2014/01/16

ハンドドリルの振れ回り

防滴構造用ケースの大きな穴をハンドドリルで開けた。というのは手元にあるボール盤のベースからチャックまでの高さが 158mm で,ケースの長辺長が 139mm あり,ドリルを取り付けると高さが不足する。短辺に開けてもよいが,正位置は縦長にしたかった。それでハンドドリルで開けた。ハンドドリルは小学生の頃,小遣いを貯めて購入した記憶がある。今あるのは10年以上前にホームセンタで購入した物だ。チャックにドリルを取り付け,回転させると,ドリルの先が大きく振れ回る。良く観察すると,チャックの先も振れ回る。ボール盤も使用しているのでチャックの回転を比較すると,一目瞭然だ。

ハンドドリルのチャックを取り外すと,SHIBATA CHUCK と刻印されている。チャックなしで取り付け軸を回転させると振れ回りがないようにみえる。どうもチャックの取り付け穴が偏心しているようだ。どこかの練達の電子工作サイトにボール盤の選択にチャックを良否を挙げていたけど,確かに重要だ。最近の工作機械はNC制御だ。チャキングの精度で寸法精度が大きく左右される。ジグと数百kgのワークを位置分解の悪いホイストを使用して一人でワークを工作機械に取り付けるのは素人からみると神業にみえる。高精度高性能ジグは高価だし,特殊用途では自作すらする。NC旋盤はワークのロードが自動化され,個人事業者の妻がプログラミングさえ覚えれば,一品物の受注をこなせるようになった。自動化機械化のメリットは零細企業の方が大きい。大規模な農業法人でもない限り,これからのハウス栽培は農機だけでなく,PLC のプログラムくらいは業者に依頼せず,自分で行う。配管工事とか簡単な溶接も自分でやるくらいの独立自営農民が求められるのであろう。その点,大手サラリーマン出身って一体何ができるのだろう。

「農場長」さんのブログでは6台の台車を修理したそうだ。多分,コロが傷んだのだろう。大手企業になると,自分達の椅子のコロさえ外部に依頼して修理したりする。パナに転職した元同僚が机と椅子のボロさに驚いていた。前職の会社ではアメリカの研究機関の事務環境に範を求め,実にスッキリしたこじゃれたものだった。女性事務員も制服がなく随所にとび切りの別嬪を採用していた。事務所のキャビネットに始まりレイアウトデザインまでトータルに専門のデザイナに依頼していた。その金額を事務員から聞いて驚いた。ある部長さんが有志をつのってベトナムへ観光ツアー(主目的は少女買春)を連休に企画するような研究バブルの余韻が残っている時代だった。研究員では誰一人参加する者がいなく,同類の部長職らがツアーに行ったようだ。研究が冬の時代になると,当該の部長は別の関連会社に異動となった。立食の交歓会がある欧州機関とのビジネスマッチングの場で,彼と再会して名刺を交換したが,コンサルタントとして独立していた。でもその名刺は直ぐに捨てた。どんな事でも実業に即さない輩とは交流しない。会社も個人もコンサルタントのお世話になるようではダメだ。現場たたき上げの経営者が手がけている事業については誰よりも知悉していると豪語した。昔はどんな分野でも,巨大企業に在籍し10年やれば普通であれば精通して専門家になれスキルも身につき,その後もその成果で食べていけた。そんな良い時代は終わった。技術者使い捨ての時代になった。というか,日本のポジションが変わった。その前触れとして IBM の行動をみればわかる。日本を製造の拠点から外し,今や R&D も他のアジア諸国に移転している。メガ製薬会社も競って日本に研究拠点を設立したが,殆ど撤退した。

