でもたねなしパンを過ぎ越しの祭りに食べる習慣がある。民族が内省する心を失ったら,やはり蛮族だな。西欧人が靖国神社をWar Shrine と呼ぶのも安倍氏の行動をみれば理解できる。

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追記 8/18
サンケイの論説委員が,『終戦から68年。この長い時間の中、「未来志向」という歯の浮くような外交辞令を何度聞いたことか。政治家個人の浅はかな戦争への贖罪(しょくざい)意識は、強固な反日教育を続けている国家には通じない。むしろ、逆手に取られ続けてきた』と述べている。やはり,宗教的「罪意識」が欠如しているようだ。私もよくわからないけど,平和と人道(ヒューマニズム)は西欧では対の概念に近くなっている。帝大の高等教育を受けた医師らが731部隊の蛮行および九大捕虜生体解剖事件を起こした背景が「心」の問題だとわかった。

考えようによれば,文化人類学的にはピュアで彼らは,キリスト教化もしくはイスラム教化される前,パプアニューギニアの人達が人食していたのと似たような関係にあるのかもしれない。私は日本が核武装すれば,と書いたが,高等教育を受けてはいるが,宗教的罪の意識のない安倍首相のような最高司令官が真珠湾のように核先制攻撃を決断したらと思うと,ゾッとする。

激情のあまり抑制が効かず,他人を刺殺した人が相手の親族に対して,刑期(賠償)もつとめ,68年経ったからもう,謝らなくていいのだと,加害者が公言していいのだろうか。確かに,法的には何ら問題はないのだが,人としてどうなのだろう。中韓ほど経済力がついていない東南アジア諸国を交えて考えてみてはどうだろうか。人として,他人の言葉に耳を傾けるのが最低限,必要なのではないか。言葉の応酬であれ,対話は大切だ。

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