2013/08/22

蓮と葡萄

「蓮」と「葡萄」の漢字は中国由来だ。昔の葬式では蓮の造花が飾られていて,死体を石油ではなく石炭で焼却していた時代には焚き口に造花も合わせて燃やしていた。不味い盆菓子も蓮の形をしていた。中国ではとうの昔に蓮を珍重する時代は仏教の衰退とともに失せた。

一方,中国文明を受容したとき,蓮の表象とともに葡萄も伝来したのだろうが,民衆には根付かず文様にのみ留まった。西アジア原産の葡萄は旧約聖書にも盛んに出てくる。イエスも葡萄の譬えを繰り返している。やがてイエスの贖いとみなし聖餐式には欠かせない物となった。葡萄を命の象徴とする考えは,旧約ではなく,どうもマンダ教とかグノーシスに由来するようだ。

両者ともその生命力に感動したのが,農耕民ではなくもとは草原から移動してきた民であったのは興味深い。一方は,インドの古代都市文明と森を破壊しながら,ヒンズー文明を築き,他方は西方のオリエントのペルシャに侵入し,メソポタミアエジプト文明を破壊しペルシャ帝国を築いた。その亜種がフランク文化だった。蛮族南下の動機のひとつがぶどう酒だった。ぶどうの争いは延々と英仏戦争の原因ともなった。

自国に産しない嗜好品を求めて海外貿易および戦争を始めだしたのは古代ギリシャの都市国家,ローマがユダヤの地を求めたのは香料を産するからだった。茶と絹のため,武力行使したのはイングランドだった。

湿潤地帯に生える蓮は葡萄のようは交易の争いは起きなかった。その代わり,稲の栽培に必要な水田を表象するようになったのかもしれない。信長の日本統一に抵抗した勢力に一向宗がある。その指導者の名が蓮如である。末寺を束ねる城郭を伊勢長島と大阪に築いた。ともに湿地帯にある。日本の先史時代から,砦は小高い丘に築くのが通例だった。王と民は分離されていた。その象徴が宮であり,奈良であり京都であった。周囲に有力な武装遊牧民もおらず,城塞を築く必要がなかった。

農民土豪が僧侶を推戴して,大名に抵抗した歴史の最後が仏教ではなくキリスト教の天草の乱とは不思議な感じがする。天草は南蛮人が日本人奴隷を送り出した拠点だった。南蛮船が長島,大阪,堺を目指さず,平戸,坊津,豊前を目指したのか。歴史に出てこない海民とそのネットワークが気になる。

特攻で戦死する事を散華といった。この場合の花は,桜だろうかそれとも蓮だろうか。桜としたのは戦中ではないか。海軍は特攻飛翔体を桜花と名づけた。本来,桜は生命の象徴であり,死を表象していなかった。 米軍は桜花に Baka のコードネームを与えた。

中国では幇という共同体が広く行き渡っているらしい。これと宗族関係がどうなっているのかよくわからない。反乱,離合集散の甚だしい権力争いもこの幇に関係しているのだろうか。孫文も毛沢東も宗族を最重要視した儒教に否定的だったが,中国共産党の規約のなかで,分党行動が最大の悪である。日本の民主党は分党行動を行った菅直人を3箇月の党員停止処分にした。政治結社の自由はあるが,何か違和感が残る。組織の統制感覚が恐らく中国人と日本人とでは大きく異なるのであろう。人間は何がしかの共同体に属している。かつての一向宗,キリスト教には門徒衆徒の現世救済指向があった。これらの衆生の乱には中国には見られない秩序があったようにみえる。何故か,彼らは内に篭り移動する事がなかった。

中国の無頼民は中国共産党の長征,太平天国の乱に見られるように移動する。戸籍制度を始めたのも徴税の他にこのような理由によるものであろう。蓮に見られる死生観を残してきた日本人も変りつつあるようだ。お盆のように魂が戻ると思っている人の割合は日中ともにあまり変らないのに驚く。盆は仏教本来の習俗ではなく東アジアに広がるシャーマニズムの伝統だろう。戻らないとする割合は中国の方が多い。これは儒教の影響だろうか。

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