本田宗一郎が戦時中,軍用機用プロペラの製作加工について軍需大臣から表彰された。当時NC工作機械などなく,倣い加工ぐらいどまりだった。高能率,高精度を本田は実現したらしい。そんなスキルと知恵があったのは今になると,彼は日本人離れしていた。戦後,米国の戦略爆撃調査団が爆撃の効果に始まり,経済的観点から日本の社会風土まで踏み込んだ調査を実施した。ジュラルミンの不足とかは誰でもわかるが,生産ジグのプアさもしくは欠落を指摘した。そんなF1も制覇した宗一郎の夢は航空機製造だった。彼の夢が日本ではなくホンダ USA で実現しようとしている。The Power of Dreams なかなか良いキャッチコピーだ。

どんな仕事であれ,手と頭は両輪だ。半田付けができるというだけで,ある出先の研究所で所内公開実験中に回路の手直しをしたら数人から感嘆の声があがった。実学を重んじる学風があるとされる,阪大電子工学修士出身の研究員がトランジスタの実習は,ソケット使用だったと言う。半田付けせずに電子工学修士なのだ。その彼は nV 単位の信号レベルの研究をしていた。しかし装置は必要だ。彼が言うには,研究とは「札びらで業者の頬を叩いて」するものだと言っていた。宗一郎の感激喜びとは別世界の研究態度だろう。

太平洋戦争中,日本のレーダ開発は遅れをとった。陸軍は業者,主に日立に丸投げした。海軍は一応,研究はしたが,研究のトップ(東大電気工学卒技術将校)はどうも実務にうとかったようだ。そこで,下僚が巨額予算執行に業者とある特殊な関係を持つ事になる。日本電気,東芝,日本無線が製造に携わった。今も官需の開発案件は日本は下手のようだ。作日も NHK のニュースで取り上げていた核燃料処理設備工場がそうだ。念入りな実験もせずにプラントの設計建設を始めたのではなかろうか。失敗しても予算規模が大きく役所としては実績になるからだ。役人の研究内容ではなく執行予算規模で査定されるのであろう。やたらと大規模な施設を一気に建設してしまう。

海軍航空草創の頃,大金持ち米海軍はもう使い道のない石炭運搬船を空母に改装して各種実験を行った。貧乏日本海軍は空母鳳翔を建艦した。しかしながら,鳳翔は太平洋戦争中,練習空母としてしか使い道がなかった。造艦を司る艦政本部,艦の運用戦略を決定する軍令部も全て役人(東大と海軍大学校出の軍事官僚)だった。

久しぶりにハンドドリルを使用したら,7mm ドリルの逆回転が上手くいかずベベルギアに中指を挟み,血豆が出来た。M3用穴あけ位置もずれてしまった。それは床にワークを置き,ワークを両足で挟みドリルの刃先位置が目視確認できなかったからだ。3つ目の穴からは椅子に座り,膝でワークを挟み込んだら位置確認ができた。子供の頃は,どうやって使っていたのだろうか。全く記憶にない。ただ,昔の使用していたハンドドリルのノブがねじ込み式になっていて,中にドリルが収納出来るようになっていたのを思い出した。今回使用したのはユニックだ。ブランドなのか会社名なのか関心がない。0.5-6.5mm 迄とある。実際は 7mm もOKだ。チャックの振れ回りはヒトの手が吸収する事になる。

戦争中,勤労動員された学生がジグもなしに外板に穴あけして航空機のリベット打ちしていたのであろう。戦争末期には,尾翼が逆さに取り付けられた戦闘機が軍に引き渡されたりした。大学の先生がアメリカの飛行機はコンコンと叩くと高い金属音がするけど,日本機はボコボコした音がしたと言っていた。モノコック構造と称され,剛性が強くなると固有振動数は高くなる。高剛性は急降下速度,燃費,耐弾性に有利になる。彼は東大卒なので勤労動員もしておらず,これは伝聞だろう。東北大物理学科で勤労動員されたりすると,飛行場の滑走路設営に回されたりした。当時の政治を司っていた官僚は殆ど東大,陸海軍大学校出身で占められていた。原子力ムラと報道各局ムラはどうだろう。そういえば,珍しく東北大から防衛次官まで上り詰めた軍事官僚が業者と不適切な関係になってしまった。

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