2013/12/01

近江八幡洋風建築 (中)

前回の旧近江八幡郵便局に引き続き,ヴォーリズ建築の紹介。京都の請負師に発注したヴォーリズ最初の建築だ。アンドリューズ記念館と称される。工費3600円。1907年に完成した。日露戦争の頃である。

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写真に玄関があるので多くの訪れる人はこれを正面と思うだろう。実際,受付がありそこで入館券を購入し,下足箱がありそこでスリッパに履き替えて入った。館内の撮影は禁止されている。壁は白塗りの漆喰。黒光りした腰板とコントラストが素晴らしい。入って左側がホール(集会場)。イエスを象徴する十字架の類は一切ない。これは近江兄弟社学園の小学校の授業参観に行ったときにも感じた。ラサール高校の教室には十字架が掲げられていた。キリスト教系といってもいろいろだ。中央に幅は狭いけどしっかりした階段がある。2階は引き戸になっている。公開はされていない。引き戸を含めドアの高さが異常に低い。当時の日本の建具の寸法に合わせたのであろう。ヴォーリズが何に拘ったのか思いを馳せた。造作は実に質素だ。一階にはオルガンがあったらしい。賛美歌演奏もあったけど音楽が楽しみだったのだろう。一階には鋳物のいい感じのデザインのストーブがある。円筒形をしていて背が高い。鍋,鉄瓶を掛けたりするような無粋な用途を一切,考慮されていない暖房専用である。薪が到底入らない小型である。

私が子供の頃,実家ではコロナの鋳物ストーブを使用していた。母は前のキングストーブの方がよく燃えて良かったと父が不在の時,よく言っていた。燃焼室の後方に,鍋を掛けるスペースがあり。デザイン優先なのかストーブ底面のカーブと鍋底を受ける丸蓋の距離が少なく灰が詰まると燃えが良くなかった。父はよく灰を掻き出していた。実家は終日,石炭ストーブの火を落す事はなかった。その点,コロナ製は背が高く石炭の投入手間と石炭の予熱を考えてキングからコロナに変更したのではないかと推測している。父親は母親が思うほどバカではないと,この歳になって考えるようになった。要するに父親は口が重いのだ。

さて,本題に入ろう。玄関脇に無粋な煙突を配置するだろうか。本来2階にあった書斎を1階に移設しているが,その祈りの部屋脇の開かずの戸が本来の入り口(玄関)だったのだろうと思う。それで,無粋なスチール製下足箱の説明がつく。ヴォーリズは日本風の習俗に順応したけど,靴を脱ぐのは抵抗があったのではなかろうか。昔,就職のハウツー本を読むと,靴を履き替える会社は成長しないとの記述があった。京呉服,薬品関係は今でも履き替える会社が結構ある。玄関があって下足箱があるような処は確かに創業30年とかあっても成長していない町工場ばかりが思いつく。

日露戦争当時,日本海軍は徹頭徹尾英海軍(ロイヤルネイビー)を模倣し,水兵には米食中心ではなく,牛肉すら給養していた。士官は草鞋を革靴に替えていた。それが,昭和海軍になるとナチス張りの短剣とたいそうな軍刀を佩びるようになった。同じ頃,歴史ある米海兵はサーベルを廃止していた。大阪大学で働く機会があって通う事になった。そこでは,小中高と同じく靴を履き替える職場だった。21世紀研究館と銘板のある新館である。別にクリーンを要求されるような半導体,汚染の恐れのある微生物を研究している訳でもない。江戸期の塾時代に逆戻りだ。松下政経塾は靴を履き替えるのだろうか。昭和天皇は明治天皇と異なり,洋風のライフスタイルだった。朝,靴を履いたら寝るまで脱がなかった。寝床もベッドだった。昭和天皇はヴォーリズの宗旨とは異なるけど,ヴォーリズと似たような履物生活だったのでは。

蛇足
昔,小泉元首相は書生時代,清和会の下足番をしていた。大物政治家の靴を取り扱う際に,いろんな事を体得するのだろう。政治もスキルが必要なのだ。秀吉は信長の草履取りから天下人まで登りつめ,三成は秀吉の草履取りから天下奪取に失敗した。名だたる料亭の下足番は靴から政治家の健康状態までわかるらしい。

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