2013/12/01

OP オフセット電圧の零調整

前回,「OPアンプ電源用負電圧発生」で得られた負電源を用いて両電源用のOPアンプの零調整回路の動作確認した。ゼロ調とはOPアンプの入力オフセット電圧をキャンセルする事だ。

基板にOPアンプを搭載して,負電圧を測るとノイズは 160mVp-p @ -4.4V であった。非反転入力端子に接続した入力抵抗1Ωおよび反転入力端子に接続した1kΩの端子電圧を DMM PC510 で測り,入力オフセット電圧とバイアス電流をの測定したところ,以下のようになった。各抵抗は基板上に半田付けしてある。

Power Supply V+=5V, V-=-4.4V
Power1Ω (+)1k (-)
On-0.03mV-0.04mV
Off-0.03mV-0.02mV


これで,電流入力端子には漏れ電流がない。1kΩ の他端は接地してあるから,バイアス電流 0.02uA がある。電流の向きはアンプのデータシートをみると,「入力バイアス電流の方向は,初段がNPNトランジスタで構成されておりますので,ICへ流れ込む方向です」とあり合致する。このとき,出力は -1.80V と振り切れていない。負電源は -4.2V とわずかだが低下している。

フィードバック抵抗 100kΩ を半田付けすると,出力が -20mV になった。理論上のゲインは 101 だから入力オフセット電圧は,およそ 0.2mV に相当する。データシートの公称 7mV と大きく異なり拍子抜けだ。オフセット調整用の多回転トリマをICクリップで接続して,出力 -20mV から 0V までトリマを調整したら,1-2 間の抵抗値は 5.7kΩ。中心から 700Ω のズレに相当し,全体の7%となり,ぴったりの零調整がしづらい。トリマを回転させる際の引っ掛かり感も関係しているのかもしれない。10kのトリマは高ゲインを想定したのであろうか。半日以上通電していてもゼロバランスが大きくくずれる事はない。このOPアンプは高性能なDC特性を持っている。さて,今は FET 入力段のOPアンプがあり,このようなオフセットバランスをする事もないかもしれない。下に作成した回路の様子を示す。電流検知の抵抗 0.1Ω は小電力がなく大きな抵抗を取り付けてある。uAオーダを検出するなら 1/4W の1Ω抵抗をシャント接続した0.5Ωを使用すればいい。この小型カーボン抵抗はサイズが小さく 2.54mm ピッチ間隔に並べられるのがいいね。小型な分,それだけ使用電力逓減特性が変わる筈だ。両方の写真撮影とも SCN の室内を選択したにもかかわらず一方がボケてしまった。

PeakBoard.jpgPeakBoardBack.jpg


試験的に1Ωを入力抵抗として,電流測定してみた。 定電圧発生器に電流制限抵抗 220Ω および DMM PC510 を接続し,その電流値を入力とした。OPアンプの出力を P-16 で測定した。220Ω1/4W の抵抗に 40mA 流し込むと,0.352W となり定格 1/4W を超えているが,抵抗表面温度が思った程,昇温しなかった。これはリード線をみの虫クリップと他端を端子台のネジに接続したため,これら金属を介して放熱していると思われる。

Input Impedance 1Ω, Ref DMM PC510
Vs [V]PC510 [mA]P-16 [V]
-7.980.811
2.4010.171.033
5.220.052.036
9.6840.194.080
Off-0.000.000


学生時代,モータ出力軸の回転変位をポテンショメータで検出していた。その変位を三栄測器の直流増幅器を介して電圧出力として読み取っていた。午前,実験して昼食後,実験を再開したら零位置が狂っている。その時のトラウマか,DCアンプのオフセットに注意を払うようになっていた。当時はモノリシックのICがなく,バイポーラのトランジスタで増幅器が組まれていたのであろう。そのトランジスタの特性もバラツキ,抵抗の温度特性も今ほど良くなかったと思われるから,アンプを設計できるというだけで飯が食えたのであろう。ネットで検索したら,三栄測器は日本初の脳波計を商品化したそうだ。後に NEC 三栄 となり,2006年には NEC 系列の日本アビオに再編されたようだ。

蛇足。
日本アビオのあゆみをみると,自衛隊関連が目に付く。当初はアメリカ製射撃管制機器の内製化を行い収益を上げてきたのだろう。太平洋戦争中,最も日本が遅れていた軍事技術の一つが火器管制 (FCS) だった。小泉元首相は特攻精神を賛美し,靖国参拝に拘った。レイテ戦初期には護衛空母を沈めるなど,海軍特攻は戦果を上げたけど,沖縄戦の頃には成功率が著しく低下した。特攻機が沖縄に向かうと,沖縄本島北西に位置した米海軍のレーダピケット艦が警報を出す。常時,オーバル飛行する艦隊直掩機が向かう。また,特攻機が多数飛来すれば,沖縄本島東部を遊弋する正規空母群から戦闘機を発艦させる。その戦闘隊は空母のレーダに誘導され優位な位置から特攻機に襲い掛かる。プロッタが2次元スキャンのレーダ画面を投影した透明のスクリーンに敵味方位置をマークしていく。高度は FCS レーダが測る。日本は高度を測定するレーダを開発する余裕がなかった。2次元スキャンの方位レーダの開発ができたのは終戦1週間前だった。米海軍研究所 NRL がその種のレーダ開発の目途がたったのは1930年代だった。

それでも捕捉損ねた目標は 40mm 対空機銃の砲火を浴びる。沖縄戦の様子として機動部隊に肉薄する特攻機が撃墜されるフィルムがよくテレビに放映される。艦隊は常に機動している。FCS は目標の方位速度だけでなく自艦の速度方位も含めて狙いを定めなければ当たらない。日本は歯車機構で演算する対空射撃盤があったが,航空機の速度には到底対応できなかった。米海軍は空圧式の演算装置を戦艦から順次配備していった。日本海軍は敵機動部隊の FCS も 戦闘指揮所 CIC も知らなかった。鹿屋から沖縄戦を指揮した宇垣提督は米機動部隊の撃破を目的とした特攻主体の菊水作戦を繰り返し実行したが,その愚策を省みる事はなかった。海軍中央参謀連も犠牲の割には戦果が上がらず批判的になり,終戦間際になって,無能な豊田連合艦隊司令長官とともに解任された。

郵政民営化は英国サッチャー政権のお手本があり成功したともいえる。その英国が原発を止めようとしないのを小泉元首相はどう考えるか。戦前,独伊をまねて近衛がファッショ(翼賛)体制にのめり込んだのが間違いではなかったか。太平洋戦争直前,退役海軍大将のなかで米海軍と戦えると考える軍人は潜水艦戦の権化である末次大将以外皆無だった。沖縄航空戦を指揮した宇垣纏中将は三国同盟を推進した開明とは言い難い軍事官僚の一人だった。これら大将待望組の野心を上手く懐柔したのが近衛文麿だったのだろうと思う。独伊の脱原発政策が日本にもフィットするとは限らないだろう。

